020 プロローグ17
戦いが終わったからか人狼のような姿が小さく萎んでいく。手のひらを見る。長く伸びた爪が縮み、毛深かった腕がどんどん細くなっている。
体も元通りだ。
いや、狼化する前は、このロボットが飛ばしてきたドリルによって死んでもおかしくないくらい体をぐちゃぐちゃにやられていたはずだ。
そういう意味では元通りではない、か。
傷が治っている。死にそうだった体が元に戻っている。これはどういうことなのだろうか。何処か設定した時点に体が戻っている? 何か基準点があるのか? 良く分からない。
自分の体を見る。
当たり前だけれど服は再生していない。せっかく手に入ったプロテクトアーマーの上下が狼化した時の影響ではじけ飛んでいる。狼化してもあまり大きさが変わらなかったからか腰部分だけはお情け程度に残っていた。
足を見れば、プロテクトアーマーに付属していたブーツの先端から足指がひょっこりと顔を覗かせサンダルみたいになっていた。
ほぼ裸に逆戻り、か。ベストもはじけ飛んでしまっているのでポケットに入れていたものは……絶望的なようだ。
今度からは狼化する前に服を脱いだ方が良いのかもしれない。いや、戦闘中に服を脱ぐ暇があるとは思えないから替えを用意した方が良いのか。狼化しても大丈夫な服でもあれば便利なのだが。
周囲を見回す。無限軌道によるキャタピラ痕が無数に残っている。ポケットの中のものが地面に散らばっていただけだったとしても――駄目かもしれない。いや、狼化以前にこのロボットのドリルで貫かれた時点で駄目になっていたかもしれない。
動かなくなったロボットの上から飛び降りる。
そういえば端末も見えない。狼化した時に落としてしまったのだろう。
探すか……。
ロボットの前面を見る。動きを止めるために叩きつけた真っ赤な手斧は中心部から折れ曲がりながら硬かった装甲を凹ませている。このロボットを止めるには手斧が折れるほどの威力が必要だった訳だ。だが、これでまた武器がなくなってしまった。
振り出しに戻る、か。
探す。
転がっているドリルの下に端末を見つける。重くて硬そうなドリルを蹴り飛ばし、端末を拾う。透明なガラス板の表面には傷一つ無い。この端末は随分と丈夫な素材で作られているようだ。
「まさか絶対安全神話ガードナーくんに勝つなんて……」
端末からはそんなつぶやきが聞こえる。勝って欲しくなかったのか、勝てないと思っていたのか、どちらにせよ馬鹿にされたものだ。
「あまり嬉しくなさそうだ」
「いえ、とても嬉しいですよ。ええ、とても喜ばしいです。優秀なのは良いことです」
端末は嬉しそうだ。いや、端末の先に居る人物は、か。
最初のつぶやきはわざとこちらに聞かせたのだろうか。
少しだが、自分の中にこの端末に対する不信感が芽生える。
この端末の通信がどうなっているのかは分からないが、この端末の向こう側に居る存在にとって不都合な言葉は――音声を遮断することくらい簡単に出来るはずだ。
このロボットの奪った制御だってそうだ。こちらの能力を見るためにわざと奪った制御を戻した可能性だってある。
疑惑。疑惑でしかないが……いや、それでも、この島から脱出するために今は端末に従うしかない、か。
そうだ。
「それで、この次はどうすれば良い? 何処にどうやって向かう?」
「最深部に向かいなさい」
そこにこの端末の先に居る人物は囚われているのか。
……聞きたかったのは、そこに向かうためのルートだったのだが、聞き方が悪かったらしい。仕方ない、聞きながら進むか。
「ところで、あの人狼のような姿に変わる――覚醒に後遺症とかはないのか?」
「相応のエネルギーを消費しているはずです。時間によって調整はされるはずですが……酷い空腹を覚えていませんか? エネルギーが戻るまで連続使用は出来ません」
空腹?
特に感じない。
だが、感じないだけで不味い状態なのかもしれない。
周囲を見回し、適当に、ぐちゃぐちゃになって散らばっていたスティックタイプのお菓子を拾って食べる。正直、口にしたくないくらいにぐちゃぐちゃだが、今は贅沢を言えるような状況ではない。これで少しは足しになっただろうか。
螺旋階段のあった部屋を出て通路に出る。
「安心しなさい。セキュリティーシステムは停止しています」
その言葉が信じられると良いな。
警戒しながら通路を歩く。
「自分が学校の教室でクラスメイトと雑談している白昼夢を見た。今は思い出せない記憶の断片ではないかと思う。何か知らないか? 自分がここで棺に入る前、入ることになった経緯、何か知らないか?」
歩きながら聞いてみる。答えがあるとは思っていない。ただ聞いてみただけだ。
「……旧時代に学校と呼ばれる子どもたちを集めて教育を施す機関があったことは知っています」
旧時代? まるで今は学校がないような話しぶりだ。
分岐路に突き当たる。
「この先には何がある?」
「今は閉じられた資材搬入口です。そちらに用はありません。急ぎなさい」
なるほど。ロボットに追いかけられている時、とっさに右手に曲がったが正解だったようだ。あのまままっすぐ進んでいたら行き止まりにぶち当たって……殺されていた。
良く分からない機械が積み上がった通路を進む。あのロボットが無理矢理通ったからか、機械は砕け散り、至る所に散乱している。変な部品を踏んで怪我しないよう足元に注意しながら歩く。
何事もなく乾電池の山しかなかったロッカールームを抜ける。そしてエレベーター前だ。
「少し待ちなさい」
エレベーターの前で言われるままに待つ。
「この下のロボットはどうするつもりだ?」
「停止させています。ですが、そもそもそちらに用はありません」
向こうには見えていないと思うが肩を竦める。信じて良いのか微妙な話だ。まぁ、ロボットの待ち構えている通路に向かわないのならどうでも良い話か。
しばらく待っているとエレベーターの扉が開いた。
「この後は?」
「直通路は……崩れて使えないようです。階段を使いなさい」
あの階段、か。
エレベーターが止まる。エレベータールームに戻ってきた。
……。
ここにあるロッカーの中に使えそうなものは残っていない。こんなことになるなら、少しは残しておけば良かった。
……未来は見えないのだから仕方ないか。後悔は先に立たないというヤツだ。
エレベーターの裏にある階段を降りる。この先にあるのはネズミ肉の山だ。あれに着地すると思うと今からげんなりな気分だ。
……。
だが、薄暗い階段の下には積み上げたはずのネズミの死骸がなくなっていた。
あれ?
「ここにネズミの死骸を積み上げたはずだが消えている。何か知らないか?」
「清掃用の機械は動いていないはずです。何かの勘違いでは?」
勘違い?
嫌な予感しかしない。




