010 プロローグ07
ぐちゃり。
肉片を放り投げ積み上げる。裸のまま謎の装置がある部屋と階段を何度も何度も往復し、ネズミの死骸を積み上げていく。
ぐちゃり、ぐちゃり。
手も、足も、ネズミの血によって真っ赤に染まっている。
空腹で気が狂いそうになるが、それでも歯を食いしばり、ネズミの死骸を運ぶ。積み上げる。
ぐちゃり、ぐちゃり。
肉を踏みしめ、その気持ち悪い感触に耐えながら積み上げる。明るくなって作業がし易くなったことだけが救いだろうか。
ぐちゃり、ぐちゃり。
肉の脂で足が滑りそうになりながらも頑張って積み上げる。足に傷でもあれば、そこから危ない病気でも貰いそうな作業だ。
はぁ……。
大きくため息を吐き出し、それでも続ける。
べちゃり。
肉を投げる。
毛の部分を上にした方が積み上げやすいようだ。無駄な知識が増えていく。
肉を運ぶ。投げる。積み上げる。
そして、やっと上の階に戻れそうなほど肉が積み上がる。最低で最悪な踏み台だ。
まずはハンドガンを階段の上へと投げる。そう、なくしたはずのハンドガンだ。この肉の山を作る途中で死骸の下に埋まっていたハンドガンを見つけることが出来たのは運が良かった。
肉を踏みしめ、足を取られそうになりながら飛び上がる。崩れそうな階段の端に掴まる。血で手が滑りそうだ。肉の塊の上に落ちても怪我はしないだろうが、あまり気持ちの良いものではない。気合いを入れて体を持ち上げる。
怪我していたはずの手は問題なく動く。骨が見えるほどの傷が治っている。これは……狼化したことの影響だろうか。
階段に戻り、投げ上げていたハンドガンを拾う。
全裸にハンドガン、か。酷い格好だ。しかもハンドガンには弾が入っていないのだから、もう笑うしかない。
エレベータールームに戻る。ここも電気が来て明るくなっている。もしかしてと思いエレベーターらしき扉に触れてみる。
……。
動かない。反応がない。
だが、かすかな振動を感じる。稼働はしているようだ。しかし動いてくれない。動かすためにはIDカードとか、そういった認識証が必要なのだろうか。
ロッカーの方も調べてみる。開かない。こちらもかすかに振動しているので稼働はしているようだ。だが、開かない。
くそッ!
このロッカーの中に、何か食べ物が、水が、服が、武器があることを期待していたのに!
開きそうで開かない状況が、さっきまでのどうやっても開きそうにない状況よりも絶望感を煽る。心が折れそうになる。
大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。そして小さく頭を振り、負の感情を追い出す。
……仕方ない。
例の監視部屋まで戻ることにする。
エレベータールームを出て円形のトンネルに入ると壁のガラス片が赤く輝きだした。
『汚染されています。汚染されています。ただちに除去を開始します』
それに合わせて警報が鳴り響く。
汚染?
警報は鳴り続けている。だが、何も起こらない。
周囲の壁は目が痛くなるほど真っ赤に明滅している。だが、それだけだ。うるさく、目が痛い、そんなトンネルの中をとぼとぼと歩く。
長い廊下を歩く。警報は止まらない。耳が痛くなりそうだ。
そして監視部屋に辿り着く。
あの声が言っていた端末はこれのコトだろうか? 確かスイッチはディスプレイの下にあったよな?
ブラウン管のディスプレイに手を伸ばす。だが、自分がスイッチを入れるよりも早くディスプレイが起動する。
ん?
そして残像とともに波打つ映像が表示される。それは一人の少女だった。あの透明な板から投影された立体映像と同じ顔だ。
映像の少女が口を開く。だが、当然のように音は聞こえない。
……。
そうだよな、このディスプレイ、スピーカーがついていないようだからな。音が出ないのは当然だ。
そのことに気付いたのかディスプレイに文字が表示される。
……え?
もしかして、これはリアルタイムの映像なのか? こちらの状況を把握しているのか?
表示された文字は――
『私はノルンの娘。端末を探し出しなさい。それは円形の姿をしたガラスの板です。動き出しました。生命あるものは排除されるでしょう。早くしなさい。命が惜しいのなら従うのです』
繰り返し同じ文章が表示されている。こちらに伝わっているか分からないから繰り返しているのだろうか。
にしても端末、か。てっきり、このディスプレイのことかと思ったが違っていたようだ。
……円形のガラス板、か。
俺はそれに覚えがある。
あの部屋に戻る必要があるようだ。
机を動かし、それを踏み台にして壁の穴に戻る。そこから実験部屋に入る。
……ここは変わらない。部屋は薄暗いままだ。そういえば、この部屋の棺は最初から動いていた。あの地下にあった装置とは電源が別なのかもしれない。
実験部屋に飛び降り、ガラス板を探そうとする。そして、それはすぐに見つかった。存在を主張するように床の上で青く輝いている。自己主張が激しいガラス板のようだ。
青く点滅しているガラス板を拾う。
『遅い!』
すると、そのガラス板から声が聞こえた。そう、声だ。透明な板にはスピーカーなんてしゃれたものはくっついていない。中に基板や配線なども見えない。なのに、声がする。
『まずは備えて装備をしなさい。案内します。死ぬ前に急ぐのです』
透き通るような心地よい音色の声だが、言っていることは無茶苦茶だ。
『足があるなら動きなさい。エレベータールームまで行きなさい』
声は俺を急き立てる。
……。
この声が自分を何処に案内しようとしているのか分からないが、食料も水も服もない現状では出来ることも限られる。それに、だ。他に行ける場所もないのだ。
どうやら、この声に従うしかないようだ。