Ⅷー王
面白い物を拾った。禁止区域に潜り込んでいた小動物だ。自分が弱者であることを理解していながら俺に噛み付く小動物。
しかし、あれはそれほどバカではないのかもしれん。戸惑いながらも状況を把握しようとすることはやめなかったのだから。
俺は、つい先ほど起こったことを思い出して口元をゆがめた。
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「アルバ!今日は時間が空いた。遠乗りに行くぞ。」
「また、そんなことをおっしゃる。少しは私の都合も考えてくださいよ。」
アルバはブツブツ言いながらも準備をしてきますと言って消えた。今日は天気がいいのだ。湖の表面は輝いてさぞかし綺麗だろうと想像する。
立入禁止区域にひっそりと存在する湖は、それはそれは神秘的で美しい。
昔、失恋した女神の涙によってできたという逸話を持つ湖は国が保護する対象になっていた。女神に対する信仰心は深くない方だが、湖の美しさは気に入っており、保護することは大変賛成している。
パカラッパカラッ
パカ パカラッ
湖のほとりに来ると、いつもと違うことに気がつく。立入禁止区域のはずのこの場所に少女が一人しゃがみこんでいたのだ。
「王!」
アルバが剣に手をかけながら囁いた。
「あぁ、俺が動く。お前は静かにしていろ。」
そう命令をして、茂みに隠れ様子を見る。
少女は肩を震わせて大声をだして泣き喚いていた。
「ゔぇーん、、、ごうぎ、ぐすっごうぎーーっっ
、、あいたいよーー」
あまりにも悲痛な叫びに氷の鬼神とまで言われた俺の胸がわずかにいたむ。
しかし、どんな理由であれ立入禁止区域に侵入したのだ。犯罪をおかしたことに変わりはない。尋問せねば。
俺は静かに少女に近づく。そして剣を抜き少女の首にぴたりとつけた。
「おまえは、誰だ。」
低くたずねた俺にびっくりしたのだろう。少女の肩が少し揺れる。美しい艶やかな黒髪がさらりとこぼれ落ちた。黒髪を持つ娘は大変稀有な存在で、また、黒髪は美人の絶対条件と言われていた。この少女も顔は見えないがきっと美しいのだろう。
何度か誰かという質問を繰り返したところで、少女がやっと名前を述べた。
ヒナギク。
変な名前だ。性がないということは平民か。平民ならなおさらこんなところにいていいわけがないのだが。
アルバは拷問をしろと言うが、こんな小娘に拷問など必要ない。自然とそう考えた。
少女の顔が見たくなり、俺の方に向かせる。ハッと息を飲んだのは俺だったのか、アルバだったのか。
腰まである黒髪がさらりとゆれ、俺の目に入った少女の肌の色は今まで見たことのない色だったのだ。象牙色のなめらかな肌にくりっとした目、サラサラな黒髪が印象に残る。
やはりな。美人だ。
そういえば女神は黒髪で象牙色の肌を持つという言い伝えだったような、、、
アルバも彼女のような種族を見たことがないらしい。気まぐれな興味が湧く。殺すのはもったいない。城の地下牢にでも縛り付けておくか。
「ここは立入禁止区域だ。こんな怪しい場所にいたのではな。お前はしばらく城に軟禁させてもらおう。」
そう少女に言いわたすと、彼女はヘラヘラ笑いながら嫌だと言う。先ほどまで泣き喚いていたのに、器用なことだ。
絶対だと命令すると、少女は思いもよらない行動に出た。
この俺に言い返したのだ。この俺に。小さな体で震えながら俺に言い返すその姿が、小動物が噛み付くような姿に見えて来る。
小動物が絶対強者である俺に噛み付いたか。
楽しくなって口元が思わず歪んでしまう。
気に入った。暇つぶしになるだろう、面白いではないか。牢屋に放り込むつもりだったが、この俺の後宮に閉じ込めて遊んでやろう。壊れてしまったら捨てればいい。小動物なのだ、いくらでも代えがきくさ。
後宮の中でも一番小さく貧相な部屋を用意しよう。小動物に豪華な部屋は似合わない。メイドもつけてもらえず、他の妃と違う待遇に惨めな思いをしながら過ごせばいい。この俺に噛み付いた代償は大きいのだから。
だが、子どものうちに抱くのはかわいそうだ。第一俺にそんな趣味はない。あと数年でこの少女も、綺麗な大人になるだろう。それまで遊び倒して、大きくなってからまた遊ぼう。
その後、ターナに全てを任せ、彼女の生活の記録をつけるように命じた。一応、刺客ではないかの監視もしなければ。
クツリと喉の奥から笑いがこぼれる。あぁ、いい暇つぶしができた。
それから数ヶ月が過ぎる。俺は実務や、寵愛を求める妃達の相手で忙しく、小動物の事をすっかり忘れていた。
そんなある日のことだ。最近行動が余りにも酷かった妃のもとを訪れた時だった。あろうことか、俺の子を求めて俺に薬をもろうとしたのだ。たかが女ごときにこの俺が薬をもられるはずがない。すぐに気がついた俺は激怒した。
当然だ。アイツは後宮から追い出し、どこかの老貴族の後妻にでもしよう。すがりつく妃を無視して今後の報復を考えながら部屋を出た時だった。
時刻は真夜中の12時を回っていて、もうすっかり辺りは暗い。しんと静まり返った廊下の奥から何やら歌が聞こえてきた。かすかに、ところどころ途切れ途切れであるその歌声に惹かれるように廊下の奥に進んでいく。
「この先は、奥の間だ。これを歌っているのは小動物か?」
久しぶりに彼女を思い出した。近づくにつれて美しい声が大きくなっていく。
奥の間の扉の前に立って歌詞を聞いてやろうとした時、歌声が止んだ。歌い終わってしまったのだろう。
「チッ」
小さく舌打ちをして、俺は来た道を引き返した。途中、警備のために配置されている騎士を捕まえて尋ねる。
「奥の間の妃だが、いつも歌っているのか?」
「は、陛下!!はい!いつも決まってこの時間に同じ曲を歌っておられます。」
「歌詞は、、、いや、いい。」
「はっ!」
いつも、決まった時間に?なぜ?
少女の奇行を疑問に思う。頭の中では先ほどの曲のメロディーが流れている。妙に印象に残る曲だ。
いつも同じ時間に歌っていると言うのなら、明日ここに来て曲を聞いてやろうではないか。どんな曲をあの小動物が歌っているのか聞いてやる。
翌日同じ時間に昨夜と同じ曲が聞こえてきた。
『恋は夢、人の世も夢、光る湖のほとりに僕は誓うことができない。世界のどこかに罪を消してくれる魔法があるらしい。この嘘もこの罪も、消え去ってしまえばいい。輝く湖の光にこの嘘もこの罪も消え去ってしまえばいいのに。ああ、だれか僕を止めてくれ。僕は君との思い出を胸に抱いてたたずもう。ああ、だれか僕を助けてくれ。叶わぬ想いは僕を殺すのだろうか。』
失恋の歌なのだろうか。切ない歌詞のその歌を彼女は歌っている。どうして?誰かに向けて歌った歌なのか?しかし、彼女は記憶喪失であると言った。あれは嘘だったのか?
色々な疑問が頭に浮かぶ。
許せない。俺のおもちゃが何を考えているか分からないことが許せない。誰かを思って歌っているであろうその歌が許せなかった。
ブワッと何かが体を駆け巡る
彼女は俺のものだ。
この気持ちはなんと言うのだろう。ああ、そんなものはどうでもいいではないか。
存在する事実はひとつだけ。
彼女は俺のものだということ。