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やっぱ辞めよう。
土日を通して色々考えてみたけど、自分にはこの仕事に向いてないんじゃないかって思う。
というか、向いているヤツがいるなら教えてほしい。帰ってきたと思ったらこっちでは三ヶ月ばかり時間が過ぎているし、前の部屋は家賃滞納してたからって荷物は処分されてたし、貴重品は持っているからそこは良いんだけど、なんかもう散々なんだ。
なによりキツいのは、仲良くなった人達と二度と会えないこと。
出張ルールがなんなのかは知らないけど、二日ほど部屋に引きこもっている間、ボルトのおっさんやマスリオ氏の事を思い出してなんか寂しくなった。毒蛇婦人すら懐かしく思えるってんだからやばい。
これ以上、感傷的になる相手が増えたらこっちの身が持たないわ。
ということで、月曜日。
私は仕事を辞める決意をして出勤した。
事務所に入れば社長と作業服を着た社員二人と何人かのパートのおばちゃんがいたので挨拶をする。何コイツって目で見られたんだけど、そりゃそうだよね、研修以来だもん、居たのかって思うよね。
「ああ、野仲根くん、おはよう」
「佐藤社長、ちょっとお話が……」
「いやー、野仲根くんのおかげで売り上げが二割も増えてねー。話ね、あっちに行こうか」
身振りで休憩室を示されたので、先に部屋に入る社長のあとを追って扉をくぐる。
その先は本棚が多く立ち並ぶ、とある中年曰く研修室で、振り返っても今来たばかりの入り口はどこにもなかった。どういうことですか。
「おや、野仲根さんいらっしゃいませ」
「え、ええー……」
クソビッチがよ! お前の緩さよ!!
「そういえば次のお仕事の依頼が来てますよ。すごいですね、初回の出張後すぐに指名をされるなんて和藤さん以来です」
和藤さんが誰かっていうのがさぁ!
「彼のイチオシである細野さんよりも良い成績ですよ。久し振りの新人って事を差し引いても、これは快挙です」
知らんよ。その細野って人のことも成績についても。
アルバートさんが実にテンション高めに説明してくれるから逆に冷めてしまう。
一つため息をついて、中年男を見つめた。
「実は三つほどあるんですがどれにしますか?」
「帰りたいです」
「貴女の所属する団体が解散しますが良いのですか」
呼んでないのに和風美人もやってきた。女神さんね、その脅しはもう無効ですよ。
「退職しようと思っています。ですから、もう関係ないんです」
「そうですか。依頼を破棄されたと知った神々が貴女にありあらゆる不幸をなすりつけることになりますがそれで良いと。死ぬこともできない生き地獄が待っていますよ、おめでとうございます」
「めでたくないからね!? なんなのそれは!!」
「気に入られるということは、そういう事です」
う、嘘だろ……。
あんな適当に流されるまま生きていただけなのに高評価とか神々の目は節穴か。もっと大事なことに目を向けるべきだと思います。
「過程もそうですが、結果も予期し得なかったとのことで、面白かったとのことです」
ぬ、ぬぉ……あ、つまりは強運のスキル発動してたからってことか!?
気が付いたんだけどさ、強運って運が強いってだけであって必ずしも良いことが起こるわけじゃないよね。どの方向性においても強運だから、やらせみたいにピンチになってはヌルリと回避が交互にやってきたんだと思うの。
それを考えるとさ……魔力のある土地に行くたびに人生波瀾万丈になるわけですよ。行きたいか!? ある意味楽しそうだとは思うよ! でも心臓に悪いことこの上ないよ! さすがに臓器に毛は生えてません!!
「悪い話ばかりじゃありませんよ。行くだけで特別ボーナスが出ます」
「……え? 特別?」
「そちらの世界で使える通貨です。正確には仮想通貨ですが、データを弄るだけなのでちょちょっと資産を増やしてくれるそうですよ」
神様公認のハッキングとか無敵だろうよ。
いやいや、投資より支出が多いって何か問題に……なるのか? 流動的な資産だから大丈夫なのか? それ以前に倫理的に大丈夫なのかそれ?
