89話 いや、それはやりすぎ
扉が開きっぱなしだったから、私は見てしまった。
一つのベッドに腰掛けて語らっている、ベルンハルトとフィリーナの姿を。
とても楽しそうな顔をしているわけではなかったけれど、それでも、二人が並んでいる光景には衝撃を受けた。
もっとも、見たのが私でなかったなら、ここまで衝撃的には感じなかったのかもしれないが。
「あ……」
思わず声が漏れる。
そのせいで、ベルンハルトの視線がこちらへ向く。
「イーダ王女?」
ベルンハルトの凛々しい瞳は、私を捉えた瞬間、大きく広がる。
そこに滲むのは、驚きの色。
「べ、ベルンハルト……その……何をしているの」
「貴女こそ、なぜここに」
彼の言葉に、わけの分からない怒りが込み上げる。
「そういうことじゃないでしょう!?」
私は感情的になった。いつになく鋭い声を発しただろうと思う。
いつもの私なら、怒りが込み上げたとしても、少しくらい我慢したはず。自分を落ち着かせるように努力もしただろう。
けれども、今は違った。
「こんな真夜中に女の子と何をしていたのか聞いているのよ!!」
大きな衝撃を受けたばかりの頭は、完全に理性を失っていたのだ。
「何をそんなに怒っているんだ」
ベッドから下りたベルンハルトは、こちらへ歩み寄ってきて、私の手を取ろうとした——が、私はその手を強く払った。
「触らないで!」
「イーダ王女、一体どうしたんだ」
「フィリーナと何をしていたの⁉︎ まずはそれを答えて!」
分かってはいるのだ。こんな風にベルンハルトを責めても、何も生まれないということくらい。分かっている。私のこの苛立ちは、ただの焦りに過ぎないのだということも。
フィリーナは可愛い娘だ。素直で、純粋で、穢れもない、天使のような娘。そして、男性なら誰もが、彼女のような人を愛おしく思うだろう。
きっと、彼女のような人こそが、理想形の女性。
けれども、私が頑張ったとしても——あんな風になることはできない。
「説明はする。だから落ち着け」
「おかしなことだったら許さないわよ!」
「僕は王女の名を汚すような真似はしない」
「いいから早く話しなさいよ!」
私はただ、恐れていたのだろう。
フィリーナのような娘が近くにいたら、今私の傍にいる人を奪われてしまうのではないか、と。
「あ……」
恐れが苛立ちとなり、衝撃によって激しい怒りへと変貌したのだと思う。
しかし、その怒りもいつかは落ち着き、その先に待っているのは——虚しさ。
「ご……ごめんなさい。取り乱したりして」
勝手に不安になって、勝手にいらついて、勝手に怒って当り散らして。
結局私は、人を傷つけただけではないか。
「お楽しみ中、邪魔して悪かったわね」
今夜は傍にいてもらおうと考えていたが、私がこんな状態では、「傍にいてくれ」なんてとても頼めそうにない。それに、もし頼んで彼が頷いてくれたとしても、きっとまた当たってしまう。
それは駄目。そこまで迷惑をかけるわけにはいかない。
「帰るわ」
私は向きを変え、歩み出す。
あの不気味な自室へ帰るのは喜ばしいことではないが、非常に気まずい空気の場所にいるよりかはましだと思ったから。
——しかし、そんな私の腕を、ベルンハルトは掴んだ。
「少し待ってくれ」
「……離して」
「いや、それはできない」
「……どうしてよ」
「誤解は解消しておくべきだと思うからだ」
こんな時でも、ベルンハルトは淡々としていた。
「また余計なことを言ってしまうかもしれない。だから、これ以上話さない方がいいわ」
今話をしたら、またカッとなってしまう可能性がある。カッとなって、心以上の酷いことを言ってしまうかもしれない。だから、私としては、今は話したくない。
「べつに、言いたいことがあるなら言ってくれて構わない」
「……お願いよ、離して」
「それはできない」
「どうしてよ……!」
「このまま別れて、貴女に悪い夢をみせたくないからだ」
ベルンハルトの口から飛び出した言葉に、私は、暫し何も言えなかった。彼の発した言葉が、予想を遥かに越えてきたからである。
彼の言葉を聞いた瞬間は、「ふざけているの?」と思ったほどだ。
が、ベルンハルトの表情は真剣そのものだった。笑わせようとしているとは、とても思えない。
「……悪い夢、ですって? 貴方、こんな時に限って、ふざけているの?」
「ふざけているわけがないだろう。僕は真剣だ」
でしょうね。真剣な顔をしているわ。
ただ、言葉はふざけているとしか思えない。真面目に言ったとは、とても理解し難い。
「何をしていたのかは、包み隠さず説明する。だから聞いてくれ」
「……聞きたくないわよ」
「なぜだ。説明しろと言っていただろう」
「あれは……衝動的に言っただけ。本心じゃないわ」
そこまで言っても、ベルンハルトは離してくれなかった。彼は私の腕を掴んだままだ。
できることなら逃れたい。
けれど、恐らく、少し抵抗したくらいでは彼から逃れることはできないだろう。
力の差が大きすぎる。
「僕とあの女は、ただ、話をしていただけだ」
「……楽しい話?」
「いや、まぁまぁな話だ」
「まぁまぁな話って何よ!?」
そういう空気でもないのに、思わず突っ込みを入れてしまった。
「失敗の多さに関する話だ」
「し、失敗の……?」
「あまり迷惑をかけるなよ、と」
そんなことを、こんな夜中に話すものだろうか。
「嘘ね」
「いや、事実だ」
「嘘だわ」
「僕は主に嘘をつくほど卑怯な人間ではない」
信じられるわけがない。
ないのだけれど——彼の発言が完全に嘘だとも思えなかった。
なぜなら、ベルンハルトの瞳が私を真っ直ぐ見つめていたから。嘘をついている時にこんな目はできないだろう、と考えたのだ。
「……そう」
「納得してくれたのか」
「していないわよ!」
「な。そうなのか」
ベルンハルトは目をぱちぱちさせる。
「そうだな……何なら、僕と彼女の間に情などないと、この場で証明してもいい」
「そんなことができるの?」
「もちろんだ。今ここであの女を殺す」
ベルンハルトの目が本気だったので、少し怖かった。
「そんなの駄目よ! ……というか、何よそれ!?」
「いや、だから、証明しようと」
「べつに、そこまでしろとは言わないわよ!」
するとベルンハルトは、首を傾げた。
「そうなのか?」
いや、そんな可愛い感じに首を傾げられても。
美少女がするならともかく、青年に首を傾げられても、コメントに困る。
「そうよ。……もういいわ」
ただ、ベルンハルトとフィリーナがいやらしい関係でないことは、ある程度分かった。今はそれだけで十分だ。
「いいのか」
「今後は、誤解を招くような行動は慎んでちょうだい」
「分かった。なるべく気をつけよう」
はぁ……何だか一人で疲れてしまったわ……。




