286 最弱の男21――「それで船は?」
改めてグラスホッパー号を発進させる。
「ガムさん、先ほどの話ですが……」
と、助手席に座ったフラスコが恐る恐るといった感じで話しかけてくる。
「先ほど?」
「ええ、先ほどの話ですよ。あの五百万コイルというのは本当ですか?」
フラスコは困惑した顔で俺を見ている。
なるほど。俺が言ったことをはったりだと思っているのかもしれない。確かにここにいる俺が、どうやってその情報を手に入れたのか、そう思っても――信じられないのも当然だろう。
「本当だ」
俺は自分の右目辺りをとんとんと叩く。セラフからの情報だからな。
「ああ、オフィスと通信した、と、そういうことですね。優れた上級クロウズの方は脳内に情報端末を移植すると、知ってますよ」
フラスコがメガネをクイッと持ち上げ、したり顔でこちらを見る。それくらいは知っている、言い当ててやったと得意になっているのだろう。
俺は肩を竦める。
「それで船は?」
俺たちが会話している間にも停泊していた船が次々と出航している。このままだとかなり出遅れてしまうことになるだろう。
「ああ、アレです、アレですよ」
眼鏡のフラスコがそれを指差す。
俺はフラスコが何を言っているのか、分からず首を傾げる。いや、俺は分かりたくなかったのかもしれない。
そこにあったのは白鳥の頭が燦然と輝く屋根付きのボート、そう――スワンボートだった。
しかも、そのスワンボート、屋根の上には凶悪な姿をした銛とその射出台がくっついていた。
戦闘が出来るように改造されたスワンボート?
確かに船だ。船なのは間違いない。だが、これは小舟だろう?
「本気か?」
「どうしたんですか? 船ですよ」
フラスコがきょとんと首を傾げている。思わず拳を叩きつけそうになるが、その感情を抑え込み、ため息を吐く。
報酬として船を渡す?
こんなスワンボートを渡すつもりだったのか?
これで、海を進むつもりなのか?
「どうやってクルマを乗せるつもりだ?」
俺の言葉を聞いたフラスコがポンと手を叩き、グラスホッパー号から降りる。そのままスワンボートに乗り込む。
俺が何をするつもりだと思っている間に、そのスワンボートが動き出す。スワンボートのペダルが自動的に恐ろしい速度で回転し、水飛沫を上げながら発進する。
そして波止場から少し離れた場所で止まる。
『何が起きている? このまま俺は地上に放置されるのか?』
『さあ? もう少し待ってみれば?』
俺はセラフののんきな言葉に肩を竦める。
「どうぞですよ!」
フラスコがスワンボートから身を乗り出し手を振る。
それが合図だったかのように水面が盛り上がる。水中から巨大な箱が浮かび上がってくる。
窓のついた箱――いや、水中に潜航していたそれは潜水艦だろうか。
金属の箱?
その箱が開き、そこからタラップが波止場へと渡される。箱の中はクルマが三台くらいは駐められそうなほどの広さがある。
箱の中を見回す。そこには何故かテーブルや椅子、バーカウンターなども置かれていた。そこだけ見れば客船の一室のようだ。
……。
『良く分からない代物だな』
『こちらには動力は無いようね』
俺はセラフの言葉を聞き、箱とスワンボートを見る。よく見ると箱とスワンボートが繋がっている。そして、セラフの言葉通り、箱自体に動力や推進器のようなものは見えない。
どうやらあのスワンボートがこの箱を引っ張って進むようだ。
俺はクルマが乗る船と言うからフェリーのようなものを想像していたが、これはこれで……。
とりあえずグラスホッパー号を動かし、箱の中へと乗り込む。それにあわせてタラップが戻り、箱が閉じていく。
俺は箱につけられた窓から外を見る。スワンボートが箱を引っ張り海上を進んでいる。
なるほど、確かに船のようだ。予想外の形をしているが一応、船と呼んでもいいだろう。だが、戦うには少し不便な形では無いだろうか。
「ガムさん、何を飲みます? ここにはぶどう酒からワインまであるんだ」
俺はその声に驚き、そちらへと振り返る。そこには得意気な顔でワインボトルを揺らすフラスコの姿があった。
「フラスコ、船は? 運転は大丈夫なのか?」
こいつ、どうやってスワンボートからこの箱に移動してきたんだ?
「へ? ああ、ファイブスターが守っている海域までオートパイロットにしたから大丈夫なんだ。だから一杯やるんですよ」
船乗りが大丈夫というのだから大丈夫なのだろう。それで、どうやってスワンボートからこちらに移動してきたんだ?
『それ、重要?』
『いや、別に』
俺は大きくため息を吐き、グラスホッパー号から飛び降りる。
「ぶどう酒もワインも同じだろう?」
そのままバーカウンターの前に座る。
「え? 同じ? 本当に? でも、ラベルにはこっちはワインで、こっちはぶどう酒になって、え? 本当にどういうことですか!」
俺は肩を竦める。
「文字が読めるのか」
「ガムさん、航海士は海図と文字が読めなければ仕事にならないんです。読めて当然ですよ」
フラスコが得意気に眼鏡を光らせている。
「そうか。とりあえずそこの白ワインをもらうよ」
「こっちはぶどう酒、こっちはワイン? 白ワイン? 白ぶどう酒は無かった? やはり違うものでは? 分からないんですよ」
何やら混乱しているフラスコを横目に白ワインを手に取る。
『あら? ワインの味がお前にわかるのかしら』
『お前は分かるのか?』
『分かる訳ないでしょ。馬鹿なの? 常識的に考えたらどうかしら?』
俺はため息を吐き、ワインを開ける。
適当にグラスに注ぎ、口に含む。
……。
そして、思わずそれを吹き出しそうになる。
俺は白ワインのボトルを確認する。そこには確かに白ワインと書かれている。
『なんだ、これは?』
だが、中身は水で薄めた酢だった。
航海の出だしから最悪だ。




