304 最弱の男39――「何をしているかだと? 見れば分かるだろう」
『ふふん。どうやらここで正解だったみたいね』
セラフの声が頭の中に響く。探知も出来ないような状態のセラフの言葉をどれだけ信頼して良いか迷うところだが、ここが目的の場所だというのは間違いないだろう。
ここにあるのが端末――ノルンの娘の一つ。
俺は室内を見回す。何処かで見たような場所だ。そこまで広くはない。広さは……学校の教室くらいだろうか。その部屋の奥に二メートルはある砂時計のようなオブジェクトが置かれていた。砂時計の中央には丸い金属の球体が収まっている。
「球体だから丸いのは当然だな」
俺は当たり前のことを呟く。
……。
俺は改めて砂時計のような形をした装置を見る。謎の装置だ。つい最近、似たようなものを見た覚えがある。何処だっただろうか。
ああ、そうか。
セラフが眠っていた湖の島にあったものがそうか。大きさはあちらの方がかなり大きいが形はよく似ている。同じノルンの端末だから装置も似ているのだろうか。
最近?
いや、何かおかしい。何かがおかしい。俺の頭の奥がチリチリと痛む。何かが、警鐘のように俺へと訴えている。違和感。奥歯にものが挟まったような、そんな不快感がある。
俺は湖の施設以外で同じようなものを見たか? いや、見ていないはずだ。だのに、何故、最近、見たと思ったのだろうか。
……。
ふぅ。
俺は大きく息を吐き出し、頭を振る。そして、一歩、踏み出す。
今、重要なのは目の前に端末があるということだ。
レイクタウン、ウォーミ、マップヘッド、ハルカナ、ビッグマウンテンと来て、ここで六個目。残りは西にあるサンライスと南西にあるキノクニヤ、最前線にあるオフィスの三つ。ここまで来た。後、もう少しだ。終わりは近い。全ての端末を奪えば、マザーノルンへの道が開ける。この世界を支配している人工知能――マザーノルン。今更だが、俺自身、そこまでマザーノルンに恨みがある訳では無い。セラフに協力すると決めたから、ただ、それだけで行動しているだけだ。俺の旅のついでと言ってもいいだろう。
……。
俺は肩を竦める。
感傷に浸りすぎただろうか。まだ、ここのノルンの端末を支配した訳ではない。油断していれば足元を掬われる。
こんな風に。
俺は死角から飛んできた蹴りをミカドから借りたナイフで受け止める。ナイフが蹴りを弾き返す。相手はその勢いを利用するかのように後転し、こちらと距離を取る。
女だ。メイド服を身につけた女。まるで物語の世界から飛び出してきたかのように整いすぎるほど整った容姿――だが、その顔は能面のように無表情だ。オフィスの受付嬢とよく似ている。
ノルンの端末が操作する人造人間だろう。いや、人形か。ここに端末があるなら居てもおかしくない。むしろ、ここまで出会わなかった方がおかしいくらいだ。
メイド服の人形が襲いかかってくる。メイド服の人形が小さく飛び上がり、くるりと身を捻る。そこから風を切るほどの轟音とともに蹴りが飛ぶ。躱せない。俺はとっさにナイフで蹴りを受け止め、そのまま衝撃を逃すように飛ぶ。その俺を追い詰めるようにメイド服の人形が迫る。縦横無尽に動く足――蹴りが迫る。その一撃、一撃をナイフで受け流していく。一撃が重い。ナイフで受け止めた手が痺れるほどの一撃だ。
『あらあら何をしているのかしら』
セラフのこちらを馬鹿にしたような言葉が頭の中に響く。
「何をしているかだと? 見れば分かるだろう」
『分からないから。分からないから言っているのが分らないかしら。お前は馬鹿なの?』
大きな動作で放たれた回し蹴りを伏せて躱し、相手の懐に入る。掌底を放つ。だが、その一撃は身を固めるように揃えられた両腕――その肘によって防がれる。蹴りを放ち、体勢が崩れているとは思えない完璧な防御。だが、こちらはすでに懐に入り込んでいる。ここで攻めきる。
俺はそのまま何度も掌底を放つ。だが、その全てが構えた腕によって防がれてしまう。まるで鉄のカーテンだ。メイド服の女の蹴り足が戻り、両腕で顔と体を守った姿のまま、腰を深く落とす。構え。
ヤバい。
俺はとっさに飛び退く。だが、相手の方が早い。地面が砕けるほどの踏み込みとともにすくい上げるような肘打ちが飛んでくる。その一撃を食らい、俺の体が大きく吹き飛ぶ。
俺の体が壁に叩きつけられる。目が回る。
……!
と、その俺の目の前にメイド服の女の拳が迫っていた。俺はとっさに両腕を交差し、その一撃を受け止め、逸らす。身を滑らせ、メイド服の女の背後へと回る。と、そのまま大きく飛び退く。メイド服の女がくるりと振り返る。
……あのまま攻撃をしていたらカウンターを喰らっていたかもしれない。
強い。
他のマスター、オーツーやエイチツーなどとは違う。戦闘に特化した女なのだろう。女? ああ、人形だった。このメイドは人間ではない、人形だ。戦闘に特化した人形なのだろう。
同じマスターでも……同じ?
オフィスのマスター?
……。
まさか、ここはオフィスか?
クロウズのオフィスだったのか?
ノルンの端末がある場所は、オフィスばかりだった。例外と言えばマップヘッドだが、あそこはガロウが端末を奪っていたからだ。
ここは謎の施設ではなく、オフィスだった?
そう考えた方がしっくりとくる。だが、では、何故、俺はここを謎の施設だと思い込んでいたんだ?
それはこの施設に入った時、ボロボロで、瓦礫だらけで……。そう、長く使われていないように思えたからだ。
おかしい。
何かがおかしい。
おかしいと思っているはずなのに、何故だ。何故か、それが普通だと思っている自分がいる。
何だ?
何がおかしい?
俺は何故、ここがオフィスだと気付けなかった? 気付いたところで何も変わらないからか? 思考を停止していた?
と、その俺の前に蹴りが迫る。俺は慌てて屈み、その蹴りを躱す。そのまま相手の軸足を刈り取るように払う。メイド服の女が尻餅をつくように倒れるが、その途中で両手を地面につけ、器用に後転しながら距離を取る。
無機質なメイドがスカートの裾を持ち上げ、綺麗な挨拶をする。
どうやら、このメイドを倒さないことにはおちおちと考える事も出来ないようだ。




