64話 夜の戯れ?
その晩、私はベルンハルトとリンディアと三人で、ホテルに泊まった。
最上階の客室が使えなくなってしまったのは残念だが、私たちが泊まった客室も結構綺麗な部屋だった。
だから、文句など欠片もない。
丁寧に整えられたベッドに、綺麗に磨かれた真っ白な浴槽。それだけでも、一泊するには十分な条件だ。しかしそれだけでなく、無料で自由に飲める紅茶やコーヒーも置かれていた。贅沢し放題である。
「ふう……」
私は入浴を終えると、持ってきた荷物の中から予め取り出しておいた寝巻きに着替え、髪を乾かす。そして、髪がしっかり乾いてから、ベッドがある部屋の方へと戻った。
「お疲れ様ー。ちゃんと入れたー?」
部屋へ戻るなり、リンディアが声をかけてくる。
「えぇ、気持ち良かったわ」
「シャワーが使いにくいとか、問題はなかったー?」
「なかったわよ。温かくて、凄く良かったわ」
私とリンディアが会話していても、ベルンハルトは入ってこない。彼はなぜか、私から離れている方のベッドに腰を掛け、そっぽを向いている。
会話に入ってこないのはともかく、まったくこちらを向かないというのは妙だ。
そう思い、私の方から声をかけてみることにした。
「ベルンハルト、どうしたの?」
彼が腰掛けているベッドの方へと近寄っていきながら、そんな風に声をかける。しかし彼は何も返してこない。
「ねぇ、ベルンハルト」
「…………」
「ベルンハルト?」
まったく反応がない。
よく分からないが、取り敢えず彼のすぐ隣に座ってみる。
「どうかしたの?」
私が彼に手を伸ばしかけた刹那、彼はようやくこちらを向いた。非常に気まずそうな顔をしている。
「……あまり近寄るな」
「え?」
予想外の発言に、私は思わず言葉を失う。
「そんな薄い布一枚で僕に寄るな」
「……薄い、布……?」
「イーダ王女。貴女も女性なのだから、格好には気をつけた方がいい。そんな無防備でいると、いずれ痛い目に遭う」
ベルンハルトは淡々とした口調でそんなことを言ってきた。
いまいち理解しきれていないのだが、彼が言っているのは、私の服装のことなのだろうか。
「えっと……この服が駄目ということ?」
ひとまず尋ねてみる。
すると彼は、静かに、首を縦に動かした。
「似合っていない……かしら」
胸元だけが白いレース素材で、その他はシルクで作られている、ワンピースタイプの柔らかな寝巻き。とにかく着心地が良く、デザインもそれなりに可愛らしいため、私としては気に入っているのだが。
「いや、違う。そういう意味ではない」
「違うの?」
「違う」
「なら、どういう意味なの」
するとベルンハルトは、一度、私から視線を逸らした。それから数秒経って、彼は再び話し出す。
「男がいるところで、そんな肌が透けるような服装をするな。そう言いたかったんだ」
そこへ、リンディアが口を挟んでくる。
「なるほどなるほどー。アンタ、可愛い王女様を見るのが恥ずかしーのねー」
「な。ち、違う!」
ベルンハルトは慌てた様子で否定した。が、顔が赤くなってしまっている。
「あー。赤くなってるー」
「なっ、何を言うんだ! 赤くなってなどいない!」
「否定するのに必死ねー」
リンディアが言葉を発すれば発するほど、ベルンハルトの顔は赤く染まっていく。これはもう、完全にリンディアのペースだ。
「僕はただ、女性としての自覚を持つように注意しただけだ!」
「アンタ、王女様のこと大好きねー」
「勘違いするな! そしてそれを大声で言うな! イーダ王女に失礼だろう!」
リンディアのペースではあるが、ベルンハルトも負けてはいない。彼は持ち前である気の強さを十分に発揮している。二人の口喧嘩は、なかなかいい勝負だ。
だが、いつまでもこんなことを続けているわけにはいかない。
なぜなら、今はもう夜だからである。
「まぁまぁ落ち着いて」
子どもではないのだから、いつまでも騒いでいるわけにはいかない。
「ベルンハルト、リンディア、喧嘩は止めてちょうだい」
私がそう言うと、ベルンハルトがパッとこちらを向いた。
「喧嘩しているわけではない。勘違いしないでくれ、イーダ王女」
どうやら、喧嘩、と言われるのは不服のようだ。
「僕はそこまで子どもじみてはいない。それに、先に余計なことを言ったのはリンディアの方だ」
ベルンハルトの言葉に、リンディアが噛みつく。
「は? なーによ、それ! あたしを悪者扱いするつもりー?」
「何を怒っているんだ。僕は真実しか述べていない」
「真実ですって!? アンタの発言のどこが真実なのよー!」
なぜすぐに言い合いになるのか、私には理解不能だ。
二人が血気盛んな質なことは知っているが、いつまでもこんな言い合いに付き合ってはいられない。
「喧嘩は止めて!」
だから私は、はっきりと言い放った。
すると、ベルンハルトとリンディア——二人の声は、ぴたりと止んだ。
私の発言にも、多少の制止力はあったようである。
「言い合いしている場合じゃないでしょう。こんな時くらい、楽しく過ごせる方がいいわ」
アスターのこともあるし、襲撃のこともあるし、不安は尽きない。ただ、穏やかであれる今くらいは、せめて楽しく過ごしたいと思う。それが私の心だ。
「……ま、そーねー」
「イーダ王女がそう言うなら黙っておくことにしよう」
「あ。ベルンハルトったら、王女様には素直ねー」
「悪いが、もう乗らない」
「えー。つまらなーい」
ベルンハルトを怒らせられなくなったリンディアは、面白くなさそうな顔。彼女はどうやら、他人を怒らせることがかなり好きみたいだ。
「ところでイーダ王女」
「何? ベルンハルト」
「勘違いのないように一応言っておくが……」
いきなり何だろう。
「その服が似合っていない、というわけではないからな」
あら、褒められた?
「本当に? ありがとう」
「僕は嘘はつかない」
「嬉しいわ!」
お気に入りの服を褒めてもらえたことが嬉しくて、つい抱きついてしまった。すぐ隣にいたために、衝動を抑えるより早く行動してしまっていたのである。
「やっ……止めろ! イーダ王女!」
「だって嬉しいのよ。ベルンハルトに褒めてもらえて」
「そんなにくっつくな!」
抱き締められたくらいで慌てているベルンハルトを見ていると、何だか愛らしく思えた。初々しい反応をされればされるほど、なぜかもっと困らせたくなってしまう。
「たまにはいいじゃない。くっついたって、何も減らないでしょう」
「駄目なんだ! 止めてくれ」
「どうしてよ」
「背中が痛むからだ!」
……まさか、そういう理由だったとは。
確かに彼は背中を怪我してはいたが……まぁ……うん。
正直、少し残念。