4話 見送るのは、寂しい
うなじに触れる銃口から、ひんやりとした感触が広がる。生まれてこれまで、一度も体験したことのないような感触に、心臓の脈打つ速度が急加速した。周囲の者にまで聞こえてしまっているのではないかと思うほど、大きく、バクンバクンと鳴っている。
「ンバーラ! 何をするつもり!?」
目の前にはベルンハルト。背後にはダンダの拳銃。
そんな緊迫した状況の中、私は、ヘレナの鋭い叫び声を聞いた。
いつも淡々とした調子でしか物を言わないヘレナが、叫んでいる。
そのことが、今の状況が異常であることを物語っていた。
「銃口を離しなさい!」
ヘレナの鋭い声が聞こえてくるけれど、彼女を捉えられるほど大きく振り向くことはできない。下手に動けば、撃たれるかもしれないからだ。
「知るか! 死に損ないの女ごときが、口出しするな!」
耳に飛び込んできた荒々しい声。その主は、恐らく、ダンダだろう。目で確認することはできずとも、耳だけで十分察することができる。
「イーダ様の命を狙うなど、反逆罪よ!」
「黙れぃっ!!」
その次の瞬間、ぱぁん、と乾いた音が鳴った。
一二秒して、うなじから銃口が離れたことに気がつき、すぐに振り返る。
「……そん、な」
振り返り視界に入ったのは、ダンダに撃たれたヘレナの姿だった。
ヘレナは、目を大きく見開き、驚きの色に満ちた表情のまま止まっている。まるで、そこで時が止まってしまったかのように。
宙には、赤い飛沫が待っていた。
その数秒後。
撃たれたヘレナの脱力した体は、ドサリと床に崩れ落ちる。
「次は王女様ですぞ」
倒れたヘレナに声をかけにいこうとしかけたのだが、ダンダに再び銃口を向けられたため、それは諦めた。
私は無力だ。至近距離にある銃口から上手く逃れ、ヘレナのところまで走るなんて、できっこない。
「や、止めて。撃たないで」
「これはわたくしの出世のため。今さら止めることなど、絶対にできませんぞ」
「……出世のため? 貴方は、自分の出世のためだけに、私を殺めるつもりなの?」
「収容所所長というのも、楽しいものではありませんからな」
私にはダンダが分からなかった。
人には出世したいと思う心があるということは、私にだって理解できる。といっても私には縁のないことだけれど、それでも大体想像はつく。
だが、他人を傷つけてでも出世したいなんて、思うものなのだろうか。
そんなことをしたら、罪を背負って生きていかなくてはならなくなるだけのことなのに。
「では、さらば!」
ダンダが引き金を引く——ほんの一瞬前。
ベルンハルトが、私の足を払った。
「きゃ」
拳銃に意識を向けすぎるあまり、ベルンハルトを注視していなかった私は、足を払われ転倒する。
だが、そのおかげで命を取り止めた。
私に向かって飛んできていた銃弾は、転んだことで私には当たらず、そのまま進む。そして、その先にいた、ベルンハルトを拘束している男の顔面に命中した。
「何ぃっ!?」
結果的に部下の顔面を撃ち抜いてしまうこととなったダンダは、そのしわが多く刻まれた顔に、焦りの色を滲ませる。
「ふっ!」
「ぐぎゃあ!!」
片腕の拘束が解けたことに気づいたベルンハルトは、もう一方の腕を拘束している男の鳩尾へ膝をめり込ませた。突如膝蹴りを食らった男は、情けない叫びをあげて、その場に倒れ込む。
ベルンハルトはその隙を逃さない。
彼は、倒れ込んだ男の腰のホルスターから素早く拳銃を抜き取ると、その銃口をダンダへ向ける。
急展開に何とかついていこうと頭を持ち上げると、ベルンハルトに足で止められた。なかなか乱暴だが、下手に動いて命を落とすのも嫌なので、床に伏せておくことにした。
数秒後、破裂音が空気を揺らす。
「よし」
何がどうなっているのか、今の状況がまったく掴めない。だが、ダンダの声がしなくなったので、少しだけ顔を上げてみる。
「……何が……どうなったの?」
口から疑問がするりと出た。
それに対しベルンハルトは愛想なく返してくる。
「終わった」
本当に短い、一言だけの答えだ。
このとんでもない状況を、一言にまとめてしまえるというのは、なかなか凄いことだと思う。大雑把というか、何というか。
「お、終わったのね……?」
「取り敢えず」
また新たな敵が現れる可能性は否定できない。だが、取り敢えず落ち着いたことは確か。
なので私は、伏せていた体を少し起こした。
「取り敢えず? ということは、まだ終わりでないかもしれないの?」
「僕に聞かれても困る」
ベルンハルトの声はとても冷たいものだった。彼の声には、優しさなんてものは欠片も存在していない。
ただ、彼がいたおかげで私は助かった。
彼の咄嗟の動きがあったから、私はダンダに殺されずに済んだのだ。
だから私は、拳銃を握ったまま立っているベルンハルトに、礼を述べておくことにした。
「ベルンハルト……だったわね。その、助けてくれてありがとう」
彼の瞳がこちらへ向く。
「貴方がいなかったら、殺されていたわ。本当に、ありがとう」
「助けたつもりはない」
「え。そうだったの? じゃあ、すべては偶然?」
「ただ、オルマリンの女などに借りを作りたくなかっただけだ」
ベルンハルトの私への接し方は、これまで体験したことがないほどのそっけなさだ。けれど、それを不快だとは感じない。不思議なことだが、「そんなもの」といった感じなのである。
「なるほど。そういうことだったのね」
そう言った瞬間。
私の頭に、ヘレナが拳銃で撃たれた光景が蘇った。
「あ!」
咄嗟に立ち上がり、ヘレナがいた方向へと駆け出す。
「ヘレナ! 大丈夫っ!?」
床に倒れ込んだヘレナを目にした瞬間、私は衝撃を受けた。
力なく倒れている彼女が、ぴくりとも動いていなかったからである。
「ヘレナ……?」
赤い泉の中に横たわる彼女は、目を開いたまま、壊れた人形のように止まっている。その光景を目にしてなお、私は、彼女がどういった状態なのか掴みきれない。
「ヘレ……ナ、ねぇ、どうして返事してくれないの」
今朝、私を迎えに来てくれたじゃない。
この部屋へ入る時だって、ボタンを押して扉を開けてくれたじゃない。
なのにどうして、今は、返事の一つさえしてくれないの。
「どうして何も返してくれないのよ!」
絞り出すように叫んだ。
彼女の今が理解できなくて。理解したくなくて。
「呼んでいるのに!」
ヘレナのことは苦手だった。ずっと、そうだった。あの、淡々とした口調と氷のような眼差し——今でも好きにはなれそうにない。
けれど、思えば彼女がずっと傍にいた。
あの十八の春。従者のほとんどを失い、それからは、唯一生き残った彼女と話すことが増えて……。
苦手だと思っていた。
彼女とは気が合わないと、そう思っていた。
でも——そんな彼女が相手であっても、見送るのはやはり寂しい。




