72話 間違いありませんね
「ミグルシイムォノヲオミセシテシマイ、シツレイシマシタ。デハ、ロウドウスルヒトヴィトヲゴルァンクダツァイ」
ルンルンがそう言いながら見せてくれたのは、工場だった。
椅子に座った人たちが、何やらせっせと働いている。男性も女性もいるが、皆真面目に働いているのだから不思議だ。十人以上集まれば、普通は、誰か一人くらいさぼりそうなものなのだが。
「へぇ……意外とみんな真面目なのね」
「真面目に働かないと痛い目に遭うからな」
「あ、そうなの?」
独り言のような呟きにベルンハルトが言葉を返してきたことは、少々意外だった。このタイミングで彼が自ら言葉を返してくるとは、予想していなかった。
「逆らえば厳しい罰が与えられる。それは、ここでは当然のことだ」
そう話すベルンハルトの表情は、哀愁を帯びている。
彼の瞳を何かに例えるとしたら、木枯らしが肌を撫でる秋の終わりの夕暮れのよう、という表現が相応しいだろうか。ベルンハルトは、何もなくてもほんのり寂しくなる季節のような、静かで切なげな顔をしていた。
「……ベルンハルトは、そんなところで生まれ育ったのね」
「そうだ」
「そんな厳しい環境で生まれ育ったなら、貴方の心が冷えきっていたのも分かる気がするわ」
濃い色をしたベルンハルトの瞳を、私はそっと見つめる。
「……僕はいまだによく分からない」
「何が?」
「自由を許さぬ環境でありながら、なぜ子を生むことが許されたのか」
ベルンハルトは静かに唇を動かす。
「僕には理解不能だ」
「まぁ確かに……それはそうね」
「それに、子を生んだところで、どのみちその子がまともな人生をゆけぬことは、分かっていたはずだ」
確かに、と、私は内心頷く。
けれども、「そうね」とは言えなかった——いや、言いたくなかった。
厳しい環境で生まれ育った人間がまともに生きていくのは、難しいのかもしれない。ただ、だからといって諦めてほしくはないし、「そんなものだ」と思いたくもない。
少しでも良い道を。
ほんの少しでも、幸福な人生を。
彼には求めていってほしい。
たとえ、それがとても難しいことなのだとしても。
「でも、ベルンハルトが生まれてきてくれて良かった」
「……イーダ王女?」
「もし貴方が生まれてこなかったら、私と貴方が出会うこともなかったはずだもの」
ベルンハルトは、理解しきれない、というような顔をしている。
「出会わなかった今より、出会うことのできた今の方が、ずっと素敵だと思うわ」
Cエリアにある工場をひと通り見学した後、父親らと私たちは、別ルートを辿ることとなった。
無論、帰りには合流するわけだが。
父親らがどのような見学ルートを行ったのかはしらない。が、私たち四人——私とベルンハルト、リンディア、アスターは、ネージア人を収容しているエリアへと向かうことになった。
王女が気軽に見に行っていいところなのか甚だ疑問ではある。しかし、勝手にこのルートに決まってしまった。私たちがこのルートを選び決めたわけではないのだ。
「あー退屈だわー。早く帰りたーい」
歩いている途中、リンディアが唐突にそんなことを言った。
正直、同感だ。
本当のところを言うなら、私も少し飽きてきている。
歩きながら、代わり映えしない光景を眺め続けるというのは、結構退屈なこと。今、それを改めて感じている。
「そういうことを言うものではないよ、リンディア」
「アンタは黙っててちょーだい。ジジイ」
「この私をジジイ呼ばわりとは、なかなか酷いね」
「間違いじゃないでしょー」
リンディアとアスターは相変わらず。
二人のぶれなさは、もはや、尊敬に値するくらいのものだと思う。
前を行く案内役の男性は、とても無口だ。ほとんど何も言わない。ダンダともルンルンとも違ったタイプの振る舞いが、妙に印象的である。
「それはまぁ、確かに、間違いではないがね……」
「でしょー? 分かったら、大人しくしてなさーい」
案内役の男性は黙々と歩いていく。私とベルンハルトは、その背中を追って歩む。そして、リンディアとアスターは仲良く喋る。
……何やらおかしな気もするが、まぁいいだろう。
それからも、私たちは歩き続けた。
建物は古く、屋内にもかかわらず、外からの風が入ってきていた。ひんやりとした冷気が、足下を這う。
「ねー、ちょっとー。まだ着かないのー?」
退屈さに耐えきれなくなったらしく、リンディアがそう発した。
しかし、案内役の無口な男性は、「もう少しです」と返すだけ。それ以上のことは何も言わなかった。
「なーんか愛想悪いやつねー」
「リンディア、そういうことは言わない方がいいよ」
「は? 本当のことなんだから、べつにいーじゃなーい」
個人的には、リンディアの意見もアスターの意見も理解できる。間違ってはいないと思う。ただ、社会でスムーズに生きていくには、という方向で考えた場合には、アスターの方が正しいのかもしれない。
「嫌われてしまうかもしれないよ?」
「嫌われるくらい、いーわよ。言ーたいこと言えないよりましだわ」
「リンディア自身はそれでいいかもしれない。だが、イーダくんにも迷惑がかかるのだよ?」
「そんなことがあるかしらー」
「従者の評価は、主の評価に繋がるからね」
アスターの言葉を聞き、リンディアは大人しい表情になる。
「それは厄介ねー」
以降、リンディアは愚痴を言わなくなった。
もっとも、表情は数分のうちに不満げなものに戻っていたのだが。
静寂の中を歩き続けて、数分。
案内役の男性は不意に足を止めた。
着いたのかな? と思いながら、私は立ち止まる。隣のベルンハルトも、不思議なものを見たような顔つきをしながら足を止めている。
「……失礼ですが」
案内役の男性がそっと口を開く。
「イーダ・オルマリン王女、で、間違いありませんね?」
「えぇ」
唐突に名を確認するなんて、一体どうしたのだろう。




