157 首輪付き44――『竜退治ならぬ蛇退治か』
「礼を言うぜ」
目の前の女――ガロウが口の端を吊り上げ笑う。
「死にかけたことで、頭の中にあった靄が綺麗に晴れたようだ。爽快な気分だぜ」
ガロウは笑っている。俺が切り裂いたはずの腹からは、しゅうしゅうと音を立て煙が出ている。
嫌な予感がする。
「カスミ」
俺はカスミへと小さく声をかけ、手に持っていた制御コアを投げ渡す。カスミが小さく頷きを返す。
俺はナイフを構える。
「おっと待ちな。もう少し俺の話に付き合えよ」
ガロウが両手を広げる。
走り出そうとしていたカスミの動きが止まる。
「時間稼ぎか?」
俺の言葉を聞いたガロウが首を横に振る。
「違うぜ。何も知らずに死ぬのはかわいそうだと思ったのさ。少しくらいは俺の昔話に付き合ってくれてもバチは当たらないと思うぜ」
ガロウが俺の後ろを――カスミを見る、見ている。
「それで、何の話がある?」
俺は肩を竦める。
「この体のことだぜ。不思議だろ? 死にたくても死ねないんだよ。ほら、この通りさ。どんな傷もしばらく待てば元通りなんだぜ」
ガロウは自虐めいた笑みを浮かべている。
「それで? 回復するための時間稼ぎか?」
俺と同じように傷が回復するということか?
「おいおい、まだ俺の話は続くんだぜ。気持ちは分かるが最後まで聞けよ」
このガロウの話にどれだけの価値と意味があるか分からない。
……必要無いな。無視してしまうのが正解だろう。
……。
だが、カスミが俺の服の袖を掴む。カスミを見る。カスミが首を横に振る。
俺は大きくため息を吐く。
「分かった。最後まで聞くさ」
「よし、続けるぜ。この体は元からこうだったんだぜ。俺が、自分のことを私と言っていた頃からこうだったんだよ」
ガロウの腹の傷が消えている。折った首も問題ないようだ。
「確か、連中は――施設の連中はグロッティの計画とか言っていたはずだぜ。俺はてっきり不老不死の軍隊でも作る計画かと思っていたが、いや、それももう分からないな。もうその施設はなくなっちまったからな」
「そいつはめでたいな」
「ああ、俺もそう思うぜ。で、そこで一人残された俺を拾ってくれたのがガレットにぃだ。そこからは二人で助け合ってクロウズとして生きてきたんだぜ」
俺は肩を竦める。
「それで、その話がどうしたんだ?」
ガロウが俺を指差す。
「その腕、砕いたはずだぜ? お前も俺と同じじゃあないのか?」
「それで? 同じ出身だと傷の舐め合いがしたいのか?」
ガロウが顔に手をあて、笑う。
「いいねぇ、いいぜ、お前。俺がこの話をした理由、分かるか?」
「時間稼ぎだろう?」
「違うぜ」
ガロウが笑う。
大きく笑う。
――ERROR――
右目に赤く文字が表示される。
な、んだ?
――ERROR――
――ERROR――
頭の中に警告音が響く。
『セラフ、これはなんだ?』
『おかしい。おかしい、おかしいおかしい! 周囲の群体が異様な動きを……』
混乱しているのかセラフからはまともな答えが聞けそうにない。
――ERROR――
――ERROR――
――ERROR――
――ERROR――
右目に次々と赤い文字が表示され視界が奪われる。思わず右目を閉じる。だが、消えない。
頭の中に警告音が響く。響き続ける。
何が起こっている。
鳴り止まない警告音とともにガロウの笑い声が響く。
「餓鬼、お前の名前は」
俺は右目を押さえ、左目でガロウを見る。
「ガムだ」
文字が重なり合い真っ赤に染まった視界に一つの文字が浮かび上がる。
――CHORD:JORMUNGANDR――
ガロウが両腕を抱えてうずくまる。
そこに何かが集まっていくのが分かる。
「ガム、これが、あの連中、あのクソどもに植え付けられた蛇の輪の力だぜ」
ガロウの体が膨れ上がっていく。服がはじけ飛び、鱗の生えた体が盛り上がっていく。
巨大な力のうねりが生まれ、部屋を壁を破壊する。
――それは蛇だった。
ガロウの体が一匹の蛇へと変わっていく。
――それは巨大な蛇だった。
壁を壊し、建物を壊し、大きく姿を変えていく。
「カスミ」
カスミへと呼びかける。
「私は大丈夫です」
カスミが動く。人造人間の運動神経なら大丈夫か。
足場が崩れる。建物が崩れていく。
蛇のうねりが破壊を生む。
破壊。
『これは俺の方が不味いか』
右目に映っていた文字は消えている。だが、このままでは建物の崩壊に巻き込まれてしまう。
『飛びなさい』
頭に響くセラフの言葉。言われるまでも無い。
崩れる壁と壁の隙間から飛ぶ。外へと飛ぶ。
飛び降りる。
ここは建物の五階――地上までの高さ、死、迫る。
そこに何かが飛んでくる。いや、突っ込んでくる。
!
それはグラスホッパー号だった。
俺は空中で手を伸ばし、グラスホッパー号を掴み、乗り込む。
『ふふん。感謝しなさい。領域を奪ってすぐに動かしておいたのだから!』
セラフの随分とご機嫌な声が頭の中に響く。
『感謝する。だが、この後、どうするつもりだ』
グラスホッパー号が落ちる。このクルマに空を飛ぶ機能なんてものは付いていない。飛び跳ねた後は落ちるだけだ。
『ふふん』
跳んでいたグラスホッパー号が足元にシールドを広げ着地する。大きく車体が跳ねる。シールドがガリガリと削られていく。五階からの着地――それだけでグラスホッパー号に搭載されているパンドラの残量が殆どなくなっていた。
命は助かった。だが――
『セラフ、どうするつもりだ?』
このグラスホッパー号には攻撃に回すためのパンドラが残っていない。
俺は建物を見る。巨大な蛇が巻き付き、締め上げ、破壊しようとしている。
巨大な蛇の頭がこちらを見ている。見て笑っている。
五階建ての建物を締め上げるほどの大きさ、か。生身で戦えるような相手ではない。銃火器――クルマが必要だ。
だが、グラスホッパー号は……。
『ふふん誰にものを言っているの? これだから……』
激しい音が響く。俺は音のした方を――防壁を見る。
もう一発……激しい音が響く。音とともに都市を覆っていた防壁にヒビが入る。
『まさか』
『そのまさかでしょ!』
音とともに防壁が吹き飛ぶ。
そしてキュルキュルと無限軌道を響かせ、戦車が姿を現す。
砲塔から熱く煙がたなびいている。
『竜退治ならぬ蛇退治か』
『ふふん、任せなさい』