292 最弱の男27――『今は年末だったのか? それに内藤さんって誰だよ』
生きていたのか。
汚物まみれのぬいぐるみがこちらに手を伸ばす。
俺と握手でもしようというのだろうか?
「船長おぉぉぉっ」
フラスコが異様な速度でぬいぐるみのクマに駆け寄り、懐から葉巻を取り出す。ぬいぐるみのクマが、そのぬいぐるみの手で器用に葉巻を受け取り、それを口に咥える。
「ふむ」
ぬいぐるみのクマが指をパチンと鳴らす。すると、そこから小さな火花が飛んだ。葉巻に火が点く。咥えた葉巻に火を点け、ぷかぷかと煙を吐き出したぬいぐるみが値踏みするような目で俺を見ている。どうやら俺の言葉を待っているようだ。
俺は小さくため息を吐く。
「なんでぬいぐるみなんだ? そういう生き物なのか?」
ぬいぐるみのクマが葉巻を燻らす。
「ワイルドな半ズボンのボーイ、海の漢に過去を聞くもんじゃあない」
ぬいぐるみのクマが片目を閉じてニヤリと笑っている。俺は肩を竦める。
『こいつはマシーンなのか? それとも人造人間か?』
『ふふん。どうやら全身を機械化しているようね。脳もチップ化しているんじゃないかしら。何故、ぬいぐるみの姿かは分からないけど』
なるほど。ぬいぐるみの姿の義体というワケか。
『つまり、こいつも頭のおかしい類という訳だな?』
『あらあら、自分だけが正常なつもりかしら』
俺は肩を竦め、美味しそうに葉巻を吸っているぬいぐるみを見る。ぬいぐるみは生き返るとか呟いているが、そもそもこいつを生きていると言っていいのだろうか。
「それで、あんたが船長か」
「ああ。ミーがスワンの船長のホワイトだ」
どうやらこのぬいぐるみのクマが船長で間違いないようだ。
「俺はガムだ」
「ガムボーイ、良いクルマを持っているな。ナイスファイトだ」
ぬいぐるみのクマが器用に親指を立ててサムズアップする。
「俺はそこのフラスコから依頼を受け、それを達成しただけだ。さっそくで悪いが報酬をもらいたい」
ぬいぐるみのクマが葉巻を燻らせ、フラスコを見る。
「フラアァスコ、ミーにスピーク、説明だ」
フラスコが眼鏡を光らせ、説明を始める。。
「ええ。船長、ご説明しますね。僕はあの戦いで船長が死んだと思いました。思ってしまったんですよ。だって、あれは仕方ないじゃ無いですか。いくら不死身の船長でも死んだと思いますよ。思いますよね。それで仇を討つことにしたんですよ。でも、僕一人で出来ることなんて限られているじゃないですか。これは仕方ないですよ。それでですね、漁業組合のタマ無しはタマ無しらしく頼りにならなかったので、ウォーミのオフィスに依頼を出しました。そこもタマ無しばかりでしたが、一人だけギリギリタマ無しが居たんですよ。僕はそいつの……」
「スタァップ。フラスコ、報酬を言いなさい」
ぬいぐるみのクマが苛々したように片足をパンパンと叩いている。
「あ、はい。船です。ガムさんには船を報酬として渡すことになっていますね。僕もまさか船長がしぶとく生きているとは思わなかったので、こうなるとは思わなかったのですよ。失敗ですね。まぁ、他に渡せるようなものも無かったですし、これは仕方なかったと言えるでしょうね。それもまぁ、全ては……」
「フラアァスコ、つまり、ミーのスワンを報酬にしたということですか」
ぬいぐるみのクマがフラスコに葉巻の煙を吹きかけ、その言葉を遮る。
「あ、はい。その通りですね」
フラスコの眼鏡が真っ白に曇っている。
この茶番はいつまで続くのだろうか。
「それで?」
俺は二人の話に割って入る。フラスコが俺を見る。
「あのですね、船長が生きていたので、報酬の船は無しということで……」
