211 機械の腕46――『ああ、俺も後悔しているところだ』
司会の女の後ろ――ステージに表示された数字は、ゆっくりとだが一万ずつ増加している。
「四百二十万コイル、まだまだ増えます」
最初に比べるとペースは落ちている。だが、それでも五百万コイルくらいは確実に越えるだろう。
四百、か。俺の手持ちを越えている。
『俺が出来ることはないな』
何処まで跳ね上がるか楽しみながら入札合戦を観戦するとしよう。
壁に寄りかかり、腕を組んで増えていく数値を眺める。
「ちょっといいかしら?」
そんな俺に一人の女が声を掛けてくる。この女……確か、端末が配られなかった女だろう? ろくでもない用件で話しかけてきたとしか思えない。
……。
俺は女を無視して数字の増加を楽しむ。
「あなた、入札していないようだけど……それなら私たちにその端末を売ってくれないかしら?」
俺は女を無視する。
「一万コイル出すわ。私たちには、どうしてもあのクルマが必要なの」
女が何か言っているようだが、俺は無視する。
「分かったわ。二万コイルでどうかしら?」
俺は、女の呆れた提案にため息が出そうになるが我慢する。
二万コイル、か。確かに大きな金額だ。だが、ここに居る連中はクロウズランクが30以上の中堅より上のクロウズたちばかりのはずだ。そんな連中からしてみれば、一万や二万のコイル、端金とは言わないが、心を動かされるような金額では無いだろう。
この女はそんなことも分からないのだろうか。
「はぁ、交渉上手ね。そうね、十万コイル。これでどうかしら?」
ステージに表示された数字は四百五十万コイルを越えていた。まだまだ数字は増えていくだろう。
俺は大きくため息を吐く。この女には、俺が呆れた顔をしているのが、ガスマスクに隠れ分からないのだろう。空気を察して欲しいものだ。
俺は手で女を追い払う。
「な、なによ!」
女がプリプリと怒って去って行く。
なんとなくこの女に端末が配られなかった理由が分かった気がする。
場違いな連中。
空気の読めていない連中。
そういうことなのだろう。
「四百五十一万コイル、五十二万コイル、皆さん、随分と刻まれます」
目玉商品だけあって次々と金額が増えていく。これはかなり長引きそうだ。
「よぉ、災難だったな」
一人の男が俺に声を掛けてくる。狐目の胡散臭い男だ。
俺は無言で肩を竦める。
「あんた、オフィスショップで売っているようなガスマスクにお上りさんにしか見えない格好だからな。それに隠れているが、その首輪だ。どっかの誰かの使いっ走りにも見えるからな。あの女、あんたならなんとかなると思ったんだろうぜ」
狐目の飄々とした男は俺の反応を無視して話し続ける。
「今回のオークションに参加している時点でただ者じゃないって分かりそうなのにな」
狐目の男が上から覗き込むように俺の前に立ち塞がる。
はっきり言って邪魔だ。ステージに映し出された数字が見えない。
「百万コイルだ。それで端末を売ってくれないか? さすがにこれ以上は難しい。だが、悪い話じゃないだろ?」
狐目の男の言葉に大きくため息を吐く。
こいつらは勘違いしている。俺の目的は目玉商品を落札してハルカナの街のマスターに会うことだ。コイルをいくら積まれようが、俺が心を動かすことは無い。
「……交渉する相手を間違えたな。その金額なら端末を差し出す奴もいるだろう。他に行くんだな」
俺の言葉を聞いた狐目の男が何かに気付いたように後退る。
「な、なるほど。その首輪で気付くべきだったな。服を着ているから分からなかったな。あんたが噂の裸族の首輪付きか。」
「それ以上何も言うな。死にたいのか?」
「い、いや。そ、そんなつもりは……た、確かに交渉する相手を間違えたな。分かった、他を当たるぜ」
狐目の男が慌てて俺から離れていく。
数字はもうすぐ四百七十万コイルになろうとしていた。
「五百万コイルで入札します!」
と、そこで入り口の方から聞き覚えのある声が、オークション会場内に大きく響いた。
……。
予想外だ。
いや、予想通りなのか。
『ふふん。さっさと殺さないからこういうことになるんでしょ』
『ああ、俺も後悔しているところだ』
現れたのはウルフだった。
どうやってあの黒いボディアーマーの男を抜けて来たのか。
……。
だが、ウルフは一人のようだ。あの狂犬のような頭のおかしい二人の姿は見えない。何らかの方法で、ウルフだけが、このオークション会場への入場を許可してもらったようだ。
「現在の最高額は四百七十四万コイルです。まだまだ上がります」
「五百万コイルで入札しますよ」
「四百七十五万、七十六万、加速しています!」
「五百万コイルで入札します!」
「四百八十万コイル出ました。八十万を越えました。五百万コイルまで後少しです!」
司会の女はウルフを無視している。無視されたウルフは唇を噛みしめ、そのままキョロキョロと会場内を見回す。
……。
『嫌な予感がする』
『ふふん、奇遇ね。私もその予感とやらを感じるから』
キョロキョロと会場内を見回していたウルフの視線が止まる。
ウルフがスタスタと歩いてくる。
こちらを目指し歩いてくる。
俺だと気付いていないはずだ。今の俺はガスマスクをしている。服装も、ウルフと別れてから手に入れたものだ。ウルフは知らないはずだ。
ウルフが俺の目の前で止まる。
「すみません。入札するには端末が必要なようです。その端末をこちらに渡してください」
ウルフの言葉に俺は一瞬、頭が真っ白になる。
……こいつは何を言っているんだ?
最初の二人は、それでもお金を払って、俺から端末を譲って貰おうとした。
だが、こいつはよこせと言っている。
話にならないな。




