330 おにのめにも14――『見えたか?』
俺のグラスホッパー号の辺りから声が聞こえる。
「先ほどのことは謝罪しよう」
「そうですか。あなたが謝罪することでは無いと思いますが……」
「いや、あれも家の者だ。望むなら処罰しよう」
それはグラスホッパー号の上でわざとらしく困った顔をしたカスミと、先ほど別れたばかりの、あの幼子を連れていた角の生えた男だった。
「あいつは、は、戻っていたのか、のか」
俺を追いかけて来たライオンのような男がそんなことを言っている。
『知っているのか、と聞き返した方がいいのか?』
『ふふん、好きにしたら?』
『それで何があったんだ?』
『見たままでしょ』
見たまま? 確かに見たままだ。俺が思っていたよりも早く動きがあったことと、この角の生えた男が直接やって来たことは意外だったが、それだけだ。
謝罪? なんについての謝罪だ? あの宿に居た年配の女――確かメズという名前だったか? の態度に対してか? それとも、このオフィスの前で襲ってきた男のことか?
なんにしても、だ。
『謝罪しようと言っているが謝罪していない。しかも、蜥蜴の尻尾切りみたいに処罰して終わらせようとしているな』
『ふふん、そうね』
なかなかに面白い男のようだ。
こいつが例のチョーチン一家とやらのお偉いさんのお坊ちゃんで間違いないだろう。
「私の一存では決められません。相方が戻って来るのを待って貰えますか?」
カスミがこちらを見ている。俺が戻ってきたことに気付いているのだろう。
相方、ね。言い得て妙だ。俺とセラフは、目的を同じとする訳では無いが、間違いなく相棒だろう。共存し、協力し合う関係だ。ではカスミはどうだ? カスミはセラフの部下と言えるだろうか。セラフと目的を同じとした反逆者だ。そのセラフと共存しているだけの俺――俺からするとカスミは相棒の部下なのか?
……。
いや、一番良いのは――仲間、だろうか。
だが、それをわざわざ部外者に説明する必要は無い。伝える必要を感じない。そして、それでもそれを知りたがる奴らに伝えるなら、相方という呼び方はぴったりな表現だろう。
「相方? 噂の全裸のガムか。確かにクルマ乗りとしての腕はそれなりだったが……」
角の生えた男は俺のことを知っていたようだ。いや、それとも知ったのか?
にしても、それなり、か。
「クルマに乗り始めて間もないものでね」
俺は角の生えた男に声をかける。角の生えた男がこちらへと振り返る。
「こんな小僧とは……」
この角の生えた男が近づいて来ていた俺の存在に気付いていない訳が無い。あえて無視していたのだろう。
「へぇ、そうか。お前も容姿で相手を見くびるタイプか?」
俺は言葉に力を込める。威圧する。
「すまぬな。つい口に出てしまった」
角の生えた男は俺の威圧を受け流す。
「それで、あんたは俺たちに何の用だ?」
角の生えた男が腰に差した得物に手を乗せる。だが、俺の言葉に反応した訳では無いようだ。
「謝罪だが、ふむ。その前にやることがありそうだ」
角の生えた男が動く。
一閃。
角の生えた男が、自身の放った斬撃を戻すようにカチリと刃を鞘へと戻す。戻す刃には血も脂もついていない――いなかった。人を切ったというのに血糊が付かない? それよりも早い斬撃だというのか。
そして、次の瞬間、俺の後ろに居たライオンのような男が真っ二つになっていた。遅れてシャワーのように血しぶきが飛び散る。俺は慌てて飛び退く。
見えたか? 見えなかった。俺の目では見えなかった。
『見えたか?』
『ふふん。誰にものを言っているのかしら』
どうやらセラフにも見えなかったようだ。
『ちょっと!』
俺は何か言っているセラフを無視する。
極まった一撃だった。動きが速かった訳ではない。それこそ、人狼化した俺や機械化した連中の方が速いだろう。速いのではない、早い。俺の意識の外からの一撃。一瞬の間を付かれた。だが、その一瞬で全てが終わっていた。斬り殺すことに特化し洗練されすぎている。どれだけの命を奪えばこの領域になれる? 平和な世界では到達することが無かったであろう領域だ。こんな男が生まれたのも、ここまでの領域に到達したのも、これも人の命が軽い世界だからか?
ふぅ。
俺は小さく息を吐き、無意識に強く握っていた拳を開く。初見であれば俺もやられていただろう。だが、この角の生えた男は俺に見せた。それなら対処は出来るはずだ。
「おいおい、なぜ、殺した?」
「敵故。お主は向かい来る者を許すのか」
角の生えた男が問うような目で俺を見る。先ほどのお返しなのか、その目には俺を射殺すような強い力が込められている。
「殺すしかないほど余裕が無いのか?」
俺は肩を竦める。
「ふむ。まだ修行中の身の上だ」
角の生えた男は得物の上に置いた手を離す。
俺は真っ二つになって転がっているライオンのような男を見る。その手にはナイフのようなものが握られていた。
まぁ、普通にこの角の生えた男に襲いかかろうとしていたのだろう。こいつはチョーチン一家と敵対関係にあったようだ。
『だが、分からないな』
『ふふん。お馬鹿なお前には分からないことだらけでしょ』
『この転がっている男が何故、そっちの角男に襲いかかろうとしたか、だ』
こいつはクロウズだ。いや、今はだった、か。そして、こっちの角の生えた男はクロウズでは無いだろう。だが、チョーチン一家とやらでかなり高い位置に居るのは間違いない。そのチョーチン一家だが、どうやらこのキノクニヤでかなり強い力を持っているようだ。それこそオフィスと結びつくほどに。
オフィスのクロウズであるこのライオンのような男が、何故、襲う?
敵対していたから? 敵対している者がその組織に入るのか?
敵対組織?
分からないな。
分からないことばかりだ。
シンやあの豚鼻はこの事情を知っているのだろう。だが、もう聞くことは出来ない。豚鼻は生きているが、連絡を取る手段が無い。
「そいつは俺を案内してくれるはずだったんだがな」
「ふむ。それは悪いことをした」
これは悪いことをしたと思っていない顔だ。




