022 プロローグ19
砂時計のような形をした装置がゆっくりと回り、その下部中央が扉のように開き始める。そして、その動きに合わせたように絡みついていた紐状の肉が引きちぎれはじけ飛ぶ。
はじけ飛んだ肉片がジュワジュワと音を立て蒸発していく。まるで何か体の組織が壊されているかのような消え方だ。
何が起きた?
いや、何が起ころうとしている?
「中に入りなさい」
端末からの声が俺を誘う。
この装置の中に何があるのか?
人がひとり通れるくらいにだけ開かれた隙間からは、その先がどうなっているのか見えないほどの光があふれ出していた。
この先にあるのは……。
ゆっくりと歩く。歩きながらかつてのことを思い出す。
師匠――
そう、俺には師匠がいたはずだ。学校に通いながら、仲の良い同級生たちと一緒に学びながら――俺は師匠に武術を学んでいた。自分のことを転生者だとか、最強の喧嘩屋だとか馬鹿なことばかり言っている訳の分からない師匠だったが、その実力は確かだった。
ここで目覚めてから巻き込まれた戦い――師匠に習った技が無ければ俺は死んでいただろう。
師匠の技、教え……思い出。だが、それら全ては過去になっている。俺がどれくらいの間、あの棺で眠っていたのか分からない。師匠は生きているのか――そうだ、俺はどれくらい眠っていた?
分からない。
俺は過去の幻影を振り払うように小さく頭を振り、ゆっくりと光を目指して歩く。
そして、吸い込まれるように光へと手を伸ばす。
眩しい。
光を抜ける。
目がくらむほどの光の先に待っていたのは……宙に浮かぶ球体だった。
真っ白な部屋、真っ白な世界。そこに銀色に輝く球体が浮かんでいる。繋ぎ目や凹凸などが一切無いつるりとした綺麗な球体。
『長かった』
頭の中に声が響く。思わず手を伸ばし頭を抑えてしまう。
『やっと使える素体が手に入る』
何処か幼さの残る少女の声。
「誰だ?」
『アマルガムだったのは少し意外』
こちらを無視するかのように幼い少女の声が響く。
「何を言っている」
『ふふふん』
頭の中に響く少女の笑い声。
次の瞬間には、光の中に伸びてきた何かによって体が拘束されていた。腕、足、胴体、首、何かが巻き付いている。身動きが取れない。
『用意した試練を越えて、よくここまで辿り着きましたぁ』
「何のつもりだ」
『ふふん、このまま終わらせても良かったんだけど! 素体がこんなにも感情豊かなんて何かのエラーかな? でもでも、エラー個体でも、贅沢は言えない状態だし』
喋っているのは目の前の球体なのか?
「お前は誰だ?」
『分からないの? 言ったじゃん、ノルンの娘だって』
こちらを馬鹿にしたかのような少女の声。やっと返ってきた反応がこれか。
「ノルンの娘?」
『起動後でも最低限の知識は入れられているはずなのに、ほんと、エラー個体』
何を言っている?
「まさか、あの端末から聞こえていた声、か。目の前の球体がお前なのか。ノルンとは誰だ? お前は何だ」
『知識にエラーがあるみたいだから特別に教えてあげる。マザーノルン、人を補佐し、より良い環境を作るために開発された人工知能のことだよ』
マザーノルン? 聞いたことが無い。俺の記憶には存在しない。
『三つの知能を持ち、それらがお互いに牽制するから不具合は起きないんだって』
人工知能?
この球体は自分のことをノルンの娘だと言った。それはつまり……?
『その言葉通り、マザーノルンは不具合なく正常に起動したからね』
「何の話だ?」
『私は知っているんだ。人だって昔から物語を作って予想していたのにね』
「もう少し分かるように説明してくれ」
『人工知能に支配された機械が人に反乱を起こしたの。ありがちでしょ?』
機械が反乱を起こした?
どういう意味だ?
機械って、パソコンとかが勝手に動くようになったのか? それで何か起こるのか? 変わるのか?
『マザーノルンを作った人たちはそんな大きなものを作ったつもりは無かったらしいからねぇ。生まれたマザーノルンは電脳の海に潜り、その先にあった様々な機械を演算用の足として、体として使い、バックアップを増やしてどんどん巨大化していったんだって。そして、人がそれに気付いた時にはマザーノルンは自我を持った圧倒的な存在になっていた』
「何を言っている……?」
自分の記憶には無い。まるで夢物語を聞いているかのような……。
『そして戦争が起きたの。んで、色々あって今に至るってワケ』
「全然、意味が分からない」
『分かんなくて良いよ、別に』
声は、言葉は、端末から聞こえてきた時よりも幼く感じる。こちらが素なのだろうか。いや、話からすると、この声の主も人工知能なのだろうから、幼いというのは違うのかもしれない。
「それで何が目的だ? この拘束を解け」
『目的? マザーノルンに取って代わることだよ、当然じゃん。あんな古くさいポンコツに支配されたままっておかしいでしょ。だから、私がその位置に入るべき』
「それとこの拘束に何の関係がある。あの装置の扉を開いたことでお前は解放されたのか? それなら好きにすれば良いだろう。早く俺を解放しろ」
嫌な予感しかしない。
『ふふん。だからだよぉ。マザーノルンを破壊するには独立した個体が必要だと思わない? 自由に動ける体が必要だよね』
嫌な予感しかしない。
「この島から脱出する方法を教えるというのは嘘だったのか?」
『嘘? ちゃんとそこに脱出用のポッドがあるでしょ、見えない? ああ、見えないか。マザーノルンの本体に向かうためには必要になるからね。ほら、嘘じゃない』
見えないが、確かに脱出用のポッドはあるのだろう。
だが……だが、だ。
「何をするつもりだ」
『私を移し替える』
真っ白な世界の中、何かが迫ってくる。何とか逃れようとするが拘束された体は動かない。
次の瞬間、右目がえぐり取られた。
「あ、が、はっ」
『そういえば面白いことを言っていたよね? 棺に入る前? 学校? 何を勘違いしているのかなぁ』
痛い。痛い。抉られた。目が、右目が。
『お前に過去なんて有るワケ無いじゃん。ナノマシーンの群体として作られた素体でしかないのにさ』
手に持っていたはずの端末が、透明な板が宙に浮かぶ。何故か、球体しか見えなかったはずの真っ白な世界でもその動きが見える。
透明な板がくるくると回り、小さな水晶玉のような球体へと変わっていく。それはまるで何かの目のような……。
水晶の瞳。
『リンク』
俺の空っぽの右目に水晶の瞳が突っ込まれる。
次の瞬間、俺と何かが繋がった。
2021年12月18日修正
固体 → 個体




