79話 おはよう
こうして、第一収容所への視察は無事終了した。
いや、もちろん、何もなく終わったわけではない。何度も襲われたし、多少の負傷もあった。だから「無事終了した」という表現はあまり相応しくないかもしれない。
ただ、重傷者や死傷者が出なかったのは良かった。
ベルンハルトも、リンディアも、アスターも。色々ありはしたけれど、ちゃんと生きている。
今はそれだけで十分だ。
——星都へ戻り、翌朝。
自室のベッドの上で、私はふっと目を覚ました。
昨夜のことはあまり記憶にない。ただ、ベッドの上で目を覚ましたことから、ちゃんと寝たのだということだけは理解できた。
あくびによって濡れた目もとを手の甲で拭き、ゆっくりと上半身を起こす。
「おはよう」
「おはよう……って、え?」
まだ起ききっていない目を開くと、ベルンハルトの姿を捉えることができた。
「べ、ベルンハルトッ!?」
私は思わず大声を出してしまう。
彼が意外と近くにいたからである。
起きてすぐの時はぼんやりしていたからか、気づかなかった。しかし、彼は私のすぐ隣にいたのだ。
「どうして!?」
「驚かせてしまったか」
「い、いえ。それは大丈夫よ。ただ、どうしてベルンハルトがここに?」
何をするためにここにいたのかが気になるところだ。
「僕は見張っていただけだ」
意外な答えが返ってきて、驚いた。
見張っていてもらえるのはありがたい。が、主の枕元で見張るというのは、少々距離が近すぎる気がする。
嫌とは言わないが……何とも言えない心境だ。
「最近はやたらと襲撃があるだろう。だから、貴女が眠っている間も見張りをつけておかなくてはならない、と思ったんだ」
邪な企みのためにここにいたわけではないようで、取り敢えず安心した。
いや、べつに、ベルンハルトのことを疑っているわけではないけれど。
「なんだ、そういうことだったのね」
「不快にしてしまったなら謝る」
「いえ、気にしないで。そういうことなら、むしろ私がお礼を言わなくちゃだわ」
ベルンハルトが枕元にいて驚いたということは事実。しかし、彼の行動が私の身を護るためであったのならば、彼を責めるわけにはいかないだろう。
「で、特に何もなかった?」
「あぁ。実は僕も途中から寝てしまっていたのだがな」
ずっと見張っていたわけではないのか。
私は内心そんな風に突っ込みを入れてしまった。
「ただ、異変がなかったことは確かだ」
「ありがとう、ベルンハルト」
ベルンハルトとて、寝る気で寝たわけではないのだろう。ならば仕方のないことだ。生き物である以上、寝ずに生きていくことはできまい。
あんな戦いのあった日だ。
きっと、ベルンハルトも疲れていたのだろう。
「ベルンハルトはよく眠れた?」
「恥ずかしながら、ぐっすり眠ってしまった」
「ふふ。私もよ。昨夜ベッドに入った記憶がないわ」
そのうちリンディアやアスターが来るかと思っていたが、案外来なかった。
それゆえ、ベルンハルトと二人きりの時間が続いていく。
けれど、それを嫌だとは思わなかった。ベルンハルトと二人きりでゆっくり話すというのも、時には悪くない。
「そうだ。ベルンハルト、怪我したんだったわよね」
「怪我……背中のことか」
「そうそう。もう大丈夫なの?」
「あぁ。手当てはしている、問題はない」
ネージア人の大柄な男との戦いの時も、ベルンハルトは動けていた。そこから察するに、生活に支障があるほどの怪我ではないのだろう。
ただ、それでも、少し心配になる時はあるものだ。
「ならいいけれど……くれぐれも無理はしないでちょうだいね。何か問題があったら、すぐに言うのよ」
「分かった。そうする」
今日のベルンハルトは妙に素直だ。
それが何だか微笑ましくて、私は思わず笑い声を漏らしてしまう。
「ふふっ」
私が何の前触れもなく笑ったからか、ベルンハルトは怪訝な顔をする。
「……なぜ笑う?」
「ごめんなさい。何だか、微笑ましくって」
「微笑ましい、だと?」
ますます怪訝な顔になるベルンハルト。
「変な意味じゃないわよ。ただ、素直なベルンハルトを見ていたら、温かい気持ちになって」
苦しい言い訳のように聞こえないこともないが、これはすべて事実だ。ごまかすための言葉なんかではない。
「温かい気持ち、か……。僕にはよく分からないな」
「そうなの?」
「気持ちなのに温かい、というところが、まったく理解できない。温かいは、主に温度に使うものだと思っていたのだが」
「まぁ、そうね。貴方みたいな人生を送っていたら、温かい気持ちになることなんてなかったでしょうね……」
するとベルンハルトは黙った。
悪いことを言ってしまっただろうか、と密かに焦る。
「……あ。え、えと……」
ベルンハルトは勇敢で凛々しいが、それでいて繊細だ。ほんの一言、小さなことでも、傷ついてしまうかもしれない。
彼をそんな目には遭わせたくない。
「その、ごめんなさい。ベルンハルト。変な意味じゃないのよ。私はただ……」
悪意がなかったことを何とか伝えたいのだが、上手く言葉が出てこない。心をちゃんと伝えなくてはならない時に限ってこれだから、嫌になってくる。
言葉を上手く発することができずあたふたしていると、ベルンハルトは唐突に、私の顔をじっと見つめてきた。
「イーダ王女」
「へっ?」
うっかり、情けない声を発してしまった。
恥ずかしい……。
「僕に対して気を遣うのは止めてくれ」
「え、えぇ」
「そういうことをされると、こちらも困ってしまう」
「そう……ごめんなさい」
どういった対応が最も相応しいのか不明だが、一応謝っておく。
するとベルンハルトは、私の手をそっと掴んできた。
「貴女が優しいことを責めるつもりはない。ただ、僕としては、こき使ってもらえる方がしっくりくる」
ベルンハルトの手は大きい。
単に握っているだけだろうに、いとも容易く、私の手を包み込んでしまう。
「こき使って……だなんて。面白いことを言うのね」
「いや、面白いことを言ったつもりはないのだが」
「面白いわよ。ただ、残念ながら、その希望に応えることはできないわ。私には、ベルンハルトをこき使うなんて、できっこないもの」




