24話 父娘
第二ホールを出てすぐ隣にあるこの部屋には、私とリンディア、そしてベルンハルトだけがいる。扉の外には警備の者を置いてくれているとのことなので、今ここはわりと安全なはずだ。
「逃げられた、ですって!?」
結局、ベルンハルトは敵を捕まえることはできなかったらしい。
それを聞いたリンディアは、ばっさりと言いきる。
「イーダ王女を狙ったやつよ!? それを取り逃すなんて!」
リンディアは、私を狙った銃弾により片腕を負傷した。だが、今回は周囲に人がいたため、速やかに手当てを受けることができた。そして、そのおかげか、意外にも元気そうだ。意識もしっかりしているし、大きな声も出せている。
「すまないとは思っている」
「あり得ないあり得なーい!」
私を狙撃した人物を捕らえることに失敗したベルンハルトを、リンディアは責める。
「これじゃもう、ただの無能じゃない!」
「待って、リンディア。ベルンハルトは頑張ったわ」
「あら」
「ミスを責めても、何かが変わるわけではないわ」
「イーダ王女は優しいのねー」
私だってもちろん、捕らえられなかったことは残念に思う。もし捕らえられていたなら、情報を得ることができたかもしれなかったのだから。
けれども、何をどう言おうが過ぎたことは変わらない。
捕らえられなかった——その事実をねじ曲げることなど、いくら頑張ってもできはしないのだ。
「それで、何か情報はないのかしらー?」
「容姿や話した内容くらいはある」
「あるならさっさと言いなさいよ!」
今のリンディアは、なぜか妙に攻撃的だ。いちいち突っかかっていく。
けれども、ベルンハルトは反発しなかった。落ち着いた調子で、見たものを伝えてくれる。
「白髪の男で、紫のスーツの上に黒いものを羽織っていた。確かな年齢は分からないが、若くはない」
「紫のスーツだなんて、奇抜ね。見たことないわ」
私は思わず、求められてもいない感想を述べてしまった。
「……他にはー?」
リンディアは椅子に腰掛け、既に手当てを済ませた自分の腕へと視線を注ぎながらも、しっかり話に参加している。
「他は……そうだな。綿菓子を作れる銃を開発した話や、老眼で近くが見えにくい話をしていた」
「何だか不思議な人ね」
私が思ったことを口から出すと、ベルンハルトはこちらへ目を向けてコクリと頷く。
「ペラペラ話すところが不気味な男だった」
ベルンハルトの目つきは鋭かった。顔全体から、威圧感を漂わせている。だが、その顔は凛々しく魅力的で、嫌な印象ではない。
「……変わった人よねー」
リンディアはぽそりと呟いた。何とも言えない、というような顔つきで。
「何か、心当たりがあるのか」
「んー……ちょっと思うことがあるのよね」
「なるほど。思うこと、とは?」
ベルンハルトはリンディアの考えていることに関心があるらしく、目を開いて彼女の姿を見つめている。
しかし、彼女がベルンハルトの問いに答えることはなかった。
「いーえ、べつに。たいしたことじゃないわ。……忘れて」
今さら忘れることなんて、できないだろう。
そう思ってしまったが、それを直接述べることはできなかった。忘れて、と言うことが、彼女なりの優しさなのかもしれないと感じたから。
その時、誰かが扉をノックした。私は返事をしようとしたが、それより早くリンディアが「はーい」と返事する。すると、扉が開いた。
「調子はいかがですか、王女様」
入ってきたのはシュヴァル。
彼の顔を見るのは、もはや、久々な気さえする。
「シュヴァル!」
「はい。またもや王女様を狙った事件があったと聞き、伺わせていただきました。ご無事で何よりです」
「他人事みたいに言うのね」
「不快にさせてしまったのなら謝ります。申し訳ありませんでした」
「……いいえ。気にしないで」
既に謝罪してくれている者を、それ以上責める気はない。
「それでシュヴァル。何をしに来たの?」
「リンディアが怪我したと聞いたので、少し様子を見させていただこうかと思い、来させていただきました」
「なるほど。そうだったのね」
するとリンディアは述べる。
「なーによ! 善人ぶっちゃって!」
「リンディア、相変わらず生意気ですね」
「生意気で悪かったわねー! アンタの性格が遺伝したのよ!」
……遺伝した?
あっさりと放たれた言葉が、妙に残った。予想していた範囲より外の言葉が出てきたからかもしれない。
「シュヴァルとリンディアって、もしかして……」
私は思わず口を開いてしまった。
「親子、なの?」
シュヴァルとリンディア、そしてベルンハルト。三人の視線が、一気に私へ集中する。
何かまずいことを言ってしまっただろうか、と不安になった。
そんな私の不安を拭い去ってくれたのは、リンディアの言葉。
「えぇ、そーよ! シュヴァルはあたしの父親!」
彼女のさっぱりとした言い方が、この胸の内を満たしていたもやを、一気に晴らしてくれた。水晶のように透き通った水色の瞳に、そこから放たれる真っ直ぐな視線。それらすべてが、私の心に晴れ間をもたらしてくれる。
「そのせーで、あたしはこんなに可愛くない女になっちゃったってわけ!」
赤い髪のリンディアが自嘲気味に笑うと、シュヴァルが口を挟む。
「リンディア! 今言うことではないでしょう!」
「なーによ。小さい頃から、預けっぱなしだったじゃなーい」
「それはリンディアが望んだからでしょう!」
「ふーん。あたしは望んだ覚えなんてなーいわよー?」
何やら騒々しい。
リンディアは最初から、その大人びた容姿とは裏腹によく喋る人だった。だから、こんな風に話すのも分かる。だが、シュヴァルがこんなに喋る人だとは知らなかったので、少々意外だ。
二人の言い合いはしばらく続き、数分ほど経ってから、やっと落ち着いた。
「ま、もーいーわ」
言い合いを終わらせたのは、意外にもリンディアだった。
「それより——アスターと連絡はとれる?」
長く続いた軽い口喧嘩のようなものが終わった後、リンディアは真面目な顔になり、シュヴァルに対してそんなことを言う。
その言葉に、シュヴァルは首を傾げた。
「アスターに連絡を?」
「そー。久々にはなるけれど、無理かしら」
「可能です。けど、どうして?」
シュヴァルとリンディアの会話は、父娘の会話にしてはそっけない。私も娘の身だから分かるが、父娘なら、もっと親しげに話すはずなのだが。
……いや、もちろん個人差はあるのだろうけど。
「ちょーっと話したいことがあるのよねー」
「分かりました。では連絡します」
リンディアはその場で立ち上がり、大きく背伸びをする。それから私のいる方へ視線を向けて、「少し外すわねー」と言ってきた。別段止める理由もないので、私は「分かったわ」とだけ返しておいた。
そんなこんなで、リンディアとシュヴァルは部屋を出ていった。室内には、私とベルンハルトだけが残される。
「イーダ王女」
「何?」
二人だけになるや否や、ベルンハルトが自ら話しかけてきた。驚きだ。
「アスター、とは誰だ」
「え?」
「オルマリンに仕える者か」
恐らく、先ほどリンディアが言ったのを聞いて、気になっているのだろう。だが、アスターなんて名前は私も知らないので、答えようがない。
「ごめんなさい。私も知らないわ」
するとベルンハルトは、小さく「そうか」とだけ漏らし、黙り込んだ。