147話 私にとっては
「ベルンハルトくんがそう言うなら……もうしばらく大人しくしておくことにするかな」
リンディアの制止は聞かなかったアスターだが、ベルンハルトの制止には従い、起こそうとしていた体を横にする。
「ちょ、ベルンハルトの言うことは聞くわけー!?」
「ベルンハルトくんが言ってくれているからね」
アスターの発言に、リンディアは眉を寄せた。
若干苛立っているように見える。
「は? あたしの意見は聞かなかったくせにー!」
両手をそれぞれ腰に当て、圧をかけるように発するリンディア。しかし、アスターはというと、まったく動じていない。
「いや、リンディアが言うのは気遣いだろうと思ったのだよ」
「は? ちょ、なーに言ってんのよ」
「気遣いに甘えるわけには……いかないからね」
アスターはベッドに横たわりながら、すぐ近くにいるリンディアへ微笑みかける。
唐突に微笑みかけられたリンディアは、状況を飲み込めていないような、きょとんとした顔をしていた。
「ところでリンディア」
穏やかに微笑みながら、口を開くアスター。
「……娘と妻、どちらが良いかね?」
「え」
想定の範囲を大きく出たアスターの発言に、さすがのリンディアも戸惑いを隠せなくなっている。
「君がシュヴァルの娘であること分かっているよ。ただ、私はいずれ、君を引き取りたい」
「は……?」
「娘としてでも、妻としてでも、形は問わない。共に暮らせるなら、ね」
これは遠回しなプロポーズなのだろうか?
……いや、娘という選択肢がある時点でプロポーズではないか。
「ちょ、どーしたのよ? しょーき? いきなりそんなこと言って、どーかしてるわよ」
「また共に暮らしたくてね」
「ろーごのお供をしろーとでも言いたいわけ?」
怪訝な顔で尋ねるリンディアに、アスターは控えめな声で返す。
「まぁ……そんなところだね」
正直、意外だ。
アスターがこんなことを言い出すとは思っていなかった。
だが、このような展開を意外に思っているのは、私だけではないはず。ベルンハルトも、リンディアだって、驚き戸惑っているに違いない。
「ははは。どうかな?」
「おっ断りよ!」
リンディアはきっぱり述べた。
「な! 即答はさすがに酷くないかね!?」
大袈裟に、ショックを受けたような顔をするアスター。
だが、こればかりは私でも分かった。今のこの表情は、意図的なものだと。自然と生まれた表情ではないと、簡単に判断できた。
「言っておくけど、あたしは、アンタのろーごの世話をする気はないわよー」
リンディアは眉を寄せたまま、日頃より低い声で言った。
「おぉ……冷たい……」
訝しむような顔をされ、しかも低い声で言葉を返されたアスター。
彼は、「残念だ……」とでも言いたげに、そんなことを漏らしていた。
「甘やかす気はないから」
「分かっている! それは分かっているとも!」
なんだかんだでリンディアとアスターの息がぴったりだと感じるのは、私だけなのだろうか。
「ま、でもー」
「ん?」
「どーしてもって言うなら、考えてあげてもいーわよ」
そう述べるリンディアの頬は、微かに紅潮している。
「ま、もし一緒にいても甘やかしはしないけどー」
頬を林檎のように染めているリンディアに向かって、アスターは大きめの声を発する。
「本当かね!? いいのかね!?」
大きめの声を発するアスターは、今にも起き上がりそうな勢いをまとっている。
「……甘やかしてもらおーって魂胆じゃなーいなら、考えてあげないこともないけど」
「もちろん! 甘やかしてもらおうなんて、欠片も思っていない。私にとっては、君がいてくれることそのものが幸福だからね!」
なんだかんだで上手くいきそうなアスターとリンディアを眺めていると、何だか温かい気持ちになって、つい笑みをこぼしてしまった。
「イーダ王女?」
ベルンハルトは私が笑っていることに気がついたらしく、首を軽く傾げつつ声をかけてくる。
「何を笑っている」
「え」
「面白いことがあったわけでもないのに、笑っている。こんなに不思議なことはない」
真顔。ベルンハルトは真顔だ。
恐らく彼は、私が笑みをこぼしていたことを、心から不思議に思っているのだろう。
だが、私からしてみれば、ベルンハルトの思考も不思議なものである。
もちろん、面白い時に笑う、という発想自体は分かる。しかし、彼は「面白い時以外に笑うのはおかしい」と考えているようで。そこは少し理解できない。
安堵した時だとか、ほっこりした時なんかに、ついつい笑みをこぼしてしまう。
それは、何ら珍しいことではないはず。
……個人的には、そう思うのだが。
「笑うのは面白い時だけじゃないのよ、ベルンハルト。心温まった時なんかも、笑みをこぼすことはあるの」
改めて説明するというのは、少しばかり恥ずかしさがある。
「そうなのか?」
「えぇ」
「では、イーダ王女は心温まっていたのだな」
ベルンハルトは案外素直。
説明すれば理解してはくれるようだ。
「そうよ。仲良しなリンディアとアスターさんを見ていたら、ね」
私はそう言った。
これは本心だ。
リンディアとアスターがなんだかんだで良い雰囲気になっているところを見ると、とてもほっこりする。
「なるほど。……だが」
一度そこで言葉を切る。
そして、少し間を空けて、続けるベルンハルト。
「心からの謝罪が、まだない。それは問題ではないのか」
真面目過ぎる発言に、不覚にも、一瞬吹き出しそうになってしまった。
「もう怒ってはいないみたいだし——まぁいいんじゃないかしら」
「まともな謝罪もなしで、納得できるのか」
「いいのよ。そもそも私、謝罪してもらいにここまで来たわけじゃないもの」
私としては、リンディアが怒っていないならそれだけで十分なのである。
「それはそうだな。だが! 僕は納得できない。身勝手な言動でイーダ王女を不安にさせたのだから、もっときちんと謝るべきだ」
今のベルンハルトは、まるで、真面目を練って固めたかのよう。
「いいのいいの!」
「良くない。僕は納得できない」
リンディアの方へ歩き出そうとするベルンハルトの腕を掴む。そして「今は二人にしてあげた方がいいわ」と述べる。それに対してベルンハルトは、納得できていない顔。何か言いたげな表情だ。しかし、足はきちんと止めてくれている。
「……邪魔しないでくれ、イーダ王女。僕はただ、貴女のためになることをしたいだけだ」
「ならここにいてちょうだい!」
「どういうことだ」
リンディアとアスターは二人の世界。もはや、私などが入っていく隙はない。
だからこそ、ベルンハルトにはここにいてほしい。
「何も、わざわざあっちへ首を突っ込むことはないわ」
「そうなのか」
「今は……ベルンハルトは私の傍にいて」




