206 機械の腕41――「ウルフ、飼い犬の手綱はしっかりと握っておけ」
「約束通り、服を買って貰おうか」
「あ、ああ」
ウルフは少し困惑した顔で俺を見ている。お前もか。
確かに今の俺の格好はまともでは無い。だが、そうは言っても全裸ではなく半裸程度だろう? この程度なら俺よりももっとヤバい格好の奴はいるはずだ。例えば、あそこで手配書を眺めている男などは上半身裸にサスペンダーという違う意味で紳士的な格好の輩だ。こんがりと焼けた肌に盛り上がった筋肉を惜しげも無く見せびらかしている。
――危ない奴にしか見えない。
……。
俺よりももっとヤバい奴じゃないだろうか。あれが許されて、何故、俺が変質者扱いされるのだろうか。
理解出来ないな。
「装甲服などの身を守るものが置いてある店で良かったかな? 出来る限り君の希望に添うようにするけど……」
「普通の服屋で構わない」
俺はウルフの言葉を途中で遮り、肩を竦める。
身を守るものなら自分の金で買うさ。
こいつにもコックローチの賞金が分配された件で、少しでも奢らせようとしているのは確かだが、本気で何かしようと――破産させるほど使わせようと思っている訳ではない。こいつだって、今、お金を使いたくないはずだ。オークションでスピードマスターのクルマを手に入れる為にお金が、少しでも多く必要だろうからな。
『そんな時に使わせるのは、さすがに……な』
『ふふん。随分と余裕じゃない』
『とりあえずお前が勝率ゼロと言っていたほどの大物を倒した後だからな』
『ふふん』
そんなことを話している間にサスペンダーの男の姿は見えなくなっていた。あんなヤバい奴を誰もがスルーして俺の方を注目するとは……それだけコックローチの討伐が大きな事件だったのだろうか。
「分かった。案内するよ。好きなものを見繕ってください」
ウルフの案内でオフィスを出る。
しかし、このハルカナの街に、まともな――普通の服屋があるのだろうか。一般市民が普通に服を着ているのだから、あることは間違いないのだろうが、それは普通の店だろうか?
普通の服屋。荒廃し、ビーストやマシーンが徘徊するような世界で、普通、か。それは何処でどうやって作られたものだ? 工場などがあるのだろうか?
『ふふん。知りたい?』
オフィスを支配して情報を得ているセラフなら知っていてもおかしくないだろう。
『分かった。教えてくれ』
『ふふん。まだ生きている工場設備があるようね。そこで生産されているんでしょ。後は旧時代の遺産でしょうね。こちらは少し高額なものばかり』
なるほどな。
『教えてくれて助かった』
『ふふん』
セラフが得意気に笑っている。
服屋を目指して歩いている俺たちの前に二人の女が立ち塞がった。一人は全身に包帯を巻いたツインテールの女。もう一人はその女を支えているゴシックでロリータな服装の病んだ瞳の女だ。
「ウルフ! 一人で行くから心配したんだから!」
「……心配した」
どうやらこの二人はウルフの知り合いのようだ。
「ごめんね。二人とも心配を掛けたね。レモン、もう動いても大丈夫なの?」
「私なら大丈夫。もう戦えるから!」
「……私も戦える」
二人の言葉にウルフは首を横に振る。
「仇はとったから」
「え、それじゃあ……!」
「さすが……」
二人がウルフに駆け寄り、抱きつく。
……思い出した。
クロウズの説明会でウルフと一緒に座っていた脳に病気を持った女たちか。
「ねぇ、ウルフ、そこの薄汚いのは何?」
「……変質者」
ウルフに抱きついたままの二人が俺を見てそんなことを言っている。
俺はただ肩を竦める。
「あ、ああ、彼にはコックローチの討伐で手伝って貰ったんだよ」
その言葉を聞いた女たちがウルフから離れ、俺の方へとやって来る。そして無遠慮にジロジロとこちらを見つめ、指を突きつける。
「あなたね、勘違いしないでよ。ウルフの手助けをしたからって、彼の仲間になれるなんて思わないでよね」
「……弱そう」
二人は好き勝手なことを言っている。
なるほど。
『ふふん、殺したら?』
俺はセラフの言葉に苦笑する。
「何! 何がおかしいの! 私が怪我をしていなかったら、こんな奴!」
「……不快」
俺はため息を吐きそうになる。
「別にお前たちに対して苦笑した訳じゃない」
「なんですって!」
女が叫ぶ。この女は相変わらず狂っているようだ。
こいつら二人は俺のことを忘れているようだ。その程度の存在にしか見ていなかったということだろう。
こいつらは色々と誤解している。
まず、コックローチを倒したのはウルフではなく俺だ。そして、事情も知らずに噛みついている。俺の力量についても誤解しているようだ。
はぁ。
大きなため息が出る。
まだ色々とキャンキャン騒いでいる二人を無視してウルフを見る。
「ウルフ、飼い犬の手綱はしっかりと握っておけ」
「すみません」
ウルフが小さく頭を下げる。
「なんでウルフが頭を下げるの! もう、お人好しなんだから! ウルフがお人好しだから、こんなのにも付け入られて……ホント、私が居ないと駄目だよね」
「……私も居る」
狂人とまともに会話が成り立つとは思えない。
「ウルフ、ここまででいい」
「え? はい、分かりました」
まだキャンキャンと騒いでいる狂人をウルフに任せて、俺は一人、その場から離れる。服を奢って貰うつもりだったが、もうそれも不要だろう。
『ふふん、どうして殺さなかったの?』
『その必要もないだろう』
わざわざ俺が何かする必要もない。その価値もない。
相手の力量も読めず、噛みついていく狂犬たちだ。
先は長くないだろう。




