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「……るの!?」
「……何を言っている?」
あ、あれ。
目が覚めると同時にセリフの続きを叫んだらしい。
しかしアルバートさん、最後にとんでもないことを言ってくれた。これは帰ったら速攻で尋問……ん?
あれ? 帰り方聞いてない……?
「お前の名前はルノというのか?」
こちらの内心の焦りなど知る由もない目の前の誰かがそんな誰何をする。
答えたほうがいいんだろう。
跪き俯いた顔を上げる。目の前の人物、というか怪物? 星戦争に出てくるマスターなんちゃらみたいなしわだらけの小さい生物が感心したような眼を向けてくる。
誰だお前。
「はい。私の名前はルノです」
とりあえず適当に名乗る。
相手は心得ているとばかりに頷いた。
「そうか、ルノ。お前がすべきことは分かっているな」
わかるわけなかろう。
と思ったんだけど、ふっと何事か閃いた。
「はい。勇者を探し出し、魔王様へ献上することです」
「よろしい」
なるほど、それが私の使命か。
……って駄目じゃん! 人間に渡さなきゃならないんだよ!
改めて自分のいる場所を確認する。
薄暗くてよく見えないが、左右には緑の溶液が入っている円筒形の水槽。中には人の形をしたものが浮かんでいる。下部には黒色のごてごてしい操作盤。あれだ、岩礁みたいにごつごつしている。
すぐ隣にあるものは蓋が取り外されており、外面に緑の粘体がよだれのように垂れてきていた。
それが私の足下に続いている……って、こっから出てきたんか。
「ふむ、知性もそれなりのようだ。これまでの失敗作とは出来が違う」
どうやら過去にも同じものを作り上げていたらしい。
しかも失敗しまくっていたらしい。
魔王軍側のマッドサイエンティスト枠かな。ドラゴンな物語のきめんどうしみたいな顔してなかなかやりおるこのグレムリン。
「では、すぐにでも任務に赴くのだ。人はゴーヤのようにすぐ育つ。早めに刈り取り平穏をもたらさねば」
この世界にもゴーヤはあるんだな。
そんなことを思いながら、しかと承ったとこの口が勝手に動いた。うーむ、どうやら自身を作ったらしいこの妖怪もどきには逆らえないようだ。
さてはて、人里に行くとしてもどうしたものか。
立ち上がって自身を見下ろしてみたら完全に全裸だった。胸もないが玉もない。中性って事なのか、魔物に雌雄の区別はないのか、もしくは不必要な機能ってことで排除されたか、しわくちゃサイエンティストが性別の事を知らないか。
水槽のガラス面が鏡のように反射してくれたので顔立ちを見てみたが、まあ悪くない。ほりが深めなので見慣れないが、恐らくは美形で通るだろう。というか美少年で通りそうだ。
男装の麗人でいこうかな。現実じゃできないことをするのは異世界生活の醍醐味だ。
あとで女神さんには文句を言うとして、衣料を調達せねば。
造り主に向かって目で訴えかけてみたら、醜悪な顔が疑問に歪められたものが返ってきた。
「何をしている。さっさと行くが良い」
え……。
ああ! 改めて見てみたらこいつも全裸だ!
もしかして魔王も全裸か!? 筋肉が鎧とか、そういうアレ系か?!
「いや、ちょ」
「いかぬのなら送ってやろう」
「待っ……」
こちら話など聞かずに。
妖怪もどきは腕を振り上げ、その動作に合わせて軌跡を描いた星屑の舞いが私の躯に降り注いだ瞬間、あっと思うまもなく晴天の元に放り出されていた。
痴女じゃねーか!
このまま誰かに見つかったら痴女認定されるじゃねーか!
「あいてっ!」
そしていきなりの事にしりもちをついた。
ごつごつした感触、手をつけば硬い地面。
目の前に踏み固められた筋がある。ふむ、等間隔に二本ってことは轍の後か……つまり、馬車も通るような道であり、人の行き来があるという証拠になる。
幸いにして目の届く範囲には誰もいない。左右の平原をざっと見渡せば、丈の大きい草もまばらに生えているし、少し大きめの岩もある。その陰に隠れて誰か通りかかるのを待って、布切れでもいいから貸してもらおう。
そうすれば少しはマシに……。
「そこの者! 何をし……」
あっ。
あ、背後!
