57話 剣と腕とラナと
襲撃者の少女は、巨大化させた右腕を大きく掲げながら、ベルンハルトら二人へ迫る。かなりのスピードだ。
「さて……どう動くかね? ベルンハルトくん」
今一つ緊張感のないアスターに対し、ベルンハルトは鋭く言い放つ。
「下がれ!」
「おや。それでいいのかね?」
「いいから下がれ!」
「承知」
アスターは指示に従い、速やかに後ろへ下がる。
刹那、少女の巨大化した手がベルンハルトに叩きつけられた。
「……っ!」
ベルンハルトは咄嗟に後ろへ飛び退き、振り下ろされてきた巨大化した手をかわす。手は彼に命中することなく空を切り、絨毯を敷いた床にめり込んだ。
「なかなかやるやん?」
少女は言いながら、流れるように次の動作へと入っていく。
「でもまだまだやで!」
彼女の左手に握られている刃が波打った形状の剣が、ベルンハルトの胸を狙う。が、彼の目は剣をしっかりと捉えていた。
「長引かせる気はない」
ベルンハルトは持っていたナイフで剣の軌道を逸らすと、右足で蹴りを繰り出す。彼の足は少女の鳩尾辺りを直撃——するかと思われたが、少女はそれを避けた。すれすれのところでの回避だった。
「兄ちゃん、なかなかの実力者やん? ちょっと意外やわ。ただのイケメンかと思ってたけど、それは間違いやったみたいやな」
少女は一旦後退し、体勢を立て直しながら続ける。
「気に入ったから、特別にうちの名前教えたるわ」
濃紺の瞳がギラリと輝く。
「うちの名前は、ラナ・ルシェフ」
ベルンハルトは両の眉を微かに寄せる。目の前の少女——ラナが軽やかな調子で話している間も、彼は決して警戒を緩めていなかった。
「さ、こっちは名乗ったで。そっちもちゃーんと名乗ってや」
「断る」
「えー、自己紹介もできへんの? 大人やのに変やね」
挑発するような発言をするラナ。しかしベルンハルトはそんな安易な挑発には乗らなかった。低い声で「名乗る気はない」とだけ返し、床を蹴る。
ナイフを手に、ベルンハルトはラナへ接近。
「遅いわ!」
ベルンハルトはナイフをひと振りする。が、ラナは軽やかに避ける。
しかし、彼の狙いは別にあった。
攻撃を避け着地したばかりのラナの腹部を狙い、ベルンハルトは拳を突き出す。
「んなっ!?」
今度は命中した。
ベルンハルトの拳は、ラナの腹部中央辺りへ見事に突き刺さる。ラナは咄嗟に腹部に力を入れたようだが、それでも威力を殺しきれず、二三メートルほど後ろへ飛んでいってしまった。
その隙にベルンハルトは叫ぶ。
「アスター! イーダ王女のところへ!」
「私一人で、かね?」
「そうだ!」
「しかし……君が一人になってしまうよ?」
「僕は一人で十分だ!」
するとアスターは、十秒にも満たないくらいの沈黙の後、こくりと頷く。
「承知」
「向こうは頼む」
「もちろん。イーダくんは任せたまえ」
言葉を交わし終えると、アスターは客室から出ていった。
ベルンハルトは改めて、ラナへと体を真っ直ぐに向ける。その表情は、固く険しい。
「うちに一人で勝つつもりなん?」
ラナは軽やかなステップを踏みながら、くふっ、と気味の悪い笑みをこぼす。他人を馬鹿にしたような笑い方だ。
「やってやる」
「甘いわ。うち、そんなに弱くはないで」
刃が波打った形状の剣の柄部分についている、親指の爪くらいの大きさのスイッチを、ラナは押す。
すると、数秒後、小規模爆発が起きた。
爆発が起こったのは、客室の中央辺りの天井である。
「なに……」
煙が充満する部屋の中、ベルンハルトは少し身を屈めて様子を窺う。
——が。
ベルンハルトは、いつの間にか、ラナに背後に回り込まれていた。
後ろから巨大な手が迫る。
「覚悟してや」
咄嗟に対応しようとするベルンハルトだったが、間に合わず、巨大な手に背中を引っ掻かれてしまった。
「く……っ」
詰まるような息を吐き出し、床にしゃがみ込むベルンハルト。そんな彼を、ラナの巨大な手は容赦なく、床へと押さえつける。
「これでちょっとは大人しくなるんかなー?」
「……なるものか」
「んー? 何て?」
「調子に乗るなよ……」
背中をえぐられ、床に押さえつけられるという、かなり危険な状況だ。しかし、それでもベルンハルトは諦めていない。むしろ、先ほどまでよりも瞳に力があるくらいだ。
「こんだけ有利な状況やったら、誰だって調子に乗るやろ」
ラナは楽しそうだ。ベルンハルトを押さえつけている手を、右へ左へ微かに傾け、遊んでいる。
「そろそろ名乗ってくれへん?」
「断る」
するとラナは一旦剣をしまった。それから、巨大化していない方の手でベルンハルトの右腕を掴み、強く捻る。彼が持っていたナイフは、床に落ちた。
「これでも?」
「断る」
「え。ちょっと無理しすぎちゃう?」
「不愉快だ」
「いやいや! さすがにこの状況やったら吐くやろ!?」
頑なに口を閉ざすベルンハルトに対し、ラナは突っ込みを入れる。彼女からしてみれば、危機の中にありながら一切従うことのないベルンハルトが、不思議で仕方なかったのかもしれない。
「血も出てるんやで!?」
「いや、血はもう止まった」
「んなっ!?」
「お前が手で押さえつけてくれたおかげでな」
ベルンハルトの言葉に、ラナは目を大きく見開く。そして、確認しようと少しだけ手を上げた。
その隙を逃さず、ベルンハルトはラナの手から抜け出す。
もちろんナイフも拾って。
「嘘やん!」
「油断しすぎだ」
「う……」
愛らしい顔に悔しさを滲ませるラナ。
「なっ、なかなか的確なこと言ってくれるやん!?」
一応認める辺り、素直である。
「認めるのか」
「何や! 認めたら悪いん!?」
「べつに悪いとは言わないが」
「あっそ! まぁいいわ!」
言いながら、ラナは窓に向かって走る。凄まじい速さだ。
「今日はこのくらいにしといたる!」
巨大化した手で窓ガラスを木っ端微塵にし、ラナはそこから飛び降りる。
残されたのは、火薬の香りと静寂だけであった。