フラスコがそんなことを言い始める。ぬいぐるみのクマがそのフラスコを殴る。
「シャーラップですよ、フラスコ」
「あ、はい」
フラスコがピシッと気をつけの姿勢で固まる。
「ガムボーイ、ソーリーだ。フラスコが勝手にやったことだが、フラスコも一応、ミーのファミリーだ。報酬は渡す」
「え! でも、船長。そうするとこれから漁業はどうするんですか。船が無いですよね。無くなりますよね。せっかく蟹を追い詰めたのに、書き入れですよ、書き入れ。書き入れ時ですよ。船長、思い出してください。あの伝統の言葉ですよ、年末は蟹を食べてパーティ内藤さん、ですよ。それを諦めるんですか!」
報酬を船にすると決めたはずのフラスコがしれっとそんなことを言い始める。
『今は年末だったのか? それに内藤さんって誰だよ』
『バンディットたちはいつもワケの分からないことを言っているでしょ。同じよ、同じ』
セラフは呆れた様子でそんなことを言っていた。こいつらの会話に参加したくないのだろう。
しかし、だ。
「蟹を食べるのか」
俺は思わず話に割り込み聞いていた。
「ええ、食べますよ。食べますよね。普通ですよ」
「ガムボーイ、蟹は美味しいぞ。しかも、高く売れる。ハイリターンだ」
ぬいぐるみのクマが悪い顔で葉巻の煙を燻らせていた。
「人を食べる蟹を食べるのか」
俺はとてもではないが、食べる気にならない。
「え? その何が問題なんです? ガムさんは意外と細かいことを気にするんですね」
「ガムボーイ、弔いだ。イートすることで血肉となり、ファミリーになる」
こいつらの言っていることは何一つ分からない。
俺は大きくため息を吐く。
話を戻そう。
「それで報酬は?」
俺はこの返答で対応を決めることにする。
「ええ、そうですね。このファイブスターの死骸でどうですかね。使える部品は多いと思いますよ。船はやはり無しと言うことで……」
フラスコがそんな舐めたことを言い始めた。
俺はため息を吐く。どうやら、この舐めた眼鏡に分からせる必要があるようだ。
と、俺がそう思った時だった。
ぬいぐるみのクマがフラスコを勢いよく殴る。フラスコがくるくるとねじり飛ぶ。なかなかの破壊力だ。
「ガムボーイ、フラスコは後でお仕置きしておく。許してくれ。スワンは今からガムボーイの物だ」
「いいのか?」
「海の漢がノープロミスはプロミネンスだ。構わないさ」
ぬいぐるみのクマは気取った様子で葉巻を燻らせている。その指はぷるぷると震えていたが見なかったことにしておこう。言っていることの意味は分からないが、これでスワンボートが手に入ったようだ。オーキベースに向かうための、念願の船だ。
俺は小さくため息を吐く。
そして、俺はこの船長の決断を聞き、決めていたもう一つの――最悪では無い方の選択をする。
「ホワイト船長、そのことで相談がある」
「ガムボーイ、何かね」
俺は提案する。
「報酬の船だが、不要だ」
ぬいぐるみのクマが驚いた顔をする。
「ガムボーイ、だが、それは……」
「まぁ、聞いてくれ。俺は急ぎ向かいたい場所がある。そこへ俺を運んで欲しい。報酬は俺が望んだ時に、いつでも船を出す。それでどうだ?」
ぬいぐるみのクマが葉巻を咥えたまま、片目を閉じてニヤリと笑う。
「ガムボーイ、了解だ。このまますぐかな?」
俺は頷く。
「頼みたいのはオーキベースまでだ。急ぎで頼む」
「ヨーソロー。フラスコ、スワンを出す。ハーリー、準備しろ」
「え! 船長、蟹はどうするんですか。今がチャンスですよね」
まだそんなことを言っているフラスコの頭にホワイト船長のげんこつが落ちる。
『飛び上がってまで頭にげんこつを落とすとは器用なクマだな』