後ろから聞こえてきた声に、恐る恐る振り向けば、艶のない銀色の上鎧にロングソードを構えたお兄さんが一人。その後ろに革鎧のお兄さんが三人。そして赤茶の硬そうな鎧のおっさんが三人。
さらにその後ろには二頭立ての馬車があり、御者台にひらひらした服のおっさんが一人。馬車の隣に革鎧の少年一人。
「お、お前、はだ……」
「ぎ、ぎぃやああぁぁーーーー!!」
とっさに腕で胸を隠して上体を丸める。
致命的な部分は何も見られちゃいないが、さすがに人前で全裸になったことがないから恥ずかしい。これは恥ずかしい。
「だ、誰か布を!」
後ろで慌てているようながちゃがちゃした音。
しばらくしたら、何かが背中に当たった。
「それを纏え!」
横に転がってきた丸まったそれ。
手を伸ばし掴む。広げれば布団くらいの大きさだったので、肩から隠すようにして体にぐるぐると巻き付ける。
あ、手が出ない。インド式を覚えてたら良かった。
「で、お前は何者だ」
咳払いをして問いかけてくる声。
中々いいボイスをしている。
振り向けば、先程と同じ間隔で十人くらいの人が、あるいは困惑し、あるいはニヤニヤしながら立っていた。
「はい、ルノと言います。えっと……」
あれ、それ以外のことはどうしよう。
人間と魔族って敵対してるよね。でもって、魔族によって人間らしく作られたって事は、人間のふりしてスパイしろって事よね。
二重スパイって事か、この場合。
「……ここ、どこでしょうか」
「聞いているのはこちらだ」
「いえ、転移実験をしていて間違ってこちらに飛ばされたようで」
「て、転移っ!?」
ざわ、とする一行。
なんかやっべぇ事を口走ったかもしれない。
「嘘を申しているのではないだろうな!」
嘘です。
ごめんなさい嘘です。
だから剣を突き付けてくるのはやめてください。
「そうじゃなければ、こんなところで裸になんてなっていません」
それらしいことを言って、肩をすくめる。
あー失敗した、という体を装えてるだろうか。演技なんてしたことないんだけども。
「それはそうだが……しかし」
「ロバート様、質疑はそこまでで結構です。後はご主人さまがご対応されるとのことです」
何やら難しい顔をした青年。その後ろ、馬車の隣の少年が声をかけてくる。
こっちにしてみれば渡りに船っちゃあそうだけど、警戒心ないのかな、そのご主人。
「い、いえ! この者が正直に話しているとは……!」
「それも含め、対応されるそうです。ここまで連れてこいと」
「……はい」
ということは何か、強制イベントですか。
まあ、それ以外に方策はないんだけど。こっちを害する目的で囲まれた場所に誘導するのであれば、このお兄さんがここまで必死になって押しとどめる必要がない。
とはいえ、後ろのほうにいる奴らが下卑た顔をしているから、あんまり近付きたくはない。
うーん……ご主人はショタ趣味かもしれんからなぁ……。
「おい、お前、こっちへ来い」
全裸でいたから武器を持っていないと思っているのだろう。
実際持っていない。
それでも警戒してか、腕のあるあたりをがっつり握ってくる青年。護衛任務を無事にやり遂げようという責任感は悪くない。だが、レディの扱いはなってない。
「痛いです」
「あ、す、すまん」
ちょっと拘束が緩くなった。
素直なのは美徳だよね。ただ、経験が浅いんだろう。こんな言葉で油断してしまうなんて、いざってときに寝首をかかれるのはそちらだぞ。何もしないけど。
十数歩歩いて、少年の目の前へ。途中で馬糞を踏みそうになったのは余談。
「こちらで足を綺麗にしてから入ってください」
うーん、微妙に敬語が軽い。
扱いに困っているからか、そう高くない身分と思われているか。
言われた通り、地面に置かれた布切れで足を拭き、出入り口の下から伸びている横木に足をかける。タラップとかステップとか言えばいいんだろうか。
身体を持ち上げれば、少年が扉を開く。外に開く構造だったため、危うく顔面にぶつけそうになった。危ない危ない。
「あら、意外とお若いのね」
中について一息、とはいかず、間髪入れずに声をかけられた。
そりゃそうだ、ご主人ってのがここにいるんだから。
進行方向に向かって据え付けられた椅子、大量のクッションの間にその人は行儀よく座っていた。