62話 沈黙から展開
あれから数十分、ようやく父親と二人になれた。
「それでイーダ、二人きりで話したい話って何だぁ?」
「少し、驚かせてしまうかもしれない話なの」
「おぉ!? サプライズか何かかぁーっ?」
私と父親がいるのは、一人用ソファ二つとテーブル一個があるだけの、狭く殺風景な部屋だ。
急に頼んだため、この狭い部屋しか空いていなかったのだと思われる。すぐ近くに壁があるためかなりの圧迫感だが、文句を言うわけにはいかない。前もってではなく急に頼んだのだから、一室貸してもらえただけで幸運なのである。
「違うわ。サプライズなんかじゃない……」
「えぇ? そうなのかぁ? 残念だぁぁー!」
「……騒がないでくれるかしら」
「お、おぉっ! すまん!」
シュヴァルが私の命を狙っているかもしれない——そんなことを言ったら、父親はどんな顔をするだろう。
そして、どんな風に思うだろうか。
その答えは、実際に言ってみないことには分からない。が、すぐに「そうなんだ」と受け入れてもらえる可能性は、かなり低いと見て間違いないだろう。
シュヴァルとさほど仲良くないリンディアでもあの反応だったのだから。
「実はね——」
まともに聞いてもらえないかもしれない。けれど、もう引くことはできない。言うしかないのだ。
「私を狙っていたのは、シュヴァル……かもしれないの」
そう言い放った後、私はしばらく、父親の顔を見ることができなかった。どんな顔をされるか、怖かったのだ。
「シュヴァルから私を殺害するよう頼まれていた、って……アスターさんが」
宇宙へ放り出されたかのような、沈黙。
「シュヴァルはずっと父さんに仕えてくれている人だもの、彼を疑ってみたことはなかった。もちろん、疑いたくもないわ。けれど、べつに追い詰められているわけでもないアスターさんが嘘をつくとも思えなくて」
私は話す。込み上げる不安を掻き消すように、口を動かす。
しかし、父親から返事はない。
「父さん。一度確認してみた方がいいと思うの。シュヴァルが白か黒か、はっきりさせるべきだわ」
直後、父親は突然、カッと目を見開いた。
「シュヴァルは白だろ」
父親はそう言った。微かな迷いもない、はっきりとした声で。
「……そう?」
「何を言い出すんだ、イーダ。あいつが裏切るわけがないだろぉ」
私だって、そうであってほしいわよ。
「なら……アスターさんが嘘をついているということなのね」
「よく考えてみろよぉ! シュヴァルはもう数十年一緒にいるんだぞぉ。その中で、あいつが裏切るような素振りを見せたことは一度もなーいっ!」
やはり、父親はシュヴァルを完全に信頼している。
想定の範囲内ではあるが——これはなかなか厄介そうだ。
「長年忠実に仕えてくれているシュヴァルと、一度はイーダを拐ったりしたアスターだぞぉ!? どっちが間違っているかなんて、明白だろぅ!!」
「そうかもしれない……けれど、アスターさんが嘘をついているという証拠はないわ」
「シュヴァルが反逆者である証拠もないだろぅ!」
父親はそう言ってから、ゆったりとした足取りで歩み寄ってきた。
そして、私の体をそっと抱く。
「イーダは疲れているんだぁ。だから、そんな冗談を真に受けてしまう」
「……父さん?」
「これだけ色々あったら、そりゃあ疲れもするよなぁ」
わけが分からない。
彼は、私がおかしくなっているとでも思っているのか。
「無理しちゃ駄目だぞぉ? イーダ。辛い時はゆっくり休む方がいいんだぁ」
「待って、父さん。そういう話をしているわけじゃないのよ」
何とか上手く伝えようとするのだが、父親は一向に聞く耳を持ってくれない。
「本当に私が言いたいのは……」
父親は、私の言葉を聞くことはせず、ますます距離を縮めてくる。顔と顔の距離が、三十センチも離れていないくらいまで近づく。
「アスター、あいつは駄目だなぁ」
耳元でそう囁いた父親の声の冷たさに、私は思わず身震いした。
「可愛いイーダに悪いことを吹き込むやつは、悪いやつだぞぉ」
「父さん……?」
いつもと雰囲気の違う父親。不気味に思わざるを得ない。
しかし、数秒後にはいつもの彼の顔つきに戻っていた。
「よし、決めた!」
「何を?」
「あいつを牢にぶち込む!」
父親は溌剌とした表情で発する。
「アスターはやっぱり罪人だぁ!」
「えええ!?」
思わず叫んでしまった。
「ちょ、ちょっと待って! 父さん、それは変よ!」
「もう決めたんだぁーっ!」
「お願い! それは止めてちょうだい!」
アスターを危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「やっぱりシュヴァルの言った通りだったぁ!」
「待って。お願いだから待って」
「アスターには気をつけておいた方がいいって、シュヴァルが言っていたんだよぉーっ!」
シュヴァルは父親にそんなことを言っていたようだ。
——ということはやはり、アスターの言ったことは事実なのではないか?
個人的には、そう感じてしまうのだが。
「そんな! 父さん、アスターは悪くないのよ!」
「取り敢えずシュヴァルに相談してみるぅ!」
父親はそんなことを言いながらスタスタ歩いていく。走ってはいないのだが、結構なスピードだ。
「待って——」
私はそんな父親の背を追う。
しかし、追いつくことは叶わなかった。
部屋を出てすぐのところに、シュヴァルはいた。
私たちの話が終わるのを待っていたのだろう。
「もう終わられたのですか?」
退屈そうな顔つきで立っていたシュヴァルは、父親の姿を目にするや否や、素早く声をかけた。
「あぁ、終わった」
「そうでしたか。お疲れ様です」
「少し、シュヴァルに相談したいことがあるのだが……今でも大丈夫かぁ?」
「はい。もちろんです」
——う。
やはりシュヴァルに言うつもりなのか、父親は。
それだけは勘弁してほしいのだが。
「アスターが『シュヴァルから私を殺害するよう頼まれていた』と言っているらしいんだ」
「そんなことを?」
シュヴァルの眉がぴくりと動いた。
「彼はこのシュヴァルに罪を押し付けるつもりなのでしょうかね……?」
「イーダにおかしなことを吹き込もうとしているみたいだ」
父親がそう述べると、シュヴァルはふっと笑みをこぼす。
「なるほど」
まさか、このタイミングで笑みをこぼせるとは。
「王女様に間違った知識を教えるような者は、従者に相応しくありませんね」
「だろぅ? イーダは可愛くて素直だから、すっかり信じ込んでしまっているんだ」
「……それは非常に困ったことです」
シュヴァルは静かに言いながら目を細める。
「では、このシュヴァルが対応しておきましょう」
「牢にぶち込むんだ!」
父親は声を大きくする。
それに対してシュヴァルは、少しばかり呆れたような顔で返す。
「……それはさすがにやりすぎでは」
こればかりは同意。
「そうか? なら、どうするのがいいんだ?」
「このシュヴァルにお任せ下さい。嘘つきには、然るべき罰を与えます」
私は何度も口を挟もうと試みた。しかし、父親とシュヴァルの会話は、その隙をまったく与えてくれない。
「牢にぶち込むだけがすべてではありませんから」
「おぉ……そうか。そうだな」
「任せていただけますか?」
「この件に関する対応は、シュヴァルに一任する!」
「承知しました」
これは……やらかしてしまったかもしれない。
最悪、なんて言葉は極力使いたくはない。
が、こればかりは最悪の事態にもなりかねない展開だ。