271 最弱の男06――「それで、それの何が問題なんだ?」
瓦礫の山の中、グラスホッパー号を走らせる。
『確か、この辺りはレイクタウンの富裕層が暮らしていた区画だったか』
オーツーに呼ばれてこの区画に来たのが随分と昔のことのようだ。だが、今その時の面影は無くなっている。この辺り――ここ周辺は先ほどまでの場所よりも念入りに、入念に破壊し尽くされていた。あの時に出会った警備員の姿も見えない。もしかすると襲撃に巻き込まれたのかもしれない。
『あらあら! 随分と感傷的』
『ただ、この世界、この時代は人の命が軽いと再確認していただけだ』
あっさりと命が消える。強者も、弱者も、関係無く。
そして、開けた場所に出る。そこは、この区画にこんな場所があったのかと驚かせるほど一面の土に――黒土にまみれた場所だった。
ここには瓦礫も見当たらない。元々、建物がなかった場所なのだろう。
『土?』
俺はグラスホッパー号から飛び降り、土を掬う。砂ではない。何処か黒ずんだ粘り気のある土だ。
『こんな砂と荒野しかないような場所で、土、か』
近くに湖という水源があるのだから、土があってもおかしくない。いくつもの木々が生え、森となっている場所だってあった。おかしくないはずだ。だが、ここまでの土らしい土を見たのは初めての気がする。
俺は手の中の黒土を払い落とす。黒土に触れていた指が少しだけ痛む。土に何か混ざっていたのかもしれない。
『あら、そう。これがそんなに珍しいかしら』
セラフはあまり興味が無いようだ。
『そうなんだよ。それで、あれが目的の場所か?』
その黒土の奥に、以前の富裕層向けの区画だったならば違和感しかなかったであろうボロボロの掘っ立て小屋があった。
『襲撃の後に慌てて作ったのか、それともオンボロすぎて見逃されたのか、どちらだろうな?』
『ふふん。以前から、アレだったみたいね』
ここには、レイクタウンが襲撃される前から掘っ立て小屋があった訳か。
『となると、襲撃の際、見逃された訳か』
その理由はなんだ? 壊さない方が襲撃者にとって得になるからか? それともあの掘っ立て小屋に住んでいる人物が襲撃者と繋がっているのか?
で、だ。
『あそこに住んでいるのが、その厄介なじいさんか』
俺は真っ黒な柔らかい土を踏みしめ、掘っ立て小屋へと歩く。
その掘っ立て小屋の扉が勢いよく開く。その勢いだけで建物が崩れてしまいそうなほどだ。
扉から現れたのは片眼鏡の男。
「その言葉、覚えておけ!」
その片眼鏡の男が扉の中へと悪態をつく。そして、そのままこちらへと歩いてくる。俺のことなんて見えていないようだ。
「おっと」
俺はわざとらしく、そう口にしながら片眼鏡の男を避ける。片眼鏡の男は俺を睨み、そのまま何も言わず、その場を立ち去った。
『何者だ?』
『さあ? 私が分かる訳ないでしょ。馬鹿なの?』
俺は肩を竦める。
『で、あの男が水門を管理しているじいさんじゃあないだろう?』
『見れば分かるでしょ』
さっきの片眼鏡の男は爺さんという年齢ではなかった。裏の仕事でもやってそうな厳つい外見――今まで生きてきた世界の苦労が分かるほどの深い皺を顔に刻み、荒事が当たり前の世界の住人らしい傷だらけの肌を晒していたが、年齢は、まだ三十代といったところだろう。
決して、じいさんという年齢ではない。
『それではご対面と行こうか』
俺は開かれている扉から掘っ立て小屋の中に入る。
中は外からの見た目通りに驚くほど狭い。その狭い室内に、不釣り合いなほど豪華なベッドと投げ出されるように放置されたクワや鋤、如雨露などの農作業用の道具があった。
そして、その部屋の中央には、背を曲げた小さな爺さんが居た。立つのもやっとなのか、ぷるぷると体を震わせている。
「あんたが水門の管理をしているじいさんか?」
ぷるぷるしたじいさんがゆっくりと顔を上げ、俺を見る。その顔が一瞬にして怒気に包まれる。
「またその話か! 出ていけ! 水門は開けん!」
唾がこちらにかかりそうな勢いでぷるぷるしたじいさんが一気に捲し立てる。
俺は肩を竦める。
『どうやら水門を開けろという話は俺以外からも出ているようだな』
『そのようね。レイクタウンのオフィスでもオーキベースに攻め込む話が出ているようだから、誰かが話に来たんでしょ』
オフィスでも、か。
ん?
『その情報を流したのはお前か?』
『まさか。ノルンの端末なら、すぐに分かることだから。私が伝えるまでもないことでしょ』
すでにオフィスが動いていた、ということか。
『その割には、オフィスにそんな雰囲気はなかったようだが?』
『どうやら、情報を教える人間を限っているみたいね』
なるほど。オーキベースもノルンの端末がある場所だ。攻め込み、下手をすれば、マザーノルンに繋がる情報を知られてしまう可能性がある。信頼が出来ないような人間にその情報を教えることは出来ないだろう。
――信頼、か。人類の敵が人に対して信頼とは冗談みたいな話だ。
「じいさん、なんで水門を開けてくれないんだ?」
「わからんのか! そんなことをすれば土が駄目になる!」
土が駄目になる?
「良く分からないな。どういうことだ?」
俺は疑問に思ったことをそのままじいさんに聞いてみる。
「水門を開けて海水なぞ混ざってみろ! 湖の水が駄目になる! 土は塩でやられて作物が育たなくなる。一度開ければ、海水の影響を除くために、何年、それこそ何十年かかるか分からない。お前らは何故、それがわからんのか!」
俺は肩を竦める。
このじいさんの言っていることの意味が本当に分からない。
このじいさんは作物を育てているようだ。外にあったのは――あの黒土は、どうやらこのじいさんの畑だったようだ。
「それの何が問題なんだ?」
「わしの育てている作物は未来だ! この世界の未来ぞ。餓えを救い、命を繋ぐ。それがわからんか!」
俺はもう一度、肩を竦める。
『そうなのか?』
『ふふん。湖の汚水で天然の品種改良が施された草が食べられるならそうなんでしょ』
『なるほど。あの時、湖に入らなかったのは正解だったようだ』
いつか食べられる野菜が奇跡的に生まれるかもしれない。だが、現状ではただの自己満足で無駄なことでしかない。このじいさんがやっていることはそういうことらしい。
「それで、それの何が問題なんだ?」
俺はもう一度、聞く。
「お、脅すつもりか! あの水門はわしにしか開けられん! わしを殺せば永久に開かなくなるぞ」
このじいさんの言っていることは本当だろう。そうでなければ、これだけ良い場所で畑を作ることも、今まで生き延びていることも、そのどれも出来ないだろう。
確かに少し厄介なじいさんのようだ。




