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イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜  作者: 四季
8.束の間の平穏

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84話 自覚なき優しさ

 カッタッタに抱え上げられ、足が宙に浮くベルンハルトだが、その表情に緊迫感なんてものは存在していなかった。むしろ、直前までより余裕が生まれているような感じさえする顔つきだ。


 そんな余裕を見せるベルンハルトとは対照的に、カッタッタは必死の形相。


 追い込んでいる側のはずなのに追い込めている気がしない、という状況に、苛立っているようにも見える。


「おい、アンタ! 強がるのもいい加減にし——」

「ふっ」

「ぎゃっ!」


 カッタッタが発する言葉を最後まで聞くことなく、ベルンハルトは、カッタッタの鳩尾へ踵で打撃を加える。


 予期せぬタイミングで打撃を食らったカッタッタは、短い悲鳴と共に、ベルンハルトから手を離した。そして、そのまま床に倒れ込み、眉をピクピクと微動させる。


 素人の私でも、よほど痛かったのだな、と察することができた。


 強烈な一撃を食らわせたベルンハルトは、床に着地すると、その場でゆっくりと立ち上がる。

 それから、冷たく言い放つ。


「まだ続けるか」


 押さえ付けられていたことによる疲労もあるだろう。

 しばらく捻られ続けていた腕には痛みもあるに違いない。


 けれども、今のベルンハルトの様子から、それらを察することはできなかった。


「どうする」


 夜の湖畔のように静かな表情に、感情を感じさせない淡々とした声。それらは、ベルンハルトの今の状態を、見る者に教えてはくれなかった。


 彼とて不老不死の身ではない。だから、ダメージはあるはずなのだが。


「う……く、くそ……」


 鳩尾を踵で強打されたカッタッタは、まだ立ち上がれそうにない。


 打撃を食らってから一二分は経っている今でも、まだ、床に伏せたまま全身を震わせている。


 肉弾戦なんてものを経験したことがない私には、今カッタッタがどのくらい苦しい状態にあるのかは理解できない。が、その様子を見ていると、ある程度想像はつく。


「どうするんだ」

「う……うぅ……」

「継続するのか」

「くそ……ギブ……アップ……」


 刹那、声が飛ぶ。


「カッタッタがギブアップ! よって、ベルンハルトの勝利!」


 それを聞くや否や、私は思わず声を発してしまう。


「やった!」


 私が勝ったわけではないというのに、まるで自分が勝ったかのような嬉しさが込み上げてきた。

 今はただ、純粋に、ベルンハルトの勝利が嬉しい。


「これで終わりだな。では、失礼する」


 ベルンハルトは静かながらはっきりとそう述べ、くるりと身を返すと、私の方へと歩いてきた。



「イーダ王女、これで問題なかっただろうか」

「素晴らしいわ!」


 勝利があまりに嬉しくて、思わず、ベルンハルトに抱き着いてしまった。


「な、何だ。どうしたんだ」

「最後は華麗な勝利だったわね! 見惚れてしまったわ!」


 一時はどうなることかと思ったけれど、ベルンハルトの強さは本物だった。


 相手の知り合いが多いというやや不利な状況下で、しかも、押さえ込まれ続けるというあまり嬉しくない展開。けれども、最後には逆転を見せてくれた。それには感謝しかない。


「本当はもう少し早く終わらせるつもりでいたのだが……」

「いいのよ! 勝ったんだもの!」

「そういうものなのか……」

「えぇ! もちろんよ!」


 ぎゅっと強く抱き締めると、ベルンハルトの胸の鼓動が聞こえてくる。

 温かく愛おしい、彼の拍動だ。


「ところでイーダ王女」

「何? ベルンハルト」

「その……離してはもらえないだろうか」


 気まずそうな顔をしつつ述べるベルンハルト。


「どうして?」

「周囲からの視線が痛いのだが」


 なるほど。

 そう納得し、私は彼から離れた。


 本当はもう少し抱き締めていたかったのだが、彼に嫌な思いをさせてまで抱き締めていたいとは思わない。



 ちょうどその時、カッタッタがやって来た。


「勝負してくれてありがとな!」


 そう言って、彼は手を差し出す。

 警戒心に満ちた表情のベルンハルトとは対照的に、カッタッタは爽やかな表情を浮かべている。


「握手しようぜ!」

「断る」

「熱い戦いを繰り広げた仲だろ。握手しようぜ!」

「断る」

「くっそぉぉぉ!!」


 握手を希望したもののばっさりと断られてしまったカッタッタは、頭を抱えて絶叫していた。


「ロックンロールパフェ奢るから! な? 握手しようぜ!」

「断る」

「じゃあボサノヴァパフェならどうだ!」

「わけが分からない。断る」

「くっそぉぉぉぉぉっ!!」


 ……なぜ同じことを繰り返すのだろう。


 似たようなことを二度も行うなど、無意味だとは思わないのだろうか。非常に謎である。



 その後、私とベルンハルトは修練場を出た。


「お疲れ様、ベルンハルト」


 ゆったりと歩きながら、すぐ隣を歩む彼に労いの言葉をかける。


「……これで貴女の株が上がれば良いのだが」

「そんなことを考えてくれていたの? ベルンハルトったら、優しいのね」

「優しくなどない。ただ、従者が主の評価を下げることは許されないと、そう思うだけだ」


 当てはないが、私たちは歩き続ける。


 私は、できるなら、二人だけでいられる今この瞬間を大切にしたい。

 大勢で過ごすのも楽しいことだが、時にはこうして、静かに語らうことも必要だと思うから。


「やっぱり優しいじゃない」

「いや、それは間違いだ。僕が優しいはずがない」

「優しいわよ。気がついていないだけで」

「そんなことはあり得ないと思うのだが……」


 ベルンハルトは気づいていないのだろう。彼の中にある、大きな優しさに。


 他人から見れば容易に分かっても、本人にはなかなか分からない——そういうことも、世にはある。


「……いつかきっと気づくわ」

「そういうものなのだろうか」

「えぇ。そういうものよ」


 こんな穏やかな時間が、いつまでも続けばいいのに。私は、心からそう思った。


 一歩ずつ、一歩ずつ。

 少しずつ、少しずつ。


 これからも、手を取り合って歩んでいけたなら——。

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ここまで読んで下さり、ありがとうございます。 少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
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