148 首輪付き35――「まだ二日目だからな。仕事を覚えるのに苦労しているところだ」
牢の中に投げ込まれる。
「おっと、食事だったのう」
口髭の男が楽しそうに手を叩くと通路の奥から深皿を頭に乗せた車輪付きの円筒形が現れた。口髭の男が円筒形から深皿を受け取る。
「これは豆入りの塩スープなのだ。ここの伝統料理なのであーる」
口髭の男はそう言うと深皿の中に痰を吐いた。そのまま混ぜるように深皿を揺すり、転がっている俺の前に置く。
「味わって食べるが良い」
口髭の男はニヤニヤと笑い、ご自慢の髭を撫で牢を出て行く。それに合わせて牢屋の鉄格子が閉められる。
口髭の男が去った後に残ったのは、奴の痰入り塩スープだ。中には気持ち程度の豆が浮いている。
……。
俺は塩スープを前にして動くことが出来ない。両手両足の枷が邪魔だというのもあるが、この……。
「お隣さん、生きて戻ってきたのか」
隣から男の声が聞こえる。
「ああ、なんとかな」
俺は塩スープを前にして動くことが出来ない。
「お隣さん、飯か。例のアレをやられたんだろ? 気持ちは分かるが、それでも飲んだ方がいいぜ。少しでも食べて体力をつけないと明日からがキツいぞー」
「なるほどな」
「お隣さん、食事が終わったら教えてくれ。少し話がある」
隣からの声を聞き俺はため息を吐く。
仕方ない。
俺は全身に力を入れ、その反動で起き上がる。両手両足は重いままだが、そうだと分かっていれば動けないことはない。
深皿を持ち、牢の隅まで歩く。そこで深皿を傾け、口髭の出汁が利いたスペシャルなスープを全て捨てる。
やれやれ、馬鹿にされたものだ。
俺は深皿を鉄格子の方へと投げると、隣の男の声が聞こえる位置まで戻る。
「それで話とは?」
「ああ、食べたのか。じゃ、話すけどさ、大きな声を出すなよ?」
「分かった」
「お隣さん、後三日耐えるんだ。三日後にここから抜け出す手はずになっている」
俺の呼び方が『新人さん』から『お隣さん』になっている。
「どうやって?」
「俺の仲間が動いてくれている。三日後の夜、牢が開くはずだぜ」
「……何故、それを俺に教える?」
「お隣さん、あんたが今日を生き延びたからさ。俺の番号を知っているか? 俺は九号さ。それだけ入れ替えが激しいんだよ、ここは」
なるほど。俺が六号と呼ばれているのもそこに欠番が出たから押し込められただけということか。
「殆どの奴が初日でリタイアさ」
「なるほどな」
「ああ、だからお隣さんには期待しているのさ。とと、あまり喋っていると寝る時間がなくなるか。お隣さん、聞いたな、三日後だ。三日耐えてくれ。じゃあな、俺は寝るぜ」
それだけ言うと隣からの声は聞こえなくなった。眠ったように静かになった。
……。
『セラフ』
俺は一日静かにしていたセラフに呼びかける。
『何?』
『セラフの方の状況は?』
『お前は私の力を頼りにしたいのかもしれないけど、現状は最悪。サイアク! 私のような存在を把握している奴がいるんでしょうね、路が全て塞がれているもの』
珍しくセラフの言葉に力が無い。
『どういう問題がある?』
『外と遮断されているって分からないの? ドラゴンベインはロックをかけたから襲われたり盗まれたりすることは無いと思うけど、放置状態。オフィスと通信することも出来ないから、そちらも動かせない』
セラフが置物状態になっているようだ。
『そうか、大変だな』
『この妨害が! 障害を生み出している装置を破壊しない限り……何も出来ない!』
セラフの声は悔しさに満ちあふれている。
元からセラフには期待していないがドラゴンベインが放置状態になっているのは気になる。もし、妨害装置を見つけることが出来たら……壊しておくべきだろう。
『分かった』
横になり、眠る。
そして次の日。
牢が開く。やって来たのは仮面の巨漢だけだった。口髭の男の姿は無い。
仮面の巨漢が俺を担ぎ上げ、昨日と同じ部屋まで運ぶ。
昨日と同じ作業、か。
レバーを握らされる。
巨漢の男が部屋から出て行くと、昨日と同じように俺の背後の床が迫り上がり、そこからドリルが突き出る。
今日の労働の始まりだ。
