272 最弱の男07――「じいさん、作物の育成、頑張ってくれ」
「なるほど。それで、何故、俺たちが水門を開けたいか、その事情は聞いているのか?」
俺は目の前のじいさんに聞いてみる。何も知らないから反対している可能性もある。
「ふん。あの襲ってきた奴らを倒すために水門を通る必要があるんだろ。それがどうした」
どうやら、このじいさんはしっかりとこちらの事情を知っているようだ。その上で反対している、と。
『ふふん。それでどうするつもり?』
『いや、どうもしないさ』
このじいさんしか水門を開けることが出来ない。そして、この様子ではどうやってもまともな説得は難しいだろう。
他に取れる手段としては……まともではない説得だけだろう。
『一つ聞きたい』
『ふふん、何かしら?』
俺はセラフに確認する。
『綺麗な水が貴重で高価なのは知っている。農作物に関してはどうなっている?』
イリスが毎日の食事に出すくらいだ。そこまで高価なものではないはずだ。だが、こうやって農作物を育てようとしている人物が居るのを見ると、俺は何か勘違いしているのではないだろうかと思ってしまう。
『ふふん。そうね、地下にバイオプラントがあるの。あの野菜はそこで育てているものでしょ。とーっても特殊な品種改良をされたものだから、適度に駆除しないと繁殖し過ぎるくらいの生きが良い野菜たちよ』
『なるほど。確かに食べるのに苦労しそうなほど生きが良かった』
地下に畑を作っているのか。となると、その畑は今回の襲撃でも無事だっただろうな。
『作物を育てる水はどうしている?』
『考えなくても分かるでしょ。地下水ね。天然のろ過装置を使っているから、湖の水を使うよりも安心安全でしょうね』
『そうなると、ますます湖の水を使う必要が無いな』
『そうね。そうなのよ。もう一つ言うと、水門が閉じられていることが原因で湖が淀み、魚が住めないほど汚染されているみたい。ふふん、このクソジジイは、とても愚かなことをしているようね』
ますますあの時に湖を泳いで渡らなくて良かったと思う。しかし、だ。
『そこまで湖が汚染されているなら逆に水門を開けるのは不味くないか? 海が汚染されるだろう?』
『ふふん。海にはそれを食らって浄化する微生物がいるから大丈夫よ。何年かすれば湖も綺麗になるでしょ』
海洋プランクトンか。
『その微生物を湖に放つことは出来ないのか?』
『水門を開ければそうなるでしょ。馬鹿なの?』
セラフの呆れたような声が頭の中に響く。
『なるほど。このじいさんが厄介だと言われている理由がよく分かった』
俺は肩を竦め、改めてじいさんを見る。じいさんがやっていることが完全に無駄で自己満足でしかないことが良く分かった。
「な、なんだ。睨み付けても水門は開けんぞ」
俺は大きくため息を吐く。
「じいさん、水門を開けた方が湖が綺麗になるのは知っているのか?」
「湖が綺麗になったからどうだっていうんだ。海水と混じること以上の不味いことがあるか!」
じいさんが興奮したように唾を飛ばし喋っている。
「今の汚水を与えることも不味いと思うけどな」
「ふん。騙されんぞ。以前も学者連中が来て似たようなことを言っていた。あいつらは頭の中で考えたことが正しいと思っている素人だ。土壌だとかぺーぺー? はーはー? 良く分からない単語でわしを騙そうとする! 土の成分? そんなもの、考える必要無い! わしに意見するなんて百年早い! わしがどれだけ作物を育ててきているか分かってない! わしの方が経験がある。わしには長年の経験がある! わしの方が正しいと何故、わからん!」
じいさんが顔を真っ赤にして喋っている。興奮しすぎて倒れそうな勢いだ。
……これは無理だな。難しいではない、無理だ。
「じいさん、作物の育成、頑張ってくれ」
俺は軽く手を振り、そのまま掘っ立て小屋を出る。
説得するのは無理だろう。
無理矢理言うことを聞かせるのも無理だろう。何かすれば自殺でもしてしまいそうな勢いだ。
『自分が正しいと盲信している人間を説得するのは無理だ』
『それで、どうするつもり? ふふん。またどうもしないって答えるのかしら』
『あのじいさんに後継者はいるのか?』
『居るように見える?』
俺はため息を吐く。
『つまり、じいさんが死ねば水門は永遠に開かなくなるということか』
『そうね』
あのじいさんの様子だと死ぬまで水門を開けることはないだろう。自己満足で畑の作物を育てて、それで終わりだ。
『厄介なじいさんだ』
『だから、そう言ったでしょ』
俺は肩を竦めてグラスホッパー号に乗り込む。
『とりあえず水門を見に行く』
『はいはい』
俺はグラスホッパー号を走らせ水門へと向かう。
湖を北回りにウォーミへと向かうルートに水門はあった。以前は橋だと思っていたものが水門だったようだ。
俺は橋の上から水門を見る。
苔がこびりつき、緑に変色した巨大な金属製の板が湖に浸かっている。特殊な金属で作られているのか腐食している様子も無い。後、数百年は持ちそうな代物だ。
『こんなもの、どうやって開けるんだ?』
金属製の板が持ち上がる形の水門だ。これを人力で開けるのは無理だ。人が何人いようが持ち上げることは出来ないだろう。
『さあ? 制御装置があるんでしょうね』
セラフの返答は投げやりだ。
……。
ここで水門を眺めていても何も解決しない。一度、戻った方が良いだろう。
確かにこれはウォーミの漁業組合を説得した方が早いかもしれない。




