245 神のせんたく30――「次は俺とあんただな。叩き潰してやるよ」
老人の生首が宙を舞い、残された体からは噴水のように真っ赤な液体が噴き出している。
白粉を塗りたくったこの女――こいつは何をした?
何をしたかは見えている。俺にも見えていた。だが、だからこそ分からない。
白粉の女は逆さまに降ってきた生首を人差し指でくるくると回している。血が飛び散っているはずなのに、白粉の女には、その血が一滴もかかっていない。
何をした?
この女は手刀で老人の首を切り落とした。何か武器を持っていた訳ではない。見えないほど早かった訳でもない。なんとなく、そう、なんとなく頭と胴体の間に手をスッと入れただけで切り落とした。
何をした?
何をしたらそんなことが出来る?
手刀だぞ。
手だ。
手で首を落とせるか?
武器があれば……それこそナイフでもあれば俺でも出来るだろう。俺は自分の手を見る。首を折ることは出来ても、切ることは無理だ。俺には出来ない。どうやっているのか想像が出来ない。武器を隠し持っていたと言って欲しいくらいだ。
俺には見えていた。見えていたからこそ、俺には分からない。
「な、なんじゃこりゃああああぁ!」
冴えないおっさんが叫んでいる。どうやらやっと何が起きているか理解出来たようだ。
「これ、準備運動にもならなかったんだけど、本当に強かったの?」
白粉の女が生首を冴えないおっさんへと放り投げる。おっさんが情けない悲鳴を上げて、その生首を避ける。
「く、ククルはべこ59をもちあげられるくらい、ちからもちなんです! ひとりでもかちます」
いつの間にか俺の横に来ていたウズメがふんすと鼻息荒く解説してくれている。
「べこ……ごーないん? とは?」
「こ、これくらいおおきな、おおきなにくです」
ウズメが飛び上がりなら大きく両手を広げて大きさを教えてくれる。人くらいは丸呑み出来そうな生き物のようだ。
「ククルはまけません!」
ウズメは残ったククルを応援するようだ。
「お、おい、おいおいおい、おいー、こ、殺しはだめだ。まずい、お嬢のイメージがわるくなる」
おっさんは声を震わせながらも浮遊しているカメラを指差し、必死にそんなことを言っていた。
「ふーん。そう、それは困ったことね」
長く伸びた黒髪をポニーテールにした白粉女が肩を竦める。無防備な姿を晒す。
そこを狙い翁面の女――ククルが動く。ククルが腰を落とし、白粉女の足を取るように突進する。だが、その突進は……パシンという乾いた音が響き、簡単に止まる。
翁面が砕け、そこからククルの驚きに染まった顔が現れる。
翁面が砕けた? そうだ。白粉女はただ翁の面をはたいただけだ。それだけでククルの動きが止まった。
ククルは戦うための筋肉がしっかりとついたレスラーのような体格をしている。さっきの突進は張り手一発で動きが止まるような勢いではなかった。そのことはククル自身が分かっているのだろう。だから驚き、動きが止まってしまった。
我に返ったククルが慌てて大きく飛び退き、距離を取る。白粉女はその様子を今にも欠伸をしそうな、しらけた目で見ていた。
白粉女がゆっくりと歩き、距離を取ったククルへと迫る。ククルは追い詰められた獣のように必死の形相で突きを放つ。だが、その一撃は白粉女の手を振るような軽い一撃によって弾かれる。
ククルは諦めず両手を使い何度も突きを放つ。だが、その一撃、一撃が虚しくパシンパシンと弾かれていく。
そして白粉女がククルの懐に入る。
「とった!」
叫んだのはククルだった。ククルの右手が白粉女の狩衣の襟を掴んでいた。
「ふーん、それで?」
ククルが白粉女を持ち上げようと力を込める。ククルの狩衣の袖から見える腕は筋肉ではち切れんばかりになっていた。恐ろしい力で白粉女を投げ飛ばそうとしているのだろう。
だが、動かない。
「聞いていた話と違って少しがっかり。優秀な者同士を掛け合わせたからといってさらに優秀になるとは限らないってことね。それとも年数が足りなかったのかしら」
「なにをいって……」
「もう眠ったら?」
白粉女がククルの顔面に掌打を放つ。ククルは避けることが出来ない。その一撃で顔面がぐしゃりと凹み、血を噴き出す。ククルは白目を剥き、狩衣の襟を掴んでいた手が力を失ったようにだらりと垂れ下がる。
「ククル!」
ウズメが泣きそうな声で叫ぶ。
俺はウズメとククルがどういった関係なのかを知らない。だが、ウズメがこれだけ感情的になるのだから、ただの知り合いではないのだろう。
白目を剥いたククルが崩れ落ちる。白粉女へと抱きつくように崩れ落ちる。
だが、終わっていなかった。
倒れそうになっていたククルの潰れた瞳に光が灯る。そのまま白粉女に抱きつく。手と手を白粉女の背中へと回し握る。
「これがわたしのスモー、このまま折るっ!」
画面の潰れたククルが折れた歯と血を飛ばしながら叫ぶ。
鯖折りだ。
白粉女が締め上げられる。
「ふーん。少し驚いたけど……でも、あなたの出番はもう終わっているから、ごめんなさいね」
白粉女が白粉にヒビが入るほどの笑みを作る。
そして、次の瞬間、ククルの両腕が根元から切られていた。
一瞬にして両腕を失ったククル。白粉女の拘束が解ける。
「待て! もう勝負はついただろ!」
俺は思わず叫んでいた。それはここから先のことをウズメに見せたくなかったからだろうか。
「あら? ごめんなさいねぇ。止めるなら、もっと早く言って欲しかったかしら」
白粉女がくるりと一回転する。白粉女が俺を見て笑う。病んだ瞳を歪ませ、歪んだ笑みを作る。
そして、ククルが倒れる。
もう動かない。動くことは出来ないだろう。
……。
俺はウズメを見て、次に白粉女を見る。
『お馬鹿さんは怒ったのかしら』
『怒ってはないさ。俺はそこまでククルって女のことを知らないからな。そうだろう? だから、俺は別に怒っていない』
『ふふん、そうね』
俺は口角をあげる。
「次は俺とあんただな。叩き潰してやるよ」
冴えないおっさん「俺は?」