レバーを押す。昨日と変わらない。
今の時刻は……朝の六時、か。今日の仕事を何時までやらされるのか分からないが、長い一日になりそうだ。
レバーを押す。押し続ける。
……。
……。
……。
その日の仕事は夜の十時に終わった。昨日と同じだ。
仕事の途中に食事休憩やトイレ休憩は無かった。
……垂れ流しながらレバーを押し続けろということなのだろう。常にドリル付きの壁に追われているが、それは途中、途中で休憩が出来ないほどの速度ではない。あえて、そうしてあるのだろう。
じわじわと奴隷を追い詰め、心を折るために、か。
仮面の巨漢が牢に俺を投げ捨てる。仮面の巨漢は、円筒形の運んできた塩スープを俺の前に置くと、鉄格子を閉め、そのまま去って行った。
今日は特製の出汁が入っていないようだ。
俺は力を入れ、立ち上がり、深皿を拾う。そのまま昨日と同じように牢の隅まで歩き、塩スープを捨てる。
「お隣さん、今日もお疲れさん。もう仕事にはなれたかい?」
隣の男が気楽な様子で話しかけてくる。
「まだ二日目だからな。仕事を覚えるのに苦労しているところだ」
「ああ、覚えることが多いからな。大変だよな」
隣の男が笑っている。
「じゃ、お隣さん、俺は寝るぜ。後、二日だ。二日だからな」
それだけ言うと隣からの声は聞こえなくなった。
後、二日、か。
俺は牢の壁まで歩く。そして、そこにこびりついた苔をはぎ取り、口に入れる。青臭く土の味しかしない。それでも苔を削り取り食べる。
次の日。
「お隣さん、今日は俺の方が先に仕事のようだ」
隣の牢、その鉄格子の開く音が聞こえる。
次に俺の牢の鉄格子が開いた。どうやら、今日はお迎えが来ないようだ。
俺は牢を出る。両手足の負荷が軽くなっている。
隣の牢を見る。俺が入っている牢と同じ造りだ。当たり前だが、そこには誰も居ない。
「今日の仕事をー始めーなーさーい。逃げだそうとすれば、重さを増やします。まずは右手ー、右手が潰れるほどの重さにしまーす。次は右足、左手、左足と負荷を増やしまーす。分かったなら今日の仕事を始めなさーい」
通路から声が聞こえる。
どうやら通路にスピーカーが設置されているようだ。
俺は肩を竦め、仕事場に向かう。
レバーを握り、押す。
今日の仕事の始まりだ。
レバーを押す。もう慣れたものだ。
今日も朝から晩まで押し続けることになるのだろう。
……。
レバーを押す。心を無にして、ただ、押す。
その日も夜十時になったところで解放された。俺は自分の足で牢へと戻る。鉄格子の開いた牢の前では塩スープを頭に載せた車輪付きの円筒形が待っていた。
俺は塩スープを受け取り、牢の中に入る。鉄格子が閉まる。
俺は今日も塩スープを捨てる。
塩スープを捨て、横になっていると隣の牢の開く音がした。
「ようやくお戻りか?」
隣に話しかけてみる。
「ああ、お隣さんか。お隣さんの方が早かったのか」
「今日はそのようだな……大丈夫なのか?」
「あ、ああ。大丈夫、大丈夫さ。俺も飯にするよ。お隣さん、明日だ。明日の夜が決行だから、よろしく頼むぜ」
疲れをにじませたその言葉の後、隣は静かになった。
そして、翌日。
いつものようにレバーを押す仕事を続ける。
その日も夜の十時に解放された。牢に戻ると塩スープを載せた円筒形が待っている。塩スープを受け取り、牢に入る。鉄格子が閉まる。
さて。
隣の男が言っていたのは今日だ。
しばらく待っていると鉄格子が開いた。
「お隣さん、今だ。逃げるぞ、俺の後に着いてきてくれ」
隣から声が聞こえる。
俺はため息を吐き、牢を出る。
そして隣の牢を見る。
……。
「お隣さん、どうしたんだ? 何を立ち止まっているんだ、逃げるぞ!」
そこには四角いスピーカーだけが置かれていた。
スピーカーからは『お隣さん』とこちらに呼びかける音だけが発せられている。
なるほどな。
「ん、ん、んー。どうだね、面白い余興だろう。ん? まさか本当に逃げられると思っていたのかね。それは甘いのであーる」
通路の奥からニヤニヤ笑いをこびりつかせた口髭の男が現れる。
なるほどな。どうりで隣の部屋に人の気配が無かった訳だ。
こういうオチか。