132話 いつまでもそんな
「ちょ、アスター……何して……」
リンディアは小さく漏らす。
シュヴァルの拳銃から放たれた弾丸はリンディアを狙っていた。その数発の弾丸は、動けないリンディアに突き刺さるものかと思われたのだが、そうではなく。彼女を庇ったアスターの背に、命中した。
「なるほど、そう来ましたか」
シュヴァルの口元に浮かぶのは、黒い笑み。世界を飲み込んでしまいそうなほど邪悪な雰囲気のある笑みだ。
弾丸を浴びたアスターは、リンディアにもたれかかるようにして倒れ込む。
「ちょ、アスター!? 何なの。どーして!?」
「……リンディア」
「は?」
「君は……私の大切な人なのだよ」
この時ばかりは、さすがのリンディアも嫌がるような行動はしていなかった。恐らく、動揺するあまり、嫌がる余裕もなかったのだろう。
「リンディアは私にとって……娘のような存在。綿菓子と同じくらい……好きでね」
「……何なのよ、それ」
「だから……君が撃たれるところなんて見たくはない」
その先、アスターが言葉を発することはなかった。
「ちょっと、アスター。どーなってるの? 生きているわよね? 返事くらいなさいよ!」
リンディアは調子を強める。
その顔には、いつになく、焦りの色が浮かんでいる。
どうすればいいのだろう。やはり私には、何もできないのだろうか。
もしかしたら、それが真実なのかもしれない。
揺らぐことのない、変えられない、一つの真実なのかもしれない。
けれど私は、その真実を、何の抵抗もなく受け入れたりはしたくないのだ。
確かに、私は弱いかもしれない。腕力勝負になれば確実に負けるだろうし、勇敢な心を持っているわけでもないし。
「シュヴァル、貴方……!」
「何か仰いましたか、王女様」
でもね。他人を理不尽に傷つけることを躊躇しないような者に、怯えてはいたくない。そんな心ない者に負けるような、弱い人間ではありたくないの。
「アスターさんは友人だったのではないの!?」
もはや悪魔と言っても過言ではない、シュヴァル。そんな彼に向けて言葉を発するのは、やはり、どうしても緊張する。何かされたら、だとか、攻撃してこられたら、だとか、そういうことばかり考えてしまうのだ。
「友人? 何を馬鹿げたことを」
「……違うの」
「馬鹿なことを言わないで下さい。彼とて結局は、一つの駒に過ぎません」
シュヴァルの瞳には、もはや、人の面影はなかった。
彼の瞳に宿るは、狂気。
己の願望を成就させる。ただそれだけしか、彼には残っていないのだろう。
「駒ですって」
「そう、我が願いを叶えるための駒なのです」
「よくそんなことを言えるわね……!」
ただ唇が震えた。
他人を物のように扱うその姿勢が、どうしても許せなくて。
「事実ですから」
「心ないにもほどがあるわ!」
私は思わず声を荒らげてしまった。
「邪魔な存在である私を狙うということは、まだしも分かる。でも、仲間であった人まで傷つけるなんて、意味不明よ! そんなのは、絶対に許されることではないわ!」
偽善と笑われるだろうか。
いや、べつに笑われてもいい。
許せないものは許せないのだ。
「貴女から許しを得る必要などありません」
「もう止めなさいよ! こんなこと!」
あの春の悲劇は、もう繰り返させたりしない。
「喚くなど品がありませんよ、王女様」
終わらせるの。
こんなこと、ずっと続けても悲しみしか生まれない。
そこに意味なんてない。
命は奪われ、悲しみだけが生まれる。そんな行為は、無意味だ。
「そう喚かずに。取り敢えず、大人しくしてはどうです」
「大人しくなんて、無理だわ」
「いつも臆病だったではありませんか。貴女はあの頃のように、ただ怯えていれば良いのです」
そう、私は臆病だった。
心身共に強靭とはとても言えない状態で、いつもどこか怯えていた。
強さ、なんて言葉からはほど遠い人間で。
けれど、それはもう昔の話。
今だって強くはない。
ただ、迷わずに前を向くことはできるようになった。散々巻き込まれてきたのだ、今や怖いものなんてそう多くはない。
「強くなったと勘違いするのは止めなさい、王女様。貴女は所詮、か弱き王女なのです。隅で怯えて震えているのが、貴女に相応しい姿。いつまでもそんな貴女でいて下さい」
——刹那。
ベルンハルトがシュヴァルに飛びかかった。
背後から飛びかかられ、さすがのシュヴァルも反応しきれない。ベルンハルトに押し倒されるような形で、シュヴァルは前向けに倒れた。
「なっ……!」
床に押さえつけられる形になったシュヴァルは、珍しく慌てた様子で身をよじる。少し遠心力をかけて手足を動かしたり、腰を上げてみたりしている。
しかし、その程度で逃すベルンハルトではない。
彼はシュヴァルの手や足をからめ捕り、徐々に動きを制限していく。
「ぐ……」
「お前はイーダ王女を分かっていない」
「……離しなさい、野蛮人」
「イーダ王女はか弱いが、今や、お前が思っているほど臆病ではない」
いつもはナイフを使うベルンハルトだが、今は、珍しく素手でいっていた。
表情は冷ややか、声は静かで淡々としている。
「離せと言っているでしょう!」
シュヴァルはまだ諦めていないようで、身を振り、手足をばたつかせて、激しく抵抗している。が、ベルンハルトは既に、シュヴァルを完全に押さえ込んでいる。
「離せと言われて離すのならば、初めから捕らえてはいない」
「こんな乱暴なことをして、許されると思っているのですか!」
シュヴァルはらしくなく声を荒らげる。
「一般人になら許されないだろう。だが、お前が相手なら話は別だ。裏切り者だからな」
「オルマリン人でもないくせに、調子に乗らないで下さいよ!」
「そんなことは関係ない」
絡み合うベルンハルトとシュヴァルの様子をじっと見ていた時、またもや足音が聞こえてきた。
今日はこういうパターンばかりね、なんて思いつつ、警戒する。新手の敵かもしれないから、油断はできない。
だが、その正体はすぐに明らかになった。
「友が来たぞ! ベルンハルトッ!!」
その正体とは、以前ベルンハルトと対決した男性——カッタッタだったのだ。




