96話 駆けて、駆けた
ベルンハルトに手を引かれ、私は廊下を駆ける。
日頃ならロマンチックとも思えそうな状況だが、今は、そんな風にはとても思えない。殺す気満々の人たちに追われているからだ。
「ねぇベルンハルト! どこへ逃げるつもりなの!」
「リンディアたちを起こす」
走りながら、私は問い、彼は答える。
「従者の部屋に行くってこと?」
「そうだ」
「起きてくれるかしら……」
「緊急用の連絡手段がある」
ラナらの魔の手から逃れるべく、私たちはひたすら走る。
止まることは許されない。ほんの数十秒止まっただけでも、ラナたちに追いつかれてしまうから。
それにしても、凄い速さ。
ベルンハルトが手首を掴んでいるため、私も、彼の速さに近い速さで走っている。時折宙に浮きそうになるくらいだ。
しかしながら、彼が手を引いてくれるからか、いつもよりは走りやすい。
長く伸びた金髪が、少しばかり重いけれど。
従者の部屋の扉が見えてきた。
あと少しで着く。
けれど、リンディアやアスターを速やかに起こすことなんて、本当にできるのだろうか。寝ている人を一分もかからずに起こすなんて、可能だとは思えない。
「もうすぐ!?」
「そうだ」
「本当にこれで大丈夫なの……?」
「問題ない」
落ち着きを保っているベルンハルトを見ると、狼狽えている自分が馬鹿みたいに感じてきてしまう。けれど、だからといって落ち着けるわけもない。
一二分の余裕すらない緊迫した状況におかれるというのは、寿命が縮みそうである。
ベルンハルトは、片手で、勢いよく扉を開ける。
ここからどうなるのだろう、と不安に思っていると、ベルンハルトは、入ってすぐのところの壁の傍にある一本の紐を下に引いた。
「よし」
納得したように一人頷くベルンハルト。
「紐? 引っ張ることにどんな意味があるの?」
「これで連絡がいく」
「原始的ね。本当に大丈夫なの?」
「あぁ」
「それならいいけど……」
言いながら、何となく、奥へと目を向ける。
そして、驚いた。
「アスターさん!?」
床に、アスターが倒れ込んでいたからである。
「どうした、イーダ王女」
「あれってアスターさんじゃない?」
私はベルンハルトにそう言ってみた。
すると彼は私と同じように奥へ目を向ける。そして、その目を大きく開いた。
いつも多少のことには動じず、常に淡々としている彼だが、これにはさすがに驚いているようだ。
「アスター、だと?」
「寝ているのかしら」
一応言いはしたものの、「恐らくそうではない」と内心思っている。
変わり者のアスターではあるが、さすがに、こんな夜中に自室から出て床で寝る、なんてことはしないだろう。
「いや、さすがに自室から出て寝たりはしないだろう」
「少し様子を見てくるわ」
倒れているアスターへ駆け寄る。
そして、さらに驚いた。
彼の体の数ヵ所に、クナイが刺さっていたから。
離れたところから見た時には気づかなかったが、刺さっているのは一二本ではない。急所に刺さってはいなさそうだが、結構な数だけに、見た時の衝撃が大きい。
「アスターさん!? アスターさん!」
何度か名を呼んでみる。
しかし返事はない。
目を凝らすと、首筋が赤く濡れていることにも気がついた。そちらも極めて深いことはなさそうだが、痛々しい状態になってしまっている。
アスターの横に座り込んだまま、私はベルンハルトへ視線を向けた。
「ベルンハルト! 駄目だわ、反応がないの!」
ただそう述べることしかできない。アスターの状態を細やかに説明するなんて、急には不可能だ。
「それに怪我をしているわ!」
「取り敢えず、触れるなよ」
「どうして!?」
助けなくてはならないのに。
「特に、血液には触れるな」
「……アスターさんを汚いものみたく言うのね」
「他人の血液には触れないのが鉄則だ」
ベルンハルトがそう言った、直後。
「追いついたで!」
「もう逃げ場はありません」
ラナとミストが部屋に現れた。
もはや追いつかれてしまった。恐ろしい速さの二人である。
「……来たか」
ほんの少し顔をしかめ、呟くベルンハルト。
「閉所へ逃げ込むとは、極めて非効率的です」
「くたばってもらうで!」
またしても二対一になってしまう——と思った、その瞬間。
リンディアの部屋の扉が、バァンと大きな音をたてながら、豪快に開いた。
「何があったっていうのよ!」
赤い髪が視界を駆ける。
「リンディア!」
私は思わず叫んでしまった。
彼女が援護しに来てくれたらどんなにいいか、と思っていた。それが叶い、私は嬉しい。
喜びと安堵が、凄まじい勢いで湧いてくる。
「ちっ……。また増えるとか、だるすぎやわ」
「ラナ、まだ二対二です。負けてはいません」
「そりゃそうやけどさ……」
リンディアの登場に、ラナは不機嫌な顔つきになった。しかも、かなり愚痴を漏らしている。
「王女様に、ベルンハルト。お待たせしたわねー」
「遅かったな」
「うっさいわよー。ベルンハルト」
リンディアはほんの数秒だけベルンハルトや私を見た。そして、すぐに、ラナらの方へ視線を移す。
「アンタたち、よくも弄んでくれたわねー」
ラナとミストの表情が固くなる。
「いーい? 覚悟なさい」
冷ややかに放つのはリンディア。
彼女がアスターに気づいたかどうかは分からない。が、もしかしたら気づいたのではと思うほどに、彼女の目つきは鋭かった。
「覚悟すんのはそっちや!」
「その言葉、そっくりそのまま返して差し上げるわよー」
「調子に乗っとんとちゃうぞ!」
「あらー。がら悪ーい」
ラナの発言があまり品の良いものでなかったということは、私にも理解できる。しかし、その発言が生まれたのは、リンディアが挑発的な態度を取ったからであろう。
……いや、今はそんなことはどうでもいいのだが。
片側の口角を持ち上げて笑みを浮かべながら、リンディアは赤い拳銃を取り出し構える。
「ここからは、あたしが相手してあげるわ。さ、二人まとめてかかってらっしゃーい」




