200 機械の腕35――『セラフ、あっさりだったな』
「雑魚が、雑魚が、雑魚が……」
コックローチは未だブツブツと呟いている。
走る。俺はコックローチへと間合いを詰めるように走る。
指を折り曲げた右の掌で、走った勢いのままコックローチを殴る。パシィンと弾けた音が響く。
「雑魚が、雑魚が、雑魚、雑魚……」
コックローチは動かない。
何度も何度も殴る。殴り、蹴る。
コックローチは動かない。いや、動けないのだろう。
神の雷は耐えきったのかもしれない。だが、無傷のはずがない。
このまま決める。
殴る、蹴る、殴る、蹴る、殴る、蹴る。
……。
コックローチは倒れない。動かない。
まるで何かを待っているかのように俺の攻撃に耐えている。
殴る。殴る。殴る。殴る。
蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。
俺は跳ねるように軽く飛び上がり、そのまま身を捻り、蹴りを浴びせる。
さすがにその一撃には耐えられなかったのか、コックローチの体が崩れ、倒れる。
勝った?
神の雷に耐えたところで限界だったのか?
これで終わり、か?
随分とあっさりだ。
いや、そうだな。武器が強すぎたのだろう。武器の力によって、思っていたよりもあっさりと終わってしまった。
だが、これはスポーツではない。命のやり取りだ。卑怯だろうが、武器の力に頼ろうが、勝つことが大事だ。勝たなければ、そこで終わってしまう。
これで良かったのだろう。
『セラフ、あっさりだったな』
『そうね。ふふん、やるじゃない』
俺は構えを解く。
俺の元へとカスミが走ってくる。
グラスホッパー号は大破。ドラゴンベインもウルフの戦車もパンドラ切れ。損害は大きい。
……困ったな。どうやって帰ろう。そこまで考えていなかった。
それは、俺がそんなことを考えていた時だった。
俺の右頬が弾ける。視界が歪み、地面が迫る。
な、な、んだと。
『ちょっと!』
セラフの慌てたような声が頭の中に響く。
頭が吹き飛びそうなほどの一撃。運が悪ければ本当に吹き飛んでいたかもしれない。俺は、歯を食いしばり、踏ん張り、地面にキスしそうなギリギリで耐え、立ち上がる。
そして見る。
そこには傷一つ無いタンクトップ姿のコックローチが立っていた。
何が起きた?
何故、無傷で?
頭を振って、飛びそうな意識を覚醒させる。
『セラフ、どういうことだ?』
『分からない。脱皮したように中から新しい姿で、でも、何故、そんなことが出来るの?』
セラフが動揺している。セラフでも分からない、か。
どんなトリックだ?
どんな魔法や超能力を使えば……、
そんなことを考えている俺の目の前に拳が迫る。とっさに腕を交差して拳を防ぐ。だが、その防いだ腕ごと俺の体が宙を舞う。
不味い。
マシンアームになった左腕は無事なようだが、右腕が逝ってしまっている。壊れた? 生身の方の腕が? 動かない。
どうやら中の骨が砕けているようだ。
「ガムさん」
カスミが慌ててこちらへと走ってくる。
俺は投げ飛ばされた空中で身を翻し、着地する。
「近寄るな」
そして、カスミの方へ手を伸ばし、待ったを掛ける。
不味いな。
思っていた以上の化け物だ。
再生したのか?
いや、それなら何故、着ていた服まで元通りになっている。ボロボロになっていたよな?
実は双子だったとか、そう言われた方が納得出来そうだ。
「どんなトリックを使ったんだ?」
「雑魚が。答えると思うか?」
黒髪のコックローチがこちらを見てニタリと笑う。
そうだな。答えるはずがない。
「ヒントくらいは教えてくれてもいいんじゃないか?」
「生きの良い餓鬼だ。いい素体になるかもしれねぇなぁ」
「素体ね。それはゾッとしないな」
俺は会話を続け、時間を稼ぐ。骨の砕けた右腕は少しずつ再生している。
「時間稼ぎか? 雑魚が」
「いいや、情報収集さ」
俺もな、この体――再生能力には少し自信があるんだよ。
『セラフ、どういうことか分かるか?』
『五十パーセントの確率の憶測なら』
『憶測なのか』
『ええ、正解が分からないのだから、どうしたっていい加減な答えになるでしょ?』
俺はセラフの答えに肩を竦めそうになる。だが、今は戦闘中だ。そんな隙を見せる訳にはいかない。
『それで構わない。教えてくれ』
『お前と同じように群体で作られた存在』
ナノマシーン?
『もし、そうだとして、倒す方法は?』
『アンチウィルスで命令を狂わせるか、物理的に全て消滅させるか、どちらかでしょうね』
全て消滅?
神の雷にも耐えたような奴を、か?
『アンチウィルスは?』
『すぐに用意出来ると思ってるの?』
セラフの呆れたような声が頭の中に響く。
ナノマシーン……。
ガロウの時と同じか。
『それなら俺の血を取り込ませればどうなる?』
『ええ、そうね。もし、群体で作られた存在ということであれば、アンチウィルスの代わりになるかも。そうね、それは悪くない。その時はお前の群体と反発し合い、命令が狂うでしょうからね』
あっていれば、か。
だが、他に方法がない。
やるしか、ないか。
「ガムさん」
カスミがこちらへとナイフを投げる。俺はそれを受け取り、その刃で自分の頬を切り、血を這わす。
この血で試してみるか。