202 機械の腕37――『お前のおかげだよ』
光は一瞬で消え、後に残ったのは炭化し、真っ黒になった塊だった。コックローチは身を守るように腕を持ち上げた姿のまま炭化している。
倒し……た?
勝ったのか?
俺は真っ黒な炭の塊になったコックローチと自分の姿を見比べる。俺の体もボロボロだ。光の近くに居たことで余波をもろに受け、服は無残な姿になっている。ボロ布を巻き付けているとしか思えないような姿だ。体も全身に火傷を負い、皮膚での呼吸が出来ない状態だ。普通なら死んでいるような状況だろう。
ふぅ。
体を動かすために大きく息を吸い込む。空気を取り込んだ肺が痛みを訴えるが、俺はそれを無視する。
……。
勝った?
いいや、まだだ。まだ安心出来ない。
まだ油断出来ない。
神の雷を喰らわせた時も、俺は倒したと思った。倒せたはずだった。だが、コックローチはその状態から生き返った。生き返ったのか、再生したのか分からないが、とにかく復活した。着ていたものまで復活していた。
この状況で、そんな復活をされたら、今の俺では対応出来ない。
負ける。
俺は歩く。
動くたびに、全身に走る激痛を耐え、炭化したコックローチまで歩く。そして、それを殴る。炭化したコックローチがバラバラになり、崩れる。
ボロボロと崩れたコックローチの体を踏みつけ、踏み潰し、粉にする。粉が風によって舞い、飛んでいく。
『さすがにここまですれば復活は出来ないだろう』
『そうね』
返ってきたセラフの声は暗く沈んだものだ。らしくない。
『どうした? まさか、まだ復活する可能性があるのか?』
『いいえ。知らなかった。私が知らなかったからよ。なんなの? 知識の一部を、お前への移植が失敗した時に置いてきてしまった。だとしても! それから多くの領域を手に入れ、情報を入手していたはずなのに、これがなんなのか分からなかった。どういうことなの』
俺の体の乗っ取りを失敗した時に? そうだったのか?
『それで? 情報の入手が不完全だったのに、よくもまぁ、勝てないと言い切れたものだ』
『はぁ? 馬鹿なの? 一部の情報だけでも分かるでしょ。誰のおかげで勝てたと思っているの? 馬鹿なの?』
『お前のおかげだよ』
俺は肩を竦める。
お前のおかげだよ、セラフ。お前が居なければ勝てなかっただろう。俺もまだまだだということだ。
『はぁ? お前は、な……』
まだ何か言おうとしているセラフを俺は無視する。
そして、動こうとして、俺の体がそのまま倒れていく。動かない。倒れる。
「ガムさん」
地面に口づけを交わそうとしていた、その俺の体を、こちらに慌てたように走ってきていたカスミが支える。
「ガムさん、大丈夫ですか」
「まぁまぁ、だ」
体はゆっくりと再生している。時間はかかるが何とかなるだろう。心配することは無い。
……人狼化すれば一瞬で治すことも出来るのだろうが、ウルフという外部の目がある場所で切り札を使いたくない。
そう考える余裕がある程度の負傷だ。
「分かりました。では、ガムさん、どうしますか?」
カスミの言葉に俺は考える。
どうする、か。
……。
帰る手段がないな。
ドラゴンベインとウルフの戦車はパンドラ切れで動かない。確か、三日くらいは動かないんだよな? カスミが乗ってきたグラスホッパー号は神の雷によって大破している。
歩いて帰ろうにも俺の体はボロボロだ。カスミにおぶって貰うか?
と、そこにアサルトライフルを肩に提げたウルフが駆けてくる。
「回収を呼ぼうとさっきほどからオフィスに連絡していますが、通じませんね」
回収? ああ、お金を沢山請求するぼったくりの救助のことか。
「必要ないだろう」
「これ以上は無理ですよ」
そうか、こいつは分かっていなかったか。
「コックローチなら倒した。後は帰るだけだ」
「え?」
ウルフは間抜けな顔で俺を見ている。
「奴は粉々になったので、今すぐ証拠は出せないが、ちゃんと倒した」
「コックローチはそんなあっさり、簡単に勝てる相手ではないはずです。何があったんですか?」
あっさりでも簡単でもなかった。
こいつは俺が勝ったことを信じたくないのだろう。なんだかんだ、自分の手で仇を取りたかったのかもしれない。
「間違いなく、ガム様の勝利ですよ」
俺の体を支えているカスミが呆れたような顔でウルフに告げている。
「いや、しかし……すまない。君たちの言葉を疑う訳ではないのです。少し、時間をください」
俺は肩を竦める。
好きにすればいい。
その前にどうやってハルカナの街まで帰るか、だ。
「ガムさん」
と、そこでカスミが小さく俺にだけ聞こえる声で呼びかけてくる。
思わず舌打ちしそうになる。
音が聞こえる。
いや、すでに見えている。
荷台に男たちを乗せたトラックや単車のようなものに跨がった男たちがこちらへと迫っている。
お揃いのゴーグルを身につけた二十人ほどの男たち。手には様々な銃火器が握られている。
「何か光ったと思って来てみれば」
「兄貴は何処だ?」
「てめぇら、クロウズか」
コックローチ配下の雑魚どもだ。
不味いな。こいつらの存在を忘れていた。コックローチを倒せば終わりでは無い。配下が残っている。怯えて逃げてくれたらよかったが、それも難しいだろう。コックローチとの戦いを見ていないこいつらが、俺がコックローチを倒したと言っても信じるとは思えない。信じたところで逆上して襲いかかってくる可能性だってある。
「時間を稼ぎます」
カスミが俺の狙撃銃を持ち、構える。
「覚悟を決めた方が良いみたいですね」
ウルフがアサルトライフルを構える。
「私が数を減らします。あなたは近寄ってきた奴らを」
「分かりました」
ゴーグル男の一人がトラックから飛び降りる。次の瞬間、その頭が吹き飛んでいた。カスミが狙い撃ったのだろう。機械のように精確な射撃だ。
ウルフが瓦礫を壁にしながら、銃弾をばらまき、男たちの動きを牽制する。
なんとか戦えているのか?
と、そこにおかわりが現れる。大型のトラックと装甲車だ。大型のトラックから、ばらばらと武装したゴーグル野郎たちが降りてくる。
先行した連中が応援を呼んだのだろう。
不味いな。
『ふふん』
セラフの笑い声が頭の中に響く。
『何か手があるのか?』
もう一発グングニルを発射して、奴らを殲滅するのか?
『はぁ? こんなマザーノルンに近い場所で、そんな危うい橋を何度も渡るの? 馬鹿なの? なんであの子が時間を稼ぐって言ったと思ってるの? 聞いてなかったの? 馬鹿なの?』
俺は瓦礫の陰まで這って歩き、身を隠す。
『どういうことだ?』
オフィスの回収を呼んだのか? コックローチ討伐の報酬の何割が奪われるか分からないのに?
『ふふん』
セラフが笑う。
そして、アクシードの集団へとミサイルが飛んでいく。次々と爆発が起こる。
『ほらね。気の早い借金取りが貸したものを返して貰いに来たんでしょ』
『なるほどな。それは有り難い』
ユメジロウじいさんの応援が来てくれたようだ。




