267 最弱の男02――「なんだ? 握手でもして欲しいのか?」
「お帰りなさい」
くず鉄置き場ではグラスホッパー号に乗ったカスミが俺たちを待っていた。
「ああ、帰った」
俺はドラゴンベインのハッチを開け、手を振る。
「何事もなくて良かったです」
カスミはそう喋りながらも周囲を威圧し、警戒するように目を光らせていた。
「物物しいな。何かあったのか? この周囲に危険なものは無さそうだが?」
『無いよな?』
『ふふん。あったらお前に伝えているに決まっているでしょ』
俺の言葉にカスミは何処か安心したように息を吐く。その反応に、俺はカスミが人間であるかのような錯覚を抱く。
「襲撃の混乱に乗じて盗みを働く者たちが居ましたので、警戒していました」
「なるほど。それでグラスホッパー号か」
「はい」
カスミが頷く。生身でクルマに戦いを挑むのは馬鹿のやることだ。
『ふふん。何処かに馬鹿がいたと思うけど?』
『勝算がある場合や引けない事情がある場合は別だろう?』
『あらあら、なんて都合の良い!』
俺はセラフの言葉を無視する。
「それで、二人は無事か」
俺は原形をとどめていない建物の方を見る。そこにはスピードマスターの愛車だった真っ赤なクルマと、何故か何処かで見たような、緑の果物が描かれたバスが駐まっていた。
「ゲンジィさんとイリスさんなら無事ですよ。あのクリムゾンサードを改造しようと茶々を入れてくる方も無事ですよ」
そうか。二人は無事か。カスミが言うなら間違いなく無事なのだろう。
ところで……。
「クリムゾンサード?」
セラフも言っていたがいつの間に名前が決まったんだ?
「登録名がそうなっていましたが、改名する予定ですか?」
カスミが首を傾げている。前の持ち主の付けた名前がそのまま残っているのか。
「いや、名前はそのままでいい。それよりも二人は何処に?」
このくず鉄置き場にあるのは、俺のクルマと見覚えのあるバスを除けば、崩れた建物と、一度溶けたのか変な形で固まっているくず鉄だけだ。
「お二人は地下です」
カスミが崩れた建物を指し示す。どうやらゲンじいさんの作業場には、俺の知らない地下室があったようだ。
と、タイミングよくその崩れた建物の下からイリスが顔をぴょこんと覗かせる。
「あ、ガム君! お帰りなさい」
イリスが小さく頭を下げる。
「ふむ。戻ってきたのかね」
その後ろからゲンじいさんも顔を覗かせる。
俺は手を振る。
「無事で良かったよ」
俺の言葉にゲンじいさんが大きくため息を吐く。
「作業場が崩壊して何が無事なものか」
俺はその言葉に苦笑する。
「命あっての、だろう?」
「その言葉は当事者が言うべきじゃないかね」
ゲンじいさんは何処か呆れたような顔でもう一度大きなため息を吐いていた。
「おじいちゃん、ガム君が戻ってきたんだからお話よりお食事にしよ!」
ゲンじいさんは孫娘のイリスの言葉に苦笑し、優しい顔でその頭をゆっくりと撫でる。
「飯かい! おっと、俺もご相伴にあずかるぜ」
そんな二人の後ろからカウボーイハットの男が現れる。
「確か、ショーヘーだったか?」
「お、その声は、あの時の旦那……か? まさか、そんなボーイな姿をしているとは思わなかったぜ。おっと、これは口が滑ったな!」
カウボーイハットのショーヘーが誤魔化すように口笛を吹いている。
「あんたもここに居たんだな」
だから、あの緑の果物が描かれたバスがここにあったのか。
「ああ。じいさんの顔を見ようと思ってな。そしたら素敵なレディが二人もいるだろ? ここに来て良かったぜ」
カウボーイハットのショーヘーがキザったらしく笑っている。
「誰がじいさんかね」
そのショーヘーをゲンじいさんがギロリと睨む。
「おっと、これは口が滑った。怖い怖い」
カウボーイハットのショーヘーが頭を引っ込め、すぐに地下へと隠れる。
「おじいちゃん! ご飯にしよう!」
「ふむ。すまないすまない、そうだね」
ぴょこんと現れていたイリスの頭が消える。それを追いかけるようにゲンじいさんの姿も消える。どうやらあそこに地下室への入り口があるようだ。
俺も追いかけよう。
「クルマなら見ておきます。行ってください」
