10話 僕一人に戦わせるつもりか
食器が割れる甲高い音は、誰かがあげた悲鳴であるかのように、空気を揺らす。
私は恐怖の泉に突き落とされながらも、声を発することなく、椅子の陰に隠れていた。
ここは星王の間だ。扉の向こう側には警備の者がいるはずである。いくら扉の向こう側にいるとしても、これだけの音が響いていれば異変に気づくはず。
……なのに。
誰一人として助けに来てくれない。それは一体なぜなのか。
「ここには警備の者はいないのか」
「いや! 扉の向こうにいる!」
椅子の陰に隠れつつ耳をすますと、ベルンハルトと父親が話している声が聞こえた。やはりベルンハルトも、この状況で誰も来ないことに違和感を持っているようだ。
「なぜ駆けつけない……っ」
「ベルンハルト! 大丈夫かぁ!?」
父親が声を大きくする。
ベルンハルトに何かあったのだろうか。少し心配だ。
「問題ない、軽傷だ」
「ならいいが……って、うわっ!」
直後、足音が聞こえてきた。一人二人ではない足音だ。大体五人分くらいだろうか。
——やっと助けにきてくれた!
私は最初そう思った。
が、その嬉しさは、一瞬にして恐怖に変わる。
「窓から入ってくるとは何事だぁっ!?」
父親がそう叫ぶのを、耳にしてしまったからだ。
彼の言葉を聞けば、やって来たのが味方でないことは明らか。警備の者が窓から入ってくるはずがないのだから。
足音が近づいてくる。
様子を窺おうと、椅子の隙間からほんの少しだけ顔を出すと、こちらへ進んでくる男の姿が見えた。
部屋へ入ってきているのは一人ではないのだろうが、私の方へ近づいてきているのは一人だけだ。
どうする? どうればいい?
私は頭を巡らせる。
元々さほど聡明ではないが、取り敢えず考え続けた。
「おぉっ! 王女隠れてんじゃねーか!」
私の存在は既にばれてしまっているようだ。となると、ここから引きずり出されるのも、時間の問題だろう。このまま隠れている、なんて選択肢は、もはや選べない。
「イーダ! 気をつけろぉっ!」
馬鹿みたいに叫ぶ父親の声が聞こえた。
「引っ張り出してやんぜぇ!」
男が椅子に顔を近づけてきた——その瞬間を狙い、椅子を一気に押す。
「ぐべっ!」
椅子は男の顔面に直撃。
顔面を強打した男は、情けない声を出した後、その岩のような鼻を押さえていた。
「何すんでぇい!」
「……ごめんなさい」
一応謝罪して、椅子の陰から出る。男のいない方を通り、父親に合流した。
「イーダ! 無事か!」
「えぇ、何とか」
「あいつら、銃を持っているからな。イーダも気をつけないと駄目だぞ」
そう話す父親の手には、拳銃が握られていた。
父親が持っている拳銃は、使い込まれた感じがまったくない拳銃だ。星王が銃撃戦をする機会など滅多にない、ということが伝わってくる。
「ベルンハルトは?」
「彼は戦ってくれている」
「そうなの?」
ここまで移動する間、周囲を見る余裕などほとんどなかった。それゆえ、ベルンハルトを見つけることはできなかったのだが、どうやら戦ってくれているようだ。
テーブルの隙間から、音のする方へ視線を向ける。
すると、一人の男を投げ飛ばし銃を奪うベルンハルトの姿が見えた。
「父さんが頼んだの?」
「そうだ。イーダの身に何かあったら、堪らないからな」
そう言ってから、父親は私の体をぎゅっと抱く。
「何度も怖い目に遭わせて、ごめんな」
温もりが全身を包み込む。いつまでもこうしていたいと思うような、そんな温もりだ。
けれども、温かさを感じるほどに辛くなる自分がいた。この温もりを失う日を想像して、胸が痛くなるのである。
「気にしないで。父さんは悪くないわ」
「イーダ、優しいな! 誇らしい娘だ!」
「だ、抱き締めるのは止めてっ」
こんなことをしている場合ではない。それは分かっているにもかかわらず、私と父親は、なぜか揉み合いになる。
だが、ベルンハルトが一旦下がってきたことで、私たちの揉み合いは収まった。
「親子揃って何をしている」
男から奪い取った銃を胸元に構えているベルンハルトは、私たちを一瞥した後、呆れたように呟く。これはもう、完全に馬鹿だと思われてしまったかもしれない。
「僕一人に戦わせるつもりか」
ベルンハルトは不満げだ。
「念のため言っておくが、僕一人で勝てる保証はない」
「何ぃ!? そうなのかぁっ!?」
父親は驚いた顔をする。
どうやら、彼にはその発想はなかったようだ。
「警備の者を呼んできた方がいい」
ベルンハルトは胸元に抱えた銃の引き金を引く。すると、ダダダ、と凄まじい音が響いた。硝煙の香りが漂ってくる。
「僕一人でできることには、限りがある」
「なら、加勢するぞ!」
父親はそう返すと、拳銃を手に、腰を上げる。
「……できるのか?」
「当然だ! これでもオルマリンの星王だからな!」
「そうか」
ベルンハルトと父親はそれぞれ武器を構え、侵入者の男たちへと弾丸を放つ。発砲の音にまぎれて、男たちの声も聞こえてくる。
私の位置から状況をはっきり掴むことはできない。
だが、男の悲鳴が聞こえてくるところから察するに、一人か二人は倒せているものと思われる。
けれど、数では負けている。
ベルンハルトとあまり強くない父親の二人だけで、侵入者全員を倒しきれるかといったら、それは分からない。
私も力にならなければ。
そう思い立ち、扉へと駆けた。
扉の外へ行けば警備の者がいるはずだ。そこでこの状況を伝えれば、彼らはきっと助けに来てくれるーーそう思ったからである。
「イーダ!?」
「人を呼んでくるわ!」
父親にそう返し、扉のロックを解除する。解除作業は思ったよりスムーズにできた。
扉を開け、部屋の外へ出かけた——その時。
「イーダ! 危ないっ!」
「……え」
「避けるんだっ!!」
父親の緊迫した言葉が耳に入ったのとほぼ同時に、私の首もとを銃弾が通過していく。
ぎりぎり当たりはしなかったものの、髪が切れ、ひと房はらりと地面へ落ちた。その銃弾は、最後、扉に突き刺さった。
ダメージはない。けれど、初めて体験したかなり危機的な状況に、私は体を動かせなくなってしまった。今や、恐怖に全身を支配されてしまっている。
「イーダ! すぐに行くからなぁっ!!」
父親はこちらへ駆けてくる。
——その右肩を、銃弾が貫いた。
「父さんっ!」
「く……はっ……」
赤いものが視界を舞う。
まるで、花びらが儚く散ってゆくかのように。




