47話 美しいリンゴ
一歩誤れば喧嘩に発展してしまいそうな流れを何とか落ち着けたところで、私は、視察の件について話した。
もちろん、第一収容所及びその周辺へ行くことも。
「視察? これまた急ねー」
立ち上がったリンディアは、手を腰に当てながら、怪訝な顔をする。
「怪しーわね」
リンディアはそんなことを言う。
私にはよく分からないけれど、彼女がそう言うなら怪しいのかもしれない——そんな風に思った。
「止めておいた方がいい?」
「まーべつに、王女様が行きたいなら行っていーと思うけど」
私の気持ちを尊重してくれるようだ。それは実にありがたいことである。ただ、私とて「私が正しい」という自信を持っているわけではない。だから、この判断で正解なのか不安な部分はある。
「アスターさんはどう思う?」
「私かね」
「えぇ。意見を聞きたいのだけれど」
「イーダくんは行きたいのだろう?」
「……そうね、できれば」
絶対に行きたい! というほどの行きたさではない。
だが、できれば行かずに済む方がいい、という感じよりかは、行きたい。
行ってみたいなとは思う。
「けれど、無理矢理行く気はないの。みんなが危ないと言うなら……取り消すわ。今ならまだ間に合うもの」
私がそう言うと、アスターは困り顔になった。
「ううむ……実に難しいね」
「どういうこと?」
「行ってみようという心は素晴らしい。しかし、あの辺りは確かに、危険地帯ではある。行くべきか、行かぬべきか、微妙なところなのだよ」
アスターまでこんなことを言い出すものだから、どうするべきかますます分からなくなってきた。私が何とも言えない心境に陥っていると、ベルンハルトが口を挟んでくる。
「貴女の好きなようにすればいい」
真っ直ぐな声だった。
そこに優しさなんてものは存在しない。けれども、背を押してくれる力は確かにある。
「行くも行かないも、貴女が決めることだ」
「……ベルンハルト」
「そうやって周囲に聞くのは、責任を一人で背負うことを恐れているからだろう」
「そうなの……かしら」
あの時は本当に、迷いなく、行こうと思っていたのだ。だから、そう答えた。あの言葉に偽りはなかった。
けれど、リンディアから「怪しい」と言われて、「もしかしたらそうなのかもしれない」と思ってしまって。それからは、行くべきなのかどうか、よく分からなくなってしまったのである。
「ちょっと、ベルンハルト。そんな言い方しなくてもいーんじゃなーい?」
「僕は事実を述べたまでだ」
リンディアの発言を一蹴した後、ベルンハルトは私の顔へ視線を向けてきた。
「貴女が決めるだけでいい。行くのか、行かないのか、どっちだ」
真っ直ぐに放たれた問いに、私は迷う。
どうしよう、と。
——そして。
迷い迷った果てに、私は答える。
「……行く」
それが答えだった。
「行くわ」
これが私の答え。
迷う要素は色々あるけれど、今は私の心を優先する。
それでもみんなは怒らないだろう。そう信じることができるから。
「決まりだな」
ベルンハルトは、その凛々しい顔にほんの少しだけ笑みを浮かべた。
彼がたまに浮かべる笑みは、何だか特別な感じがして嫌いでない。日頃なかなか見られないものだからこそ、運良く見ることができた時には得した気分になれるのだ。
「何だかんだで、結局行くのねー」
「おや、なかなか良い雰囲気だね。悪くない! 二重丸二個半!」
「アンタは黙っててちょーだい」
リンディアとアスターの妙なやり取りを聞き、意味もなくほのぼのした。
「これはまた、本格的な仕事になりそーね」
妙なやり取りを終え、リンディアはそんなことを言う。
「迷惑をかけたら、ごめんなさい」
「あ。べつに、王女様に対する嫌みとかじゃないわよー」
「こうして出掛けられるのも、リンディアみたいな優秀な従者が護ってくれるおかげだわ」
するとリンディアは、顔を微かに赤らめながら、ぷいっとそっぽを向く。
「褒めたって何もでないわよー。ま、あたしが優秀っていうのは間違いじゃないけどねー」
「そんな態度をとっても、可愛くはならない」
「は!?」
「むしろ不気味だ」
「ちょっとアンタね! 何なのよ!」
……まずい、喧嘩が。
「可愛くないと言っているんだ」
「べつに可愛く見せようとなんてしてませんー!」
「そうなのか。ならいいが、その態度は痛々しい。極力控えるべきだ」
ベルンハルトの辛辣な言葉に、リンディアは顔を真っ赤に染める。その顔は、まるでリンゴのよう。言うなれば、美しいリンゴ。
「失礼にもほどがあるってものよっ!」
「事実を述べたまでだ」
「うっさいわね! 黙りなさい!」
それにしても、ベルンハルトとリンディアは、なぜこうも全力で喧嘩できるのだろう。個人的に、そこは少々不思議だったりする。
家族というならまだ分かる。
昔からの知り合いというなら、それも分かる。
だが、ついこの前知り合ったばかりの二人ではないか。なのになぜ、ここまで躊躇なくぶつかれるのか、疑問で仕方がない。
そして、疑問であると同時に羨ましくもある。
私は王女だ。だから、私に対して喧嘩を売ってくる者なんていない。それはありがたいことではあるのだけれど、仲良く喧嘩している二人を見ていると、「私も参加したい」とまったく思わないでもないのだ。
「何なのよー!」
「落ち着きたまえ、リンディア。心配せずとも、私は君の良さを知っているよ」
「アンタはいーから」
アスターはリンディアに冷たくあしらわれていた。彼は彼で気の毒な役回りだ。
「……ベルンハルトも、リンディアも」
喧騒の中、私はそっと口を開く。
「何だ」
「なにー?」
二人の視線がこちらへ注がれる。
「これからもよろしくね」
私がそう言うと、二人は揃って、きょとんとした顔になった。私の発言が唐突すぎて、理解が追いつかなかったのかもしれない。




