149 首輪付き36――『セラフ、あれが見えるか?』
「ああ、面白かった。随分と芸が細かいな。劇団でも作ったらどうだ?」
俺は口髭を称賛し、肩を竦める。
そんな俺の態度が気にくわなかったのか口髭の男はこめかみをピクピクとひくつかせていた。
「ほうほう、まだ、それくらいの元気があるとはのーう」
「それで?」
「ふん、面白くない。殴りかかってくるか、泣き叫ぶかして欲しかったのだがね」
「なんだ、殴られたかったのか」
俺は拳をポキポキと鳴らし、肩を怒らせ首を回す。
「まだ立場が分からないようだのう」
次の瞬間、俺の両手両足に異常な負荷がかかる。体が崩れ、地面に縫い付けられる。手を、足を、持ち上げることが出来ない。
「おい、こやつを連れて行くのだ」
仮面の巨漢野郎が通路の奥からのそりのそりと歩いてくる。
さて、どうする?
なかなか面白いものを見させて貰ったが、それだけだ。そろそろ底は見えてきた。お遊びに付き合うのはこれくらいで充分だろう。俺自身の体力の問題もある。余裕を見せていて反抗する体力が無くなってしまったでは笑い話にもならない。
ん?
と、そこで俺はそれを見つける。
最初は目の錯覚かと思ったが……。
『セラフ、あれが見えるか?』
『はぁ? 何を言っているの?』
セラフに見えていない?
あれは……。
俺の体が仮面の巨漢に持ち上げられる。
しまった。見えていたものに気を取られ、動くタイミングを逃してしまった。
……。
俺の体が牢の中へと戻される。
……仕方ない。
にしても、セラフにも見えず、口髭や仮面の巨漢も気付いていなかった。だが、あれは目の錯覚ではない。ないはずだ。
あれは、何だ?
俺は目を閉じる。とりあえず明日に備えて眠っておくか。
……。
そして、翌日。
「あーさー、あーさーでーす。今日の仕事をー始めーなーさーい。逃げだそうとすれば、重さを増やします。まずは右手ー、右手が潰れるほどの重さにしまーす。次は右足、左手、右足の負荷を増やしまーす。分かったなら今日の仕事を始めなさーい」
通路から声が聞こえる。
どうやら通路に設置されたスピーカーから流れているようだ。
俺は大きく欠伸をし、起き上がる。牢の鉄格子は開けられている。今日の労働の始まりだ。
通路に出て、仕事場に向かう。
「あ?」
思わず間抜けな声が出た。
部屋の中央にある円柱――そこから伸びたレバーには先客がいた。
それは頭が綺麗に禿げ上がった男だった。向こうも俺に気付いたようだ。
「だ、誰だ? また俺をはめるつもりか」
禿げた男が弱々しい声で呟き、周囲を見回している。
「仕事をー始めーなーさーい」
円柱の上から声が流れる。
禿げ男の存在は気になるが、仕事を始めないといけないようだ。
俺は肩を竦め、禿げ男の方へ歩いて行く。
「お、おい」
「悪いね、少し寄ってくれよ」
禿げ男の隣に立ちレバーを握る。
「お、おい! お前!」
俺がレバーを押そうとしたところで禿げ男が叫ぶ。
だが、それは許されないことだったようだ。
「私語はー厳禁ーでーす」
円柱の上からそんな声が聞こえたと思った次の瞬間にはバチンと嫌な音とともに禿げ男の首輪から電気が流れていた。
「あがががががががががっ!」
俺と同じような首輪を身につけた禿げ男が体に流れた電気に身を震わせていた。どうやら命に関わるほどの電流は流れていないようだ。
俺は動かなくなった禿げ男を無視してレバーを押す。この男の存在は気になるが、私語を禁じられているのだから仕方ない。
俺はレバーを押す。
ぐるぐると一つの車輪となって回る。
今日の仕事も十時までだろうか。さすがにそろそろ飽きてきたな。一週間も仕事に耐えられないなんて、俺は随分と堪え性がないようだ。
しばらく回り続けると隣の禿げ男が目を覚ました。禿げ男は恨めしそうな顔で俺を睨むとレバーを押し始めた。二人がかりなら仕事も楽になるだろう。
……。
……そう思っていた時期が俺にもありました。
それは禿げ男がレバーを押し始めてしばらく経ってからのことだった。
隣の禿げ男がぶるぶると体を震わせ、粗相をした。
トイレ休憩が無いのだから、垂れ流しは仕方ないだろう。生理現象だ。この禿げ男も頑張って我慢してくれていたのだろう。
仕方ない。仕方ない……が。
俺たちはぐるぐると同じ場所を回っている。レバーを押し、車輪のように回っている。
そう、この禿げ男が粗相した場所の上を必ず通ることになるのだ。
仕方ないことだが、勘弁して欲しい。
そんなことがあった後も仕事は続く。
俺は――俺と禿げ男はレバーを押し続ける。
時計の針が十時になる頃には禿げ男はレバーに寄りかかり、死にそうな顔になっていた。過呼吸を起こしている。水分が足りないのかもしれない。食事も休憩も無く一日中作業をさせられているのだ、こうなって当然か。
仕事が終わる。仮面の巨漢が現れ、禿げ男を担ぎ上げ、何処かへと運んでいく。自分では動けないほど、か。
後、数日、同じ作業が続くのならば、この禿げの命は無いかもしれない。
俺は自分の足で歩いて部屋に戻る。そこには今日もスープが用意されていた。塩味のスープだけか。
俺は肩を竦める。
失った水分は湿った牢の壁でも舐めて潤せとでも言うのだろうか。
今日もスープを捨て、壁の苔を毟って口に入れる。
さて、どうする?
と、そこで俺は気付く。
いつ現れたのか俺の牢の前に――鉄格子の向こうに女が立っている。
昨日、見たものは錯覚では無かったようだ。
それは俺が決闘場で首をはね、殺したはずの女だった。