239 氾濫の後で
【余はこれより今世を見て回ろうかと思う】
ラクルの願いを辞退した始祖は変わったであろうこの世界を見聞する旅に出ると宣言した
〈ではお供致します〉
その言葉にラクルは躊躇う事なく同行を願い出る
【馬鹿な…敵対国に命を狙われるばかりか領地を奪われかねんぞ?】
始祖はラクルの願い出を聞いて呆れる
〈その点は心配ご無用です。この日向子が周辺の敵対勢力を平定しましたので〉
【何と…余が成し得なかった事を日向子がな…】
始祖は目を丸くして日向子を見つめる
「折角の親子水入らずなんだしバンパイア領内も皆で支えて貰って楽しんで来て下さいね」
先程迄三つ巴の戦闘をしていたとは思えない程暖かい空気が流れていた
その後空間を解いた始祖はラクルと共に暫く旅に出る事を宣言し配下のワーウルフ達を驚愕させた
配下達にしてみればラクルが倒れ始祖が現れた段階で根絶やしされる危険性があったのだ
ところがラクルも日向子も始祖迄が無事でしかも仲の良さそうな雰囲気迄出ていた為拍子抜けしてしまっていた
ともかく一連の氾濫騒ぎは始祖の復活という形で幕を下ろした
後の事はラクルと始祖、バンパイア一族で決めれば良いだろう
「じゃあまた」
日向子は二人に挨拶をするとゴルドへ向けて飛び立った
【まさか日向子がゴルドの領主だとはな】
飛び去る日向子を見送りながら始祖は呟く
〈それだけではなく我等バンパイア一族の救世主でもあります〉
【ラクルよ】
〈はい〉
【余は二人の仲を邪魔はせぬぞ?】
始祖の突然の言葉にラクルは狼狽えつつ何とか体裁を整える
〈我は未だ燻る一族の悪習を断ち切らねばなりません。始祖よ、どうかお力をお貸し下さい〉
始祖は生真面目なラクルをつまらなそうに見つめる
【何事も過ぎれば身を滅ぼすぞ?】
〈は。それは始祖の過去で学びました〉
ラクルも負けじとやり返し今度は始祖が苦々しく笑っている
【ふん…そう言えばドラクはどうした?死んだのか?】
始祖は漸く愚息ドラクの姿がない事に気付いた
ドラクは序列で言えば第一位の継承権を持っていた筈である
〈兄は…現在ゴルドにて霊能者として新たな境地を見出だしております〉
【何と…それもあの日向子の計らいか?】
〈は。そうでなければ一族を滅亡に追い込んだ咎で処刑せざるを得なかったでしょう〉
理由は聞かずともおおよその予測がついたと見えて始祖は深く嘆息する
【ではあの娘は一族の恩人でもある訳だ、余計に恋路を邪魔する理由はなくなったな】
冷徹で残虐だと聞かされていた始祖からウィットに富んだジョークを言われてラクルは珍しく動揺を隠せなかったが端から聞けば仲の良い親子の会話に聞こえていたのだった
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バサッ、バサッ、スタッ
「ただいまー‼長々と迷惑掛けてゴメンね」
日向子はいの一番にシルグ達のいる執務室に飛び込んで詫びた
『ん?おぉ、主殿。ラクル殿はもう回復したのか?』
山と積まれた書類からシルグが顔を上げると日向子に訊ねた
「うん。もう大丈夫みたい、それに始祖さんも復活したしね」
その言葉を聞いて横で同様に書類の山に囲まれていたキメもハッと顔を上げる
《始祖…とはあの始祖か?》
キメは以前吸収したバンパイアの細胞から始祖に関する記憶も受け継いでいた為に急に色めき立った
「うん、でも話してみたら良い人だったわよ?私も意外だったけどね」
『…主殿、経緯を詳しく聞かせてくれ』
《俺にも頼む》
シルグとキメは始祖の復活というキナ臭い話に危機感を抱いている
「えー?全て話すのは大変だな…あっ‼じゃあちょっと頭貸して?」
日向子は手から触手を出すと並んで座り直したシルグとキメのこめかみにソッと当てる
「じゃあ…いくよー」
…ギュンッ‼
日向子は自身の触手を使い二人にこれまでの経緯をイメージと共に伝達し始めた
会話とは違い意思伝達に掛かる時間は一瞬だった
『…ふーむ、成る程。流石バンパイアの始祖だな、細胞1つから復活するとは…』
《…取り敢えずラクル殿にも協力的だし当座は問題にはならなそうだな…》
シルグとキメは日向子から得た情報で危険性がない事を確認してホッとしている
「ね?言い伝えだもかなり危ない人だけどそんな事ないでしょ?」
日向子も意外に柔和だった始祖に悪いイメージは持っていない様だ
『ところで主殿。』
「ん?なぁに?」
『ラクル殿と恋仲になったらしいが番になるのか?』
「。。。」
シルグの質問に日向子は一瞬にして固まった
「ばっ⁉そ、そんなまだ全力…そんなんじゃないからねっ⁉」
顔を真っ赤にした日向子が身を捩りながら動揺している
《…ラクル殿なら俺も賛成だ。早く子種を作ると良いぞ?》
以前より主従関係以上の好意を持っていたキメだが自分では日向子を守りきれない事は分かっていた
それ故に強者であるラクルとの恋路は疎ましく思うどころか喜ばしい事であったのだ
そんなキメの心情など今の日向子には届くべくもない、体も茹でダコの様に赤くした日向子は顔を手で覆ったまま執務室を飛び出していったのだった