カスミが微笑み、小さく頭を下げる。セラフの遠隔操作もある。ドラゴンベインとグラスホッパー号はカスミに任せておけば大丈夫だろう。
崩れた建物に近寄り、その中を覗く。よく見るとマンホールのような穴が開いていた。穴は浅く、ここからでも底が見える。背の高い人間なら頭くらいは出る程度の高さだ。横穴も見えた。どうやら、その先に地下室があるようだ。
マンホールの中に飛び降り、薄暗い通路を進む。どうやらこの通路は、緩やかな、地下へと続く坂道になっているようだ。
「こっちだ」
その途中でゲンじいさんが待っていた。ゲンじいさんが通路の脇に付けられた扉を開ける。
「ここは?」
「奥には進むんじゃあない」
ゲンじいさんは俺の質問に答えるつもりはないようだ。
俺は肩を竦め、扉の中に入る。そこは小さく揺れる豆電球だけが存在を主張するような、寂しくも小さな部屋だった。
「ご飯を持ってきます」
そう言うとイリスが部屋を出る。どうやら行くなと言われた通路の奥から食事を運んできてくれるようだ。
俺は改めて室内を見る。中央にテーブルと椅子が置かれているだけのその部屋は、四人も人間が入ると少し窮屈に感じてしまうだろう狭さだ。その狭い部屋の壁にカウボーイハットの男が寄りかかっていた。
そのカウボーイハットのショーヘーに近寄り、俺は気になっていたことを耳打ちする。
「以前にあんたが言っていたゲンじいさんの孫娘のことだが」
カウボーイハットのショーヘーが部屋の外を見る。そこに居るのはゲンじいさんだ。
「……俺の勘違いだった」
カウボーイハットのショーヘーがそう答える。
俺は小さくため息を吐き肩を竦める。もしかすると、あのイリスは本当のイリスではないのかもしれない。血の繋がりがなかったとしても、ゲンじいさんが孫娘だと思うなら、そして、イリスがそれを受け入れているなら、それで良いのだろう。部外者である俺が何かを言うことでも、何かを暴くことでも……無い。
そういうことなのだろう。
「おっと! そうそう、旦那のクルマ、グラスホッパー号って言ったか?」
「ああ。それが?」
カウボーイハットのショーヘーが話を誤魔化すように話題を変える。
「頼まれていた改造をやっといたぜ。パンドラを直結して搭載しているから、大型のクルマ並みの出力になっているはずだ。あんたがメインで使っている方と比べても遜色ないくらいには強化されてるはずだぜ」
どうやらショーヘーは頼んでいたグラスホッパー号の改造をやってくれていたようだ。ドラゴンベインとグラスホッパー号では、搭載されているパンドラに、それこそ十倍近いくらいの性能差があったはずだ。
その差が埋まる、か。
『セラフ、この話は……』
『本当のようね。グラスホッパー号の性能が目に見えて向上している。ふふん、やるじゃない。ただパンドラを繋げただけでは出来ない改造ね』
珍しくセラフが人を褒めている。
「そうか。助かる」
「ああ。感謝しろよ。七人の武器屋のショーヘー直々の改造なんだからな」
と、そこでショーヘーが俺の方へと手を伸ばす。
「なんだ? 握手でもして欲しいのか?」
「おい、ばっか、お前、コイルだよ、コイル。旦那ぁ、分かってるだろ」
「いくらだ?」
ショーヘーが指を二本だけ立てる。
「二万コイルか?」
「おいおい、冗談か? 桁が二つちげぇ」
二百コイルということはないだろう。
「……二百万コイルか。随分とするんだな。下手なクルマなら買える額じゃないか?」
「俺たちに依頼するというのはそういうことだからな。どうする? ローンでもいいぜ」
「俺がバックレるとは思わないのか? 払えないとは思わないのか?」
ショーヘーがカウボーイハットをパチンと弾く。
「旦那なら払えるだろ?」
俺は肩を竦める。
「半額でやってくれると聞いていたが?」
俺の言葉にショーヘーがグッと息を詰まらせる。
「そ、そうだったかなー」
「まぁいいさ。分かった。二百万コイル、振り込んだらいいのか? 手渡しとなるとオフィスに行く必要がある。レイクタウンのオフィスは、こんな状況でも動いているのか?」
「待て待て待て。百万でいい。百万でいいさ。俺が言ったことだからな。振り込みで大丈夫だ」
「そうか」
頼んだ仕事に対して、その対価を払う。これは当たり前で当然のことだ。




