23話 綿菓子と硝煙
ベルンハルトは駆けた。
ホールの隅、赤い布の張られた階段を、彼は駆け上がっていく。
二階席の脇を通り越し、さらに階段を登り、三階席へとたどり着いた。
「——おや」
ベルンハルトの視線の先には、一人の男性。
きちんとセットされた白髪。そこらにはいなさそうな、いかにもただ者ではない雰囲気を漂わせている目つき。体には黒い布をまとっているが、その隙間からちらちらと、紫のスーツが覗いている。
「……お前か」
ベルンハルトは、目の前のただ者ではなさそうな男性を警戒し、身を固くする。
「いやはや、こうもすぐに見つかってしまうとは」
男性の左腕には、少なくとも子どもの身長ほどはあると思われる、大型の銃。
「目は良く、素早く動ける。ある意味、若さは強みと言えるのやもしれんね。羨ましく思うよ」
「……何の話だ」
「私も昔はもっと元気だったのだよ。それに、比較的モテた」
「は?」
男性の突飛な話に、ベルンハルトは怪訝な顔をする。
「もっとも、こんなことをしていたせいで見事に婚期を逃したのだがね」
「くだらない話を聞く気はない」
怪訝な顔をしていたベルンハルトは、先ほどクネルから奪ったナイフを、胸の前に構える。彼は目の前の男性に対し、冷ややかな視線を注いでいた。
「その若さ、実に羨ましい。若い頃は私もそうだったよ。もはや懐かしい思い出と化してしまったが」
白髪の男性は、遠い過去へ思いを馳せるように、微笑する。
「ところで君、綿菓子は好きかね?」
妙な問いを発しながら、羽織っている黒い布の下から透明なビニール袋を取り出す。
「何も、そんなに警戒することはない。……いや。警戒するな、という方が無理があるか。では正直に話そう。私は先日、弾丸を放つと同時に綿菓子を作ることができる銃を開発してね。試しに撃ってみたところ、予想外に大量の綿菓子ができてしまったのだよ」
白髪の男性が下らないことばかりを話すことに、ベルンハルトは呆れ果てていた。もはや返答する気にもならない、といった顔になっている。ベルンハルトからしてみれば、綿菓子が大量に出来上がった話など、馬鹿らしくて仕方がないのだろう。
「だから君にもあげようというわけだ。なんせ、糖分の過剰摂取は体に毒だからね」
「必要ない」
「そうか。それは残念だよ」
白髪の男性は口角を持ち上げる。そして、持っていた大型の銃をベルンハルトへと向けた。
「……良い餞別だと思ったのだがね」
男性の銃から弾丸が放たれる。
だが、ベルンハルトは咄嗟にその場から飛び退き、弾丸をかわした。
「それが本性か」
ベルンハルトは着地すると、白髪の男性へ一気に接近していく。男性は弾丸を放つことで、ベルンハルトを迎え撃つ。
「いや、まさか。こんなものは、私の本性などではない」
無数の弾丸がベルンハルトへ降り注ぐ。だが彼は怯まない。決して動きを止めたりはしなかった。
銃弾の嵐を掻い潜り、ベルンハルトは男性の懐へ潜り込む。もはや射程圏外だ。
「……ただの仕事だよ」
接近戦へ持ち込み、ベルンハルトの勝利はほぼ確定かと思われたのだが、そうでもなかった。
男性の目は、ベルンハルトを確かに捉えていたのだ。
白髪の男性はベルンハルトに、冷淡な眼差しを向けている。つい先ほどまでの気さくな雰囲気が嘘のようだ。今や彼に、人間らしさなんてものは存在しない。
「っ!」
直後、ベルンハルトは苦痛の声を漏らした。男性に、大型の銃で殴られたのである。
「近距離戦への対策をしていないとでも、思っていたのかね」
ベルンハルトは何も返さない。唇は真一文字に結んだまま、男性の腕へとナイフを振った。
「おっと」
ナイフは男性の腕を確実に捉える。
彼の腕から、赤い飛沫が散った。
「普通に斬られてしまうとは」
腕に傷を負ってなお、白髪の男性は余裕に満ちた顔つきをしている。危機感など微塵も感じていないような表情だ。
負傷しても平然としている男性を目にし、さすがのベルンハルトも動揺する。
まさか、と。
「距離を見誤ったか……老眼かな?」
男性はまたしても呑気なことを述べる。
「いや、最近実に近くが見えにくくてね。遠くは見えるので日頃の仕事に影響はないのだが……不便としか言い様がないね、これは」
「ふざけるな!」
ベルンハルトはついに声を荒らげた。
いつまでも呑気な発言を続ける男性に対し、腹を立てたのだろう。
「叩き潰してやる」
「なるほど、実にいい。やはり、若者はそうでなくては」
「ふざけたことを……!」
「まぁ、そう怒らないでくれたまえ。私とてべつに、悪気があってこんな発言をしているわけではないのだから」
白髪の男性は、ジャケットのポケットから黒ずんだ球体を取り出す。手のひらで転がせるくらいの、あまり大きくはない球体だ。
その正体が分からず、ベルンハルトは仕掛けづらくなる。
「一つ教えてくれるかね?」
「……何だ」
「君、名前は何というのかね」
「答える必要はない」
ベルンハルトは、男性の問いに答えはしなかった。
「それは残念だよ。君には少し、関心があったのだがね」
「関心など、勝手に持たれたくはない」
すると男性は、はぁ、と大きめの溜め息をついた。そして、残念そうに「そうか……」と漏らす。
「では、それで構わない。今日はこれにてお開きとしよう」
男性は静かな声でそう述べると、手のひらに乗せていた黒ずんだ球体を投げた。
白い煙がベルンハルトの視界を奪う。
「くっ……!」
視界が真っ白な状態では、さすがのベルンハルトも、男性を追うことはできない。
それから少しして、白い煙が晴れた頃には、既に誰もいなくなっていた。三階席に立っているのは、ベルンハルト一人だけになっていたのである。




