326 おにのめにも10――『考えていたんだよ』
「ああ、宿泊の用意を頼む」
角の生えた男は当たり前のように仲居らしき年配の女に命令をしていた。
「ええ、もちろんですとも。坊ちゃん、あちらは」
仲居らしき年配の女がこちらを見る。その年配の女だが、よく見れば額に小さな角のような出っ張りがあった。
角、か。
角の生えた男と血縁関係なのか、親族なのか、それとも――セラフが言っていたように同じ実験施設から逃げだした者たちなのかもしれない。
その角の生えた一族が経営している宿なのか?
この角の生えた男が同じく角の生えた女から坊ちゃんと呼ばれている……と言うことは角の生えたミュータントグループのリーダーの息子か何かなのだろうか。それとも、この宿のオーナーの息子とかだろうか。まぁ、今の情報が少ない段階で判断するのは早計か。
「娘だ」
角の生えた男が年配の女の言葉に答える。注目されていることに気付いたのか、カスミの膝の上に乗っていた幼子がきゃっきゃっと楽しそうに手を振っていた。
「まぁまぁ、それはなんと。あの小さかった坊ちゃんに子どもだなんて。綺麗な奥様もご一緒で」
年配の女はカスミを見て、そんなことを言っている。
『なるほど』
『あらあら、何がなるほどなのかしら』
カスミは人造人間だ。オフィスの窓口に居ただけあり、人からの印象が良くなるように、その容姿は非常に整ったものになっている。破棄された時の影響か、メンテされなくなったからか、その輝きは薄れているが、それでもそこら辺を歩いている人より優れているのは間違いない。
旅に出た坊ちゃんが綺麗な女と子どもを連れてきた、と。そういう状況に見える、か。
カスミは困った顔でこちらを見ている。あえて困った顔なのは、時間稼ぎのためか、俺たちの指示待ちということだろうな。
「メズ、彼女は妻ではない」
角の生えた男が年配の女に説明する。メズというのが、この女の名前なのだろう。
「ええ、分かってますよ」
年配の女が何故か得意気な顔で頷いている。これは分かっていない顔だろう。
「案内してくれ」
角の生えた男が小さく頭を抱えながら年配の女に命令する。
「ええ、こちらです」
年配の女は得意気な顔のまま宿へと案内しようとする。と、その途中で俺たちの方へ振り返る。
「お嬢さんはこっち。護衛はあっちだよ。クルマを運んでおくんだね」
年配の女が何処か偉そうな態度で宿の奥を指差している。多分、そこにクルマを駐めることが出来るスペースがあるのだろう。
『なるほど』
『あらあら、何がなるほどなのかしら』
俺はセラフのこちらを馬鹿にしたような言葉に肩を竦める。
「メズ、彼らは護衛ではない」
角の生えた男が年配の女に説明する。
彼ら、か。この男がセラフの存在に気付いたとは思えない。多分、カスミも護衛ではないと言いたいのだろう。
「坊ちゃん、上下の区別はしっかりとつけるべきですよ」
年配の女が角の生えた男に言い聞かせるようにそんなことを言っていた。
『なるほどな』
『あらあら、何がなるのほどなのかしら』
『セラフ、お前、適当に返事をしているだろ。何が、なるの、ほど、だ。気付かないと思ったのか』
『ふふん。それで?』
俺は肩を竦める。
良く分かったのは、この年配の女の不遜な態度だ。自分たち以外は下しかいないと思っている態度だ。多分、この宿は――宿かどうかは分からないが、ここは、ここの連中はキノクニヤでもかなり高い位置に居るのだろう。まぁ、周囲が煌めく看板で着飾って誤魔化したボロボロの建物の中、老舗旅館という佇まいで残っているのだ。それだけでも周囲と違うというのは分かる。
この角の生えた男は、そこから逃げだしたのか、旅に出ていたのか――その坊ちゃんが連れてきた胡散臭い連中、というのがこの年配の女の考えだろう。
この年配の女の中では、角の生えた男は今でも小さい子どもで、世間知らずなのだろう。
まぁ、分からないでもない。
俺はドラゴンベインに乗っている。姿が見えているのはカスミだけだ。顔を見せないクルマ持ち、か。クルマ持ち程度では揺るがないお家なのだろう。
だが、それで、そんなことで、俺が見下されることを納得なんて出来る訳がない。
「悪いがここまでだ。俺たちはあんたと別行動をとらせてもらう。カスミ、行くぞ」
俺は角の生えた男に告げる。俺の言葉を聞き、カスミが幼子をグラスホッパー号から降ろす。突然、カスミの膝の上から降ろされた幼子は、その状況に泣きそうな顔になっていた。
「待ってくれ」
角の生えた男が俺たちを呼び止める。
「坊ちゃん、ああいう手合いはうちに取り入ろうとしているだけですよ。しっかりしてください」
年配の女が世間知らずの坊ちゃんを窘めるようにそんなことを言っている。世間知らずで物事を知らないのはこの女の方だろう。だが、この女はそれが分かっていない。分かっていないのだから、この言葉も仕方ないだろう。
角の生えた男、年配の女、その二人のやり取りを無視して、俺たちはその場を離れる。まずは当初の予定通りオフィスに向かうべきだ。道は分からないが、これだけ発展している場所だ。きっと大通りにあるだろう。
『あらあら! 逃げ出すなんて! 不当な扱いに怒ったのかしら。なんて器の小さい!』
セラフが俺をからかうようなことを言いだしている。
『俺が舐められるのが嫌いなのは、お前だって分かっているだろう?』
『ふふん』
俺があの宿に泊まることを止めた理由は、舐められたことが原因の一つだが、もちろんそれだけではない。相手の立場がどんなものか分からないうちからマウントをとってくるような想像力の欠如した人間がいる危険な場所に泊まりたくないというのも一つだ。そして、一番の理由が、これ以上、あの角の生えた男に関わると面倒事に巻き込まれそうだったからだ。どう考えても訳ありで厄介ごとの塊にしか見えない。下手なことに巻き込まれるよりは恩だけ売って離れた方が良いだろう。
さっきのは良いタイミングだった。
あの角の生えた男がまともな人間なら、俺に対して申し訳ないという気持ちが生まれたはずだ。恩も売れて巻き込まれることも避けることが出来た。
『あらあら、そこまで考えていたの?』
『考えていたんだよ』
俺は肩を竦める。
さて、オフィスは何処だろう。




