311 最強の男06――「これでチャラだ」
「ふふん」
聞こえてきた声に反応する。
「新手か」
相手を吹き飛ばすつもりで掌底を放つ。だが、その掌底が空を切る。見れば少女が頭を抱えてしゃがみ込み、その一撃を回避していた。
「随分と無様な避け方だな。先ほどまでの戦闘人形とは違うようだが、方針を変えたのか?」
こいつは間抜けな避け方をした。だが、イコール雑魚とは限らない。俺は油断しない。雑魚だと思って半端な攻撃をしたところを狙われるかもしれない。
しゃがみ込んだ少女を狙い蹴りを放つ。これはフェイントだ。先ほどまでの戦闘人形なら、この蹴り足を掴もうと動くはずだ。そこを狙う。
蹴りが空振る。
……。
「馬鹿なの! ねぇ、馬鹿なの!」
少女がそう叫びながら這うようにして逃げていた。
「なるほどな」
俺は少女を追いかけ、掌底を放つ。だが、少女は逃げながら身を屈め、その一撃を躱す。
「お馬鹿! 止めなさい!」
頭を抱えて逃げる少女を狙い、攻撃を繰り返すが、そのどれもが届かない。ギリギリで回避されてしまう。逃げ足が速い。どうやら、今度は逃げる標的を倒すパターンのようだ。
連戦に次ぐ連戦で体力を消耗し、動きが鈍っている今の自分では、追いかけるのはかなりキツい。先ほどまでのように襲いかかって来る方が動かなくて良い分、まだ楽だった。
……いや、これぐらいの方が良い訓練になるか。
「ねぇなんなの! お前、本当になんなの! 馬鹿なの!」
逃げる少女を追いかけ、攻撃を繰り返す。そして、ついに俺の拳がこいつを捕らえたと思った瞬間、左腕の機械の腕九頭竜に引っ張られる。間合いが外され、拳が空を切る。
……。
「なるほどな」
俺は少女の姿に見覚えがあった。
俺が目覚めた施設に転がっていた円形のガラス板から投影された立体映像の少女とそっくりだ。俺の目の前で目を三角にして怒っているのは、ギリシャ神話に出てくる女神が身につけていそうな衣装の長い髪の少女――もう間違いが無いだろう。
「それで?」
俺は握っていた拳を開き、肩を竦める。
「お前、私が誰か分かってやっていたでしょ! なんてヤツ、なんてヤツ!」
髪の長い女神のような少女が両手をグーにして怒っている。
「いいや、分からなかったさ。それでセラフ、これはどういうことだ?」
こいつはセラフだ。間違いないだろう。
そして、人工知能であるはずのセラフが俺の目の前に居る理由。今の状況がなんとなく読めてきた。
「ふふん。どうやらお前も理解したようね。今までお前が見ていたのは幻覚――ナノマシーンが見せていたものでしかないから」
「そうか。これが幻覚なら一発くらいはお前を殴ってもいいよな?」
俺の言葉を聞いたセラフが顔を歪め、心底嫌そうにする。
「はぁ? なんで? 馬鹿なの? イイワケないでしょ!」
「これは幻覚なんだろう? お前の本体は俺の右目のはずだ。殴っても問題無いな」
「はぁ、なんで! 問題あるに決まってるでしょ!」
「一発くらいは殴らせろ。それで最初に俺を騙したこと、俺の体を乗っ取ろうとしたこと、それらをチャラにするからな」
「はぁ? まだそのことを言うの? 止め、止めなさい!」
「幻覚なんだろう?」
俺は拳を握り、構える。
「馬鹿! 直通で繋いでいるから、私にフィードバックが、下手したらショートするんだから、止めなさい! 止めろ、馬鹿!」
俺は拳を振り上げ――セラフの頭をポンと軽く叩く。
「これでチャラだ」
セラフは叩かれた頭に手を置き、不思議そうな顔で俺を見ている。
――助けに来てくれたんだろう? だから、これで貸し借りは無し、いや、俺の借りだろう?
「それで、俺はどうすればいい?」
俺の言葉を聞いたセラフがハッとした様子で頭を振り、腕を組んで得意気にふんぞり返る。
「ふふん。決まっているでしょ。お前の体を構成しているナノマシーンを完全に支配下におきなさい。自分の意思でコントロール出来るようになれば、何が狂っているか、何処がおかしくなっているか、把握出来るようになるはずだから」
セラフがふんすと鼻息荒くそんなことを言っている。
俺は肩を竦める。
「なるほどな」
「ふふん。理解したかしら? お前はそこらの雑魚と違って、お馬鹿の割りには、少しは見所があるから。だから、なんとかなるでしょ。なんとかするんでしょ?」
セラフは腕を組んだまま俺を見てニヤリと笑っている。
俺はもう一度肩を竦める。
「あの戦闘人形、よい練習相手だったんだがな。過去に一瞬だけ師匠が見せてくれた技を、俺が忘れていた技を使いこなすから、なかなか楽しめたな」
「師匠? 戦闘人形? はぁ? とにかく馬鹿言ってないで、私が言ったことを理解しなさい。やることは分かったでしょ」
「はいはい」
やるべきこと、か。
俺はセラフを見る。
自信満々という感じで小憎たらしい笑みを浮かべた少女。これがセラフという人工知能のイメージなのだろう。
セラフ――確か、それは天の使いでも最上位を意味していたはずだ。燃え盛る天使、そして蛇、または明けの明星、だったか。
「お前を天の使いと名付けて良かったよ」
俺の言葉を聞いたセラフは小憎たらしい顔のまま、ニヒヒと笑っていた。