『ふふん。あんななりでも機械化だもの、性能は悪くないんでしょ』
蟹のハサミに挟まれながら何日も生き延びたのも、食われていながら生き延びたのも、そのおかげか。
俺は肩を竦め、ホワイト船長たちの後について行く。
「フラスコ、出港だ。目的地はオーキベース。ガムボーイにスワンの素晴らしさをティーチだ」
「よーそろー」
クマのぬいぐるみがスワンボートにすっぽりとはまり、その屋根の上にはフラスコが蛮族スタイルで収まっている。
俺は箱の中のバーカウンターにもたれかかり、肩を竦める。
そして、そのままの流れでオーキベースへの航海が始まる。
『とりあえず、これでオーキベースに向かうことは出来そうだな』
『ふふん。そうね』
ファイブスターの戦闘から休む間もなく、だが、ゆっくりしている時間は無い。これは仕方ないだろう。ファイブスターの懸賞金を受け取るのも全てが終わってからだ。
『あら? 私が受け取っておいても良いけど?』
『お前が受け取ると、勝手に武器を買われそうだからな』
『あらあら! グラムノートはとても役に立ったでしょ?』
俺は肩を竦める。
船の旅は何事も無く、順調に進んだ。
ホワイト船長はこの辺りの海域を知り尽くしているのか、ビーストやマシーン、海のバンディットたちなどの襲撃を受けることも無かった。
『まぁ、こいつら自身が海のバンディットみたいなものだからな』
『ふふん。その通りね』
そして、島が見えてくる。
「ガムボーイ、あれかね」
ホワイト船長が島を指差す。
『セラフ』
『ええ。間違いないわ』
俺は頷く。
「ヨーソロー。スワンを接岸させる」
島が近づく。
島はところどころに草が生え、荒れてはいるが、しっかりと舗装された道が走っていた。いくつかコンクリートの建物も見える。
スワンボートが島に接岸する。そこにはすでに大きな船が停泊していた。
『シンたちか』
『ええ。間違いないでしょうね』
俺たちがウォーミに向かっている間に先行されてしまったようだ。
「それでは行ってくる」
俺はグラスホッパー号を動かし、箱から渡されたタラップの上を走り、島へと上陸する。
「ガムボーイ、ミーたちは、また三日後に戻って来る」
「分かった」
スワンボートがオーキベースから離れていく。
『あらあら。三日後で良かったのかしら?』
『三日もあれば終わるだろう?』
割れたアスファルトの上をグラスホッパー号で走る。
生き物の気配を感じない。
『ここは元々無人だったのか?』
『いえ、違うわ。何かあったのは間違いないようね』
気になることもある。
この島――オーキベースに近づいても襲撃が何も無かったことだ。マシーンの襲撃も無い。
『あのヘリはここから来たんだよな?』
『あら? 私を疑っているのかしら』
俺は肩を竦める。
そして、ヘリポートのある大きな建物が見えてくる。まるで絶海の孤島にある監獄のような趣がある建物だ。
ヘリポートには壊されたヘリがいくつも並んでいた。
『これを破壊したのは……』
『ええ、連中でしょうね』
先行したシンたちがヘリを破壊したのだろう。
俺は建物を見る。
『ここが目的地か?』
『ええ。ここがこの島の司令塔ね』
建物の前には見覚えのあるクルマの姿があった。シンたちのクルマだろう。どうやら連中は建物の中らしい。
『静かすぎるな』
『あらあら。怯えているのかしら』
『慎重になっているだけさ』
俺は肩を竦める。
罠としか思えないが、進むしか無いだろう。
本年最後の更新になります。
次回の更新は2022年1月6日木曜日の予定になります。
一年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
よいお年を。