勝手に通帳の数字が変わるよりいいか……。
「さて、野仲根さん。いかがなさいますか」
「………」
メリットは分かり易く、金。
デメリットは今後の人生崩壊。あと、出張先の人達と二度と会えないこと。完全にデメリットが強すぎる。
つらいことが絶えなくても、やるしかなかろう。やるという選択肢以外がない。生き地獄は嫌だ!
……ああ、そうだ。
「やりますよ……。あと、もう一つ」
「なんでしょう」
「この研修室には出張に必要なありあらゆる書物があるんですよね?」
「ありますよ」
「つまり、私達営業マン……?」
あれ、私って営業マンでいいのか?
なんか違う気がするけどまぁいいや。
「が、営業活動に支障が出ないよう、精神を安定させるためのツールもあるって事ですよね」
「ございますよ」
少し表情が崩れた女神さんに変わってアルバートさんが答えてくれる。にこやかに。
気付いていてもいなくても、この人は笑みを絶やさない気がする。
「なら、前の世界の出来事をまとめた冊子もありますよね。気がかりになって上の空ではきちんと仕事ができませんし」
隣の人を仰ぎ見る洋風美人。
眼鏡を持ち上げため息をつくと、神代女神は苦笑いを見せてきた。こいつが変顔するなんて、なんとも人間くさいものだ。前はこんなじゃなかった気がするんだけど。
「ありますので、お好きにご覧ください。アルバートに三つの質問をしたら、次の世界に出発です」
そのまま本棚の向こうへ消えていく女神氏。
いよっしゃ!
いやぁ、言ってみるもんだ、本当にあるとは。
んじゃあ、早速探してみますかね、と立ち上がったところで気が付いた。
ここ広すぎなんだけど、どう探せば良い? あれ? あ、アルバートさん……に質問したら駄目じゃん! 疑問や要望も質問にする御仁だぞ、下手なことは言えない。
それに三つの質問は次の仕事に使うべきだ。
ちくしょうが! 見越してやがったな女神!!
「ご質問は何でしょうか」
ニコニコしてるアルバート氏。
くっそ、嫌味か……。
また女神を召喚、したくないな。騙されたさっきの今だよ。嫌だよ。
ああもう! 仕方ない、検索は後回しだ。ウジウジしたまま仕事してやる。しくじれば依頼も減って辞めても文句言われまい。
「では、次の出張先は一番簡単なものにしていただけませんか?」
「わかりました。指名された三つのうちの一番簡単なものにします」
おし、とりあえずまずは目的遂行がしやすくなった。
単純なものであれば上手く手抜きできるはず。
「次に、支給品の数をたくさん増やして貰えますか?」
「……少々お待ちください」
あえて個数を指定しなかったのは、断られ難いようにするためだ。
内心では一個でも増えたらありがたい程度に思っている。交渉の基本じゃないっけ、まずはギリギリアウトな事を提案するのって。違うか。
目を閉じてこめかみに人差し指を立てる中年。何の通信してるんだ、と思っていたら目がかっぴらいた。
「一個増やしてくださるそうです」
あー、一個かぁ。まぁいいか。
言うだけ言う、まずは前例ができただけよしとしよう。
「次が最後ですね」
そうなんだよなぁ。
どんな世界に行くのか的なことを聞いた方が良いんだろうけど、前回それで何が変わったかって言うと何も変わらんかった。
聞いても聞かなくても同じなら、別の事を要求した方が良い。
それは分かってるんだけど……それ以上にどうしても気になっていることがある。
「アルバートさん、彼氏とどこまでいったの?」
「婚約しました」
「はぁ?! こ……」
皆まで言い終わる前に、私は意識を失った。




