196 機械の腕31――『水が流れているような音はしないな』
追いかけてくる真っ黒な戦車を無視してしばらく走り続けると裂けた大地に架かる巨大な鋼鉄の橋が見えてきた。
アレが天部鉄魔橋だろう。
かなり大きな鉄の橋だ。片側六車線の、戦車でも余裕を持って走れる鉄橋になっている。戦車で暴れても余程のことが無ければ下に落ちることはないだろう。
『大地が裂けている? 鉄橋の下は霧がかかっているようだが、どうなっている? 河なのか?』
だが、音が聞こえない。ドラゴンベインがかなり遠くまで周囲の音を拾ってくれているが水が流れるような音は……無い。
『水が流れているような音はしないな』
海が近いのでドラゴンベインの集音機能を使えば、波の音を拾うことも出来る。聞こえる水の音なんてそれくらいだ。
『ふふん。ここはかつての戦場跡。言ったでしょ、前線が近いって。この橋の下に流れているのは放射能の海よ。落ちれば普通の人間は……タダでは済まないでしょうね』
普通の人間は、か。
俺なら大丈夫かもしれないが、試す気にはならない。
俺は裂け目から鉄橋に視線を戻す。
天部鉄魔橋の前には、仲良くお揃いの管が伸びたゴーグルを装着した男たちが屯していた。
アクシードの雑兵だろう。
簡易テントを並べ、そこで木箱を囲む十人ほどの男たち。
見張りとして配置されたのかもしれないが、真面目に仕事をするつもりは無いらしく、アサルトライフルを抱えてカードゲームのようなもので遊んでいる。
随分とのんきな光景だ。
しかし、この時代にカードゲーム、か。何を遊んでいるのだろうか。
ドラゴンベインの操作卓を操作して、映像を拡大する。連中が遊んでいるカードには――何も描かれていなかった。
真っ白なカードを使って楽しそうに遊んでいる。
連中には何が見えている? あれは演技? こちらを油断させるための罠か?
[油断しているようですね。このまま叩きましょう]
こちらに追いついてきた真っ黒な戦車からの通信が入る。そして、その通信と同時に、遊んでいた男たちが慌てて立ち上がり、アサルトライフルを構え、キョロキョロと周囲を見回す。
『気付かれたな』
『ええ』
まるで通信を聞かれたかのような……いや、聞かれたのだろう。真っ黒な戦車からの通信は全域に向けたオープンチャンネルになっている。大声でここに居ますと喋ったようなものだ。
見通しのよい場所だ。元から不意を突くなんてことは出来なかっただろう。
だが、これは酷い。
「通信が全域になっている。聞かれたぞ。俺の足を引っ張るために追いかけて来たのか?」
[……それはあなたがチャンネルを教えてくれないからですよ。分かりました、ここは僕がやります。このクルマの性能を見てください。僕がどれだけ役に立つのか、僕の力が必要になるのかをね]
奴の真っ黒な大型の戦車が動く。
十字架のような主砲をアクシードの連中へと向ける。
「クルマだ! コックローチの兄貴に挑むクロウズの馬鹿がまた来たぜ」
「主砲来るぞ! シールド展開しろ」
アクシードの連中が集まり、何かの装置を起動させる。
『シールドか?』
『シールドね』
シールドか。厄介だな。副武装のHi-FREEZERやミサイルでは防がれてしまうかもしれない。
十字架のような主砲が火を噴く。
轟音とともにアクシードの連中に着弾し、十字架の形になった雲を作る。キノコ雲では無く十字架雲か。
その一撃でアクシードの簡易キャンプは吹き飛んでいた。アクシードの連中も生きていないだろう。
『シールドの展開が間に合わなかったのか?』
『シールド以上の威力だったようね。相手が使ったのが携帯用の簡易シールドとはいえ、最前線に近いだけあって、さすがの威力ね』
セラフは良いものが見られたと随分とご満悦な様子だ。
俺は肩を竦める。
確かに言うだけのことはあるようだ。
『ふふん。私たちに自分の力を見せるために、あえてパンドラの出力を最大にして攻撃したようね。パンドラ効率も悪くなるのに馬鹿な使い方』
『なるほど。そういうタイプか』
そういう使い方が出来る主砲なのか。そういう行動を起こす輩なのか。二つの意味で厄介だ。
俺はドラゴンベインを走らせる。
鋼鉄の橋は先ほどの一撃を受けても傷一つ付いていない。いや、傷一つは言い過ぎか。焼けてこんがりとした跡がうっすらと残っている。だが、それだけだ。随分と頑丈に作られているらしい。
鉄橋の上には何処から飛んできたのか、至る所に瓦礫が散乱している。だが、悪路に強い無限軌道はそれをものともしない。瓦礫を踏み潰し、乗り越え、走る。
『普通の車ではパンクしていたかもしれないな』
『その普通とやらに乗る物好きがどれだけいるのかしら』
俺は肩を竦める。
[待ってください。そろそろです]
奴から全域に向けての通信が入る。
またか。
……わざとやっているのか?
