294 最弱の男29――『音だな』
年季を感じさせるひび割れた通路を、警戒しながら少し進むと右手に扉が見えてきた。このまま通路を進むべきか、それとも部屋を調べてみるべきか。
俺は扉の前に立ち、そのまま耳をそばだてる。中から音はしない。この部屋は外れかもしれない。
俺の目的は二つ。ここの端末を支配し、制御を取り戻すこと。取り戻す? いや、奪う、か。もう一つはこのオーキベースを乗っ取った相手を倒すことだ。その二つ――それ以外のことはオマケでしかない。
そうオマケだ。
俺は扉を開け、その中へと踏み込む。
『あらあら、良かったのかしら』
『オマケは大事だからな』
扉の先は小さな部屋になっていた。その部屋に十センチほどの大きさの機械の残骸が転がっている。その形は細長い体に羽を持ち、足が長く、ストローのように伸びた口を持っていた。
何かに似ている。
そうだ、蚊だ。機械で作られた蚊だ。その残骸が部屋に転がっている。
他には何も無い。
『部屋の中には……何も無いな』
『ふふん。外れだったようね』
俺はセラフの言葉に肩を竦め、部屋を出ようとする。
「危ない!」
俺はミカドの声に反応し、ナイフを構え振り返る。転がっていた蚊のような機械が動き出し、こちらへと襲いかかってきていた。
不意打ち!
俺の反応よりも早い。だが、その蚊は俺が構えたナイフに触れると、そのまま力尽きたようにバラバラになってしまった。そう、バラバラだ。すでに残骸のような状態だったのだ。動くだけで全ての力を使い果たしたのかもしれない。
ここで初めての戦闘か。どうやら、ここには機械が隠れているようだ。
『あらあら、突然どうしたのかしら』
セラフは残骸相手に過剰な反応を示した俺をあざ笑っているのだろう。俺は肩を竦め、部屋を出る。
通路を進む。
この建物は元々はなんだったのだろうか。なんのための施設だったんだ? 五階建ての大きな建物。どの階層も同じような造りで長い通路が存在している。これはその長い通路と同じくらいの大きな部屋があるということだろう。だが、その部屋に入るための扉が見えない。先ほどの扉からは小さな部屋にしか繋がっていなかった。他に入り口が? あるんだろうな。入り口や出口を限定する大きな部屋、か。ますますこの建物がなんの施設だったのか分からなくなる。
と、俺がそんなことを考えていた時だった。
大きな爆発音が響き、建物を揺らす。
『この老朽化した建物を揺らすほどの衝撃か』
『ふふん。これは銃声ね』
戦闘が行われている。
間違いなくシンたちだろう。
音は、何処からだ?
俺は音の方向を探る。これは……そこまで遠くはない。
……。
……。
……。
上か!
俺は走る。通路を曲がり、さらに進もうとし――その足が止まる。
先ほどの衝撃によるものか通路が崩れ落ちていた。
このままでは進めない。
飛び越えるか? 距離は二メートルほどだ。飛び越えられない距離ではない。
俺は周囲を見回す。
「窓だ」
「窓?」
俺はミカドの言葉を聞き、そちらを見る。そこには窓が並んでいた。
俺は左手で窓を叩き割り、そこから頭を突っ込み、外を見る。窓の下には人がなんとか乗れそうなほどの出っ張りがあった。ここを渡っていけば、崩れた通路の先に進めるかもしれない。
……。
いや、待て。
俺は上を見る。そこにはこの階と同じような出っ張りが見えていた。多分、その先に同じように窓があるのだろう。
俺は割った窓から身を乗り出し、そのまま飛び上がる。出っ張りを掴み、体を持ち上げる。そこには予想通り、窓があった。
俺は軽く窓を叩く。硬い。4階よりも随分と硬い気がする。これはちょっとやそっとのことでは壊れないかもしれない。
ふぅ。
俺は大きく息を吸い、吐き出す。そして、左腕に力を入れ、指と指を何かつまむように尖らせ、そのまま思いっきり叩きつける。その一撃によって窓が凹む。
『これでも壊せないか』
「積層型強化ガラスだ。他の道を探そう」
下の階からミカドの声が聞こえる。確かにその方が早いかもしれない。
だが!
俺は狭い足場で体の向きを変え、窓を背に、立つ。
ふぅ。
息を吸い、吐き出す。
俺は飛び上がり、そのまま身を捻る。その回転の力を足し、窓を蹴る。蹴破る。
建物の中へと戻る。中に入った勢いのままゴロゴロと転がり、受け身を取る。
『音だな』
『ええ、かなり近いようね』
いくつもの銃声が聞こえる。先ほどまでの静寂を破る戦闘の音色。
俺の前には大きな扉があった。この先から銃声が聞こえている。
俺は扉を開ける。
そこは大きな吹き抜けになっていた。手すりのついたベランダのような通路が続いている。
銃声は?
俺は音の聞こえる方を見る。
そこにシンたちの姿があった。
シンたちが銃を撃ちながら逃げている。あの小さな部屋で見かけた蚊のような機械が――通路を埋め尽くすほどの数の機械がシンたちを追いかけていた。




