303 最弱の男38――「その割には随分としぶといな」
斬鋼拳の反動を受けて、俺の体が、瓦礫だらけの通路をゴロゴロと転がり、壁にぶつかって止まる。俺は目の回る頭を覚醒させるように振り払い、よろよろと立ち上がる。半裸に近い姿だったからか、体中がスリ傷だらけになっている。打ち身も酷い。傷はそのうち塞がるだろうが、酷い状況だ。
俺は痛む右腕を押さえながら倒れたシンの元へと歩いて行く。
胸に大穴を開けたシンが仰向けに寝転がり、虚ろな瞳で、ひゅーひゅーと空気が漏れるような呼吸を繰り返していた。
「悪いな。苦しませるつもりはなかった。だが、狙いが逸れてしまった」
斬鋼拳の反動を押さえられるほど、今の俺の足腰は強くなかったようだ。まだまだ斬鋼拳を使いこなすには理解力が足りていないようだ。
シンがふらふらと片手を持ち上げ、何かを指差す。
「そこに……転がってる、ポーチからシガレットを……くれ」
俺は右腕を押さえながら周囲を見回す。シンが指差した場所とは違う場所にポーチが転がっていた。シンが牛頭の化け物に変身した時に弾け飛んだのだろう。
俺はポーチを拾い、中を確認する。シガレットケースといくつかの乾電池が入っていた。これはシンの小銭入れだったのかもしれない。
シガレットケースから紙巻き煙草を取り出し、人の姿に戻ったシンの口にくわえさせる。俺とは違い、元の姿に戻っても傷はそのままのようだ。
「火」
シンが呟く。
「悪いな。ここに火はない」
俺の言葉にシンが顔を歪ませる。
「ふぅ……少しは痛みが、引いたな。こんなに……強ぇ、なんて、聞いてないんだが」
「喧嘩を売る相手は考えるべきだったな」
俺は肩を竦める。シンの顔が苦痛に歪んだものから、若干だが、静かな落ち着いたものへと変わっている。ただの煙草のように見えるが、鎮痛作用のあるものだったのかもしれない。痛み止めのために煙草を欲したのか? そうだとすると火が点いていないのは問題がある、か。
俺は大きくため息を吐く。
先ほどのポーチから乾電池を取り出し、俺が投げ捨てた携帯食料の包装紙を探す。包装紙の素材が俺の考えている通りならなんとかなるだろう。
これだな。
俺は転がっていた包装紙を拾う。その包装紙を二つに分け、乾電池を挟み込む。それをシンが咥えた煙草に近付ける。煙草からゆっくりと煙が立ち上る。どうやら無事に火は点いたようだ。
「シン、ライターくらい一緒に入れておけ」
「くくく……そうす、るぜ」
シンが虚ろな瞳で煙を吹かす。
「再生薬じゃなくて良かったのか?」
「俺は……もう、助か、らん」
どうやら再生薬にも限界があるようだ。
「その割には随分としぶといな」
俺の言葉にシンが苦笑する。こいつの中の獣因子とやらがギリギリのところで命を繋いでいるのかもしれない。
「それで、どういうことだ?」
俺はシンに聞く。何故、襲いかかってきたのか。何を考えていたのか。残り少ない命で、答えられるなら答えろ。
「西の……西の、キノクニヤに、行け。そこは、ミュータントの……街だ」
「それは、どういうことだ?」
「キノクニヤのチョーチン、だ。そこに……行くのが、お前の……」
シンの口から煙草が落ちる。
……。
シンはもう何も言わない。
俺は大きくため息を吐く。
結局、何も分からなかった。こいつに何があったのか、何故、俺に襲いかかってきたのか、仲間を裏切った理由はなんだったのか――何も分からなかった。
何も分からなかった。
俺はもう一度、大きなため息を吐く。
西のキノクニヤ、か。シンは俺に、何故を教えるよりも、そこに向かえと話すことを優先した。確か、そこにも端末があったはずだ。シンの言葉がなかったとしても向かう必要があった場所だ。
……。
俺は肩を竦め、動く。
そして、瓦礫だらけの地面の上に、転がり気絶した豚鼻を見つける。気絶している、か。運が良い。どうせ、こいつからはまともな情報は得られないだろう。聞きたいことも、どうやって作業用ロボットを見つけたか、位だ。それだってそこまで重要な情報ではない。それなら下手に騒がれるよりは大人しくしてもらった方がいい。シンが死んでいることに気付いて逆恨みしてくる可能性もある。戦闘になればこいつも殺してしまう。無用な殺生は避けるべきだろう。
……。
俺の目的はこれだ。
俺は豚鼻が着ている服の胸元に手をかける。
……。
さて、と。
俺は長すぎる部分、袖と裾を捲り、長さを調整する。俺より背も高く体格の良い豚鼻が着ていた服だけあってサイズが合わず、少し不格好だが、構わない。これで問題は無いだろう。俺の足元には身ぐるみを剥がされ、半裸になった豚鼻が転がっている。お情けで下着だけはそのままにしておいた――俺がこいつの下着を着たくなかったという理由もあるけどな。
俺は半裸状態の豚鼻を転がしたままにして扉まで戻る。
『セラフ、三分で終わるんだったよな? 頼む』
俺は機械の腕九頭竜を扉に触れさせる。
『ふふん。もういいのかしら? やっと私の出番のようね』
『ああ。お前の出番だ』
さすがにもう邪魔されることはないだろう。
俺は扉に触れたまましばらく待つ。
『ふふん』
セラフの得意気な笑い声が頭の中に響く。
そして、扉が開く。
2022年8月29日誤字修正
そこに向へと → そこに向かえと