怒鳴り散らしたくなるのを我慢する。
鉄橋の中央に男が立っていた。身長二メートルを超えたタンクトップの筋肉質な男。真っ白な色の角刈りに厚い唇の男がこちらを見て身をくねらせる。
「あらあら」
気付かれた? いや、気付いていた、か。
白い男の足元には秤に乗せる分銅を大きくしたような塊が二つ転がっていた。
[コックローチ!]
奴が叫ぶ。
あれがコックローチか。
「あらあら、誰かと思えば仲間のクルマを奪って逃げた子ね、そちらは新顔みたいだけど」
喋っている筋肉の塊のようなコックローチの髪が黒く染まっていく。
白から黒へと変わる。
「雑魚が何度来たって同じだって分からねぇか! 分からねぇから来るんだろうな! 俺様に殺された雑魚、その雑魚に守られることしか出来なかった奴がどうするつもりだ?」
真っ黒な髪に変わったコックローチがこちらを指差し腹を抱えて笑っている。
[これは僕が託されたものです!]
ウルフが言い訳のように叫んでいた。
託されたというのは本当だろう。クルマは登録した人間以外動かせないようになっている。まぁ、裏技がない訳では無いようだが、基本はそうだ。だから、とっさに奪って逃げるなんてことは出来ないだろう。だとしても、指摘されて痛いところが――思うところがあるのだろう。
だから、簡単に挑発に乗ってしまう。
ウルフの戦車がコックローチを狙い主砲を放つ。
ちっ。
思わず舌打ちしてしまう。
連れてくるんじゃなかった。叩きのめしてでも置いてくるんだった。
コックローチが地面に転がっていた巨大な分銅を手に取る。
そして――
「雑魚が、雑魚が、雑魚がぁ!」
その分銅で放たれた一撃を弾き返した。そう、弾き返した。弾き飛ばされた弾丸がこちらで爆発する。シールドを展開し、爆風を防ぐ。
弾き返した、か。生身で砲弾を跳ね返すことには驚かされる。だが……。
そう、『だが』だ。
回避はしなかった。
弾き返されたが弾丸は当たっていた。当たっていたんだ。
もし、これが――
チャンスを潰されてしまった。
俺が勝つならここしかないというチャンスを潰されてしまった。
「それで終わりか? 雑魚か? 雑魚だな!」
コックローチが分銅をウルフの戦車に向ける。それが射出される。ウルフの戦車のシールドが飛んできた分銅を防ぐ。だが、一瞬にしてそのシールド障壁が砕け、戦車の前面装甲に分銅が突き刺さる。分銅が装甲を凹ませる。
こちらの何倍も分厚い装甲が凹んでいる!
コックローチが分銅を放った手を引くと、ウルフの戦車に突き刺さった分銅が動き、すぐさまその手に戻る。
「硬さだけが自慢か! だが、何発耐えられる? 雑魚は雑魚だな。雑魚だよなぁ! で、そっちのチョロチョロとこちらを狙っているのは何をするつもりだ? あ? 狙う? 怪しいぜ」
俺の動きがバレている。
狙っているのを知られてしまった。
コックローチ、アクシード四天王最強の男、か。