301 最弱の男36――『何故、言い直した?』
俺はよっと掛け声を口にして起き上がる。人狼化後だからか体調は悪くない。問題があるとすれば少し空腹なことくらいだろうか。確か、服の――懐に携帯食を入れておいたはずだ。俺は携帯食を取り出そうとし、そこで自分の状態を思い出す。ほぼ全裸の姿。服は弾け飛んでいる。その懐に入れておいたものがどうなっているか考えるまでも無いだろう。
俺は大きくため息を吐く。仕方ない。シンたちと再会したら食料を分けてもらうとしよう。
周囲を見回す。
五階。端末は確実にこの階層にあるだろう。他の階層なら、すでにシンたちが見つけているはずだ。
と、そこで俺は錯覚かと思ってしまうほどの妙な――違和感を覚える。
俺が居るのは五階だ。もう一度、周囲を見回す。
俺が居るのは五階層の通路だ。だが、妙だな? こんなにもこの通路は狭かっただろうか? 短かっただろうか? 通路の奥に扉が見える。さっきまでは進んでも進んでも突き当たりが見えなかった。なのに、何故、通路の奥が?
俺は崩れた場所を通って五階に戻ってきた。俺が落下した場所を通ったということは、ここは先ほどまで居た場所のはずだ。あの時、何度も、何度も、隠し通路を探し出して探索したはずだ。その時は終端が見えないほど通路は長く続いていたのに、こんなにもあっさりと終わりが見えるとは……どういうことだ?
後少しの場所まで進んでいたのか?
……。
そうとしか考えられないか。
結局、隠し通路はハズレだったということか。
……。
まるで何者かに時間稼ぎをさせられていたかのような、そんな――
『セラフ、周囲に人の気配は?』
『ふふん。あるワケないでしょ』
そう、ここに居るのは俺とセラフだけだ。どういうことだ? 俺は、何故、ここに他に誰か居ると思ってしまったんだ? 俺の不安が妄想を生み出したのか?
俺は頭を振り、その思考を追い出す。考えてそれで答えが出るなら良いが、答えが出ないことを考え過ぎても良くないだろう。
とりあえず目の前にある扉を開けてみよう。まずは探索を――端末を見つけ出すべきだろうからな。
俺は扉に手をかける。
……。
……。
扉は開かない。
『ふふん。どうやらロックされているようね』
セラフの俺を馬鹿にしたような笑い声が頭の中に響く。
『そうか』
俺は手に持った短機関銃を見る。そのまま引き金を引き、扉に銃弾を浴びせる。
……。
扉には傷一つ付いていない。
『随分と頑丈だな』
脆く崩れやすくなっている建物の中で、この扉だけが異質だ。俺は周囲を見回す。この付近には窓がない。外から周り込むことも出来ないようだ。
いかにも過ぎる扉。もしかするとこの扉の向こうに端末があるのだろうか。
『ふふん。左手で扉に触れなさい』
俺はセラフの言葉通りに扉に触れる。
『それで?』
『ふふん。この程度の扉、一分もあれば……いえ、三分もあれば解除なんて出来るから』
セラフの得意気な声が頭の中に響く。
『何故、言い直した?』
セラフからの返事は無い。俺は肩を竦め、ため息を吐く。とりあえず三分待てばいいようだ。
と、その時だった。
ん?
俺は何者かの気配を感じ、振り返る。
……。
誰も居ない。
いや、違う。
それが崩れた床から飛び上がってきた。
それは――
「また会ったな」
見覚えのある作業用ロボットを運転する豚鼻と、その肩に乗るシンだった。
「シン、思っていたよりも早い再会だな」
俺の言葉を聞いたシンが口角を上げる。
「俺は俺の仕事を邪魔する奴を許さねぇ。それがお前という訳だ。分かるか?」
俺は肩を竦める。シンの言っていることは何一つ分からない。
「シン、何か食べ物があれば分けてくれないか? さっきからお腹が空いて大変でな」
「そうかい、そうかよ。これくらいは分けてやる」
シンが携帯食を取り出し、こちらへと投げる。
俺はそれを見ながら走る。走りながら短機関銃を乱射する。だが、その攻撃が全て作業用ロボットが生み出したシールドによって防がれてしまう。
「ひゃっはっはっは、餓鬼がよぉ! ヨロイに効く訳ねえだろ!」
豚鼻がよだれを垂らすほどの勢いで叫ぶ。俺は構わず乱射する。
カチカチカチッ。
引き金を引くが弾が出ない。どうやら撃ち尽くしてしまったようだ。
「ひゃっはっはっは。餓鬼が、潰してやる!」
作業用ロボットが拳を振り上げ、こちらへと叩きつける。俺は大きく、飛び退き、その一撃を回避する。だが、その隙を狙って、シンがこちらへと銃弾をばらまく。俺は左腕の機械の腕九頭竜を触手状に分解し、回転させて銃弾を弾く。
『ちょっと! ハッキングの途中だったのに、また一からやり直しでしょ!』
俺はセラフののんきな言葉にため息が出そうになる。
『周囲に気配は無かったんじゃあなかったか?』
『……ジャミングされているんだから仕方ないでしょ』
俺は大きくため息を吐く。
『ハッキングは後だ。こいつらを黙らせる』
俺は叩きつけられた作業用ロボットの拳へと飛び乗り、そのまま駆ける。駆け上がる。
「んだとぉ!」
豚鼻が叫ぶ。
俺はシンの横を抜け、豚鼻の顔面に膝蹴りを入れ、そのまますぐにくるりと振り返り、短機関銃をシンへと向ける。シンの突撃銃と俺の短機関銃が交差する。
「弾の残っていない銃でどうするつもりだ」
シンがニタリと笑い、引き金に指をかける。
俺はそれよりも早く引き金を引く。短機関銃から無数の弾が撃ち出され、シンを貫く。
「何故、弾が……そういうことかよ」
シンが豚鼻を見る。そのままよろよろと後退り、作業用ロボットの肩から落ちる。
俺は豚鼻に膝蹴りを入れた時、こいつの弾薬ポーチからマガジンを奪い、すぐに交換した。手品でもなんでもない。ただ、それだけだ。
「ふご、ふご」
鼻血を垂らした豚鼻が慌てて武器を探している。俺はその豚鼻の首根っこを掴み、そのまま運転席から引きずり出し、投げ落とす。
俺も作業用ロボットから飛び降りる。
これでシンと豚鼻は動けないはずだ。この間にハッキングを終わらせよう。
と、そこで、俺は背後から殺気を感じ、振り返る。
そこには体中に穴を開けたシンが立っていた。
「起き上がるか」
確かに急所は外した。だが、銃弾をもろに浴びて、作業用ロボットから落ちて、地面に叩きつけられている。瀕死の重傷を負っているはずだ。
「ガム、ガァム! お前だけが特別だと思うな!」
シンが片眼鏡を投げ捨てる。そして、その体が、肩が、肉が、筋肉が盛り上がっていく。
シンの顔が歪み、形を変えていく。
そして牛頭の化け物が生まれた。




