285 最弱の男20――「そうか。そうなるといいな。まぁ、無理だろうが」
「さすがですよ。さすがは僕が見込んだだけはありますよ」
眼鏡を持ち上げながら何か言っているフラスコを無視して、間抜けな格好で倒れている筋肉女を助け起こす。そのまま筋肉女の背中を軽く叩き、活を入れる。
気絶していた筋肉女が咳き込みながら息を吹き返す。
「げほ、げほ」
目覚めた筋肉女が驚いた顔で俺を見る。
「それで?」
「う、げほ、げほ……あ、あんた名前は?」
筋肉女が咳き込み、絞り出すような声で名前を聞いてくる。この筋肉女にとっては、それは、体を回復させるよりも、呼吸を整えるよりも――優先するべきことなのだろう。
「ガムだ」
筋肉女がよろよろと起き上がる。
「そうかい。あんたが、あの噂のガムか。こんな子どもだとは思わなかったよ」
「それで?」
俺が軽く睨み付けると、筋肉女は降参とばかりに両手を挙げた。
「悪かった。子ども扱いして悪かったよ」
俺は筋肉女の謝罪にため息で返し、グラスホッパー号に飛び乗る。ここまですれば、もう絡んでくる輩も居ないだろう。
「さすがですよ、ガムさん」
フラスコが眼鏡をクイッと持ち上げながら得意気な顔で微笑んでいる。俺はため息を吐き、ハンドルを握る。
「船は何処だ? 何処に行けばいい?」
「あっちに……あちらですよ」
揉み手でもしそうな雰囲気のフラスコの案内を聞き、グラスホッパー号を動かす。
と、そのグラスホッパー号の進路を塞ぐように人が飛び出す。
「まだ何か?」
俺は大きくため息を吐き、グラスホッパー号を止める。
「待っとくれよ」
それは筋肉女だった。復活が早い。
「分かった。五秒だけ待つ」
「あんたは、そこのクソ眼鏡の依頼でファイズスターを倒しに行くつもりなんだろう?」
「五……、」
俺は筋肉女に見えるように右手を広げる。
「その依頼、待っとくれよ」
「四……、」
まずは親指。俺は数えると同時に指を曲げていく。
「あたいらも手伝う……」
「三……、」
筋肉女は慌てた様子で両手を振っている。手伝うと言えば俺が止まると思っていたのだろうか。
「手伝うって言っている。あたいらもファイブスターを倒すつもりだよ!」
「へ?」
そこで隣のフラスコが間抜けな顔で驚きの声を上げた。
「二……、」
「ガ、ガムさん。これは話を聞いた方がいいですよ!」
「一……、」
俺はカウントを続ける。
「ガムさん!」
「ガム」
「ガムの兄貴!」
「大将!」
フラスコや筋肉女だけではなく、周りに居た男たちまでが俺の名前を呼ぶ。好き勝手に呼んでいる。誰が誰の兄で大将なんだろうか。
俺は大きくため息を吐き、肩を竦める。この洞窟に入ってから何度目のため息だろうか。
『ふふん。十回は超えているでしょ』
『そりゃどうも。どうりで不運なはずだ。それだけのため息を聞いたんだ、幸せもうんざりして逃げているだろうな』
俺は改めて筋肉女を見る。
「それで?」
「それでって、もう少しコミュニケーションを取ろうとしとくれよ」
「そうだ、そうだ」
「暴力反対だぞ」
「これは圧迫面接だ!」
「俺たちには君の話を聞く用意がある」
周囲の男たちが好き好きに騒いでいる。俺はため息を吐く。
「それで、何が言いたい? 何がしたい? 何故、引き留める?」
「さっきも言ったが、あたいらも手伝うよ」
俺はため息を吐く。
「そうか。勝手にしてくれ」
「な! 手伝うって言ってるんだよ!」
俺は肩を竦める。
「あんたらとこいつの関係性は知らない。俺は何も知らない。俺はこいつから依頼を受けた。その依頼をこなすだけだ」
「あたいらの力は役に立つはずだよ」
俺は目に力を入れ、睨むように筋肉女を見る。
「手伝う? それは俺に負けたからこびを売ろうと言っているのか? 恩を売ろうとしているのか?」
筋肉女が首を横に振る。
「違う。あたいらは最初からホワイトのヤツを助けに行くつもりだったよ。あんたらが来たのはその準備をしていた時だったのさ」
俺は筋肉女の言葉を聞き、停泊している船を見る。樽のようなものが積み込まれている。確かに、俺たちがここに着いた時、男たちは何かの作業を行っていた。
「なるほどな」
俺は肩を竦める。
「それだけじゃあねえですぜ」
「ああ、そうだぜ」
回りの男たちが騒いでいる。
「そこのクソ眼鏡が消えた後、あたいらでコイルを出し合ってファイブスターの賞金額を上げたのさ! これで倒そうとするヤツも増えるだろうね。賞金首を狙ってわんさか助っ人がやってくるって寸法さ!」
筋肉女が得意気にふんすと鼻息荒く大胸筋を持ち上げている。
「そうだ、そうだ」
「そうだぜ!」
「海の漢は丘のタマ無しとは違うんだぜ。コイルは惜しまないのさ!」
周囲の男たちが叫んでいる。
『本当か?』
『ええ、間違いないから。さっき賞金額が跳ね上がったから驚いたけど、こういうことだったのね』
なるほど。こいつのトンネルを走っていた時の思わせぶりな態度は、コレか。
『いくらまで上がったんだ?』
『ふふん。聞いて驚きなさい。なんと五百万コイルよ』
『本気かよ。こいつら、馬鹿なのか』
俺は周囲の男たちと筋肉女を見る。とても五百万コイルを支払えるような連中には見えない。
「そうか。いくらにしたんだ?」
「あたいらは天下の漁業組合さ。ちまちましたことはやってられないからね。過去最高額にしてくれって頼んだのさ。その賞金額を上げるだけでも結構な手数料を取られたのは驚いたけどね。出し合ったコイルが無かったらヤバかったよ」
筋肉女が得意気にそんなことを言っている。
「そうか。五百万コイル、払えるといいな」
俺がそう告げると分かり易いほど、周囲がざわついた。
「あ、姐さん」
「船を担保にしても」
「キツ、キツぅ」
「姐さんに任せたのが悪かった」
「オワタ」
男たちが情けない顔で叫んでいる。
「おい、こら! ま、待ちなよ。だ、だ、だ、だ、大丈夫だよ。五百万、ご、ご、ご、五百万? そ、そうだ。そうだよ! あたいらが倒せば問題無い。問題無いよ!」
「そうか。そうなるといいな。まぁ、無理だろうが」
俺は周囲の連中に笑いかける。集まっていた男たちが慌てたように作業に戻る。俺がなんのためにここに来たのかを思い出し、俺よりも先に倒そうと思ったのだろう。
「こ、こ、こ、こ、こうなったらどっちが先にファイブスターを倒すか勝負だよ!」
筋肉女がぷるぷると筋肉を震わせながらそんなことを言っている。
「おや? 助けてくれるのだろう?」
「な、無しだ。無しだよ!」
「そうか。それは面白い」
俺は口角を上げる。
「ち、地上では後れを取ったが、う、海の上なら負けないよ!」
筋肉女も慌てて船へと戻っていった。
『船に五百万コイルか。随分と美味しい依頼になったな』
『あらあら。そうね。でも本来の目的を忘れたら駄目よ』
『分かっているさ』
オーキベースを攻略する前のお小遣い稼ぎだ。




