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手当を受けている途中、リオが右手を払った。
なんだと思えば真っ二つになった矢が落ちる。
そこではっとした。ここ、まだ敵の前面やんけ!
「向こうにも手練れがいるようです」
彼の睨む方向を見るに、のぞき窓から侵入してきたらしい。どんな練度。やべぇ、那須与一がいる。もしくは源為朝。
すっと建物の影に体を移動させる。聞こえないはずの舌打ちが耳元で響いた気がした。
……もしかして忍者部隊の演出じゃねーよな?
「では、シン様はお下がりください。もう用はおっと危ないですので」
今更隠す気もない本音をちらつかせるのやめてくれないか。ドストレートに来いよ、下手に隠すような事をされる方が気になるだろ。気持ちはわかってるんだから。
用済みって言えよオラァ!
ちょっと悲しくなったから心の中で叫んでみたけど、もっと悲しくなったから声に出すのはやめた。傷付きやすい繊細な乙女です。
「……危なくて下がるなら、最初からいなくて良かったじゃん」
「相手が目標を持って焦ってくれた方が作戦遂行率は高まります」
要するに囮にされたのね私は。
あのさぁ! そういうの先に言ってくんない?! 前も同じようなことあったよね!!
本当に君達は私のことをなんだと思ってるんだ。ぷんすこ。
「じゃ、かえる。あとよろしく」
「寄り道せずに帰ってくださいね」
子供扱いをして、布を巻き終えたリオがひゅんっと消えた。どこぞの戦闘民族よろしく短距離転移戦を仕掛けに行ったのだろう。
あれ相手も同じ戦法が使えないと一方的だと思うんだけど。戦力インフレがすごすぎて最初の強敵がザコになっちゃうやつ。さすがに人数差がすごすぎるので全滅させることはできないだろうけど、嫌がらせにはもってこいだ。背後に飛んで服の中にスズメバチでも入れればそれで十分事足りる。
ちょっと背筋が寒くなったので、居場所がバレないように身を縮めてひいこら言いながら安全なところまで移動した。
「シン! よかった、無事だったか」
「少し休め」
言いながら殿下が自分の隣を叩き、フォンが自分の腿を叩いている。そこに座れと? 私は空いている場所に腰を下ろした。
卓の上には周辺の簡易地図、そこに敵軍の配置と、引き込んだ河の水の様子が描かれている。意外と壕が深くて長く、河と森を跨いで池ができた。水の中には蛇さん。大きすぎるのでその上を歩いてこれるんじゃないかなって思うんだけど、今の所その兆候はない。
前方は人が多くて攻略もすぐされそうだけど、一応の時間稼ぎにお猿軍団をけしかけている。うち漏らすと人里に行って襲撃をしかねないので、軍としては無視することはできないだろう。
平地部分が多いので大人数を展開させるのは難しくないが、意図的にそれを狭めたって感じだ。相手はこちらを挟撃するような布陣であったが、東に展開させなかったのが徒となったなとドヤりたい。背後が森で目の前に砦で配置できなかったんだろうけど。
ともかく、後方の四千は分断されたわけだ。
前方部隊が猿に手をとられているうちに、後方部隊を蹴散らしたい。
「後ろは館主達が対応してるのでしょうか」
「ああ、城壁の上から落とせるものはなんでも放り投げている」
第一歩としてロンによる指導者ラインの強襲、その後、おそらく数を頼みに進軍してくるはずなので壁にへばりつくやつらに煮え湯、糞尿、油のコンボをぶちまけているだろう。どれだけ相手方の弓矢に耐えられるかってところか。妖術や一般通過忍者には矢を叩き落とす事に注力するようには伝えてある。リサイクルしたいけど、こちらの戦力が削れるリスクと天秤にかけたら、折ってしまった方がいい。
「そろそろ壕の中にも油が溜まってるでしょうね」
「あまり量はないがな。放火も始まっている頃だろう」
当然の戦法でしかないけど、多く利用されるということは効果があるということだ。
妖術で水は出せるけど、治療できる人はいない。鎧と皮膚がくっついちゃったらどうしたら良いんだろうね。もうね、考えるだけで地獄絵図。
「それでも圧倒的に不利か。東領軍の到着はどのくらいだ」
「近い方から到着したとしても体制を整えるまでに十日は掛かる。それでも早いほうだ」
本隊がここにくるまで一カ月はかかりそうだもんね。
そう考えるとうちの忍者部隊の伝達能力やべーな……ほぼノータイムで各地情報が入ってくるんですけど。
「十日は耐えられないかなぁ……」
というか、何もしなければ一日掛からず陥落していておかしくないのだから、どうやって延命してくか、それを毎日続けていくしかない。
だが、奇抜な策はそう何度も出てくるものではない。
「やはり、いざとなれば、私の首を差し出すしかなかろう」
「いや、それは絶対にしないでください」
「貴方がいなくなったら名目も消えます」
いくら奇をてらおうたって、殿下を差し出すわけにはいかない。それでは何もかも終わってしまう。
せっかく馬鹿みたいなことをやり始めてしまったのだから、成功させてみたい気がしている。
「それは大丈夫だ、シンが立てば良い」
「……は?」
「色々と話を聞いたが……元の名前はスンヨウなのだろう? 足の悪い男のところにいたそうじゃないか」
いや、名前違う……って、そういえばソンフォン氏が間違えてなかったか? 鵜呑みにしたのか!
いやいやまてまて、だからってなんでスンヨウが立つって話しになるんだ。
あの……殿下の名前を聞いたときの嫌な気持ちが蘇るんですけど。
「叔父が彼の妻と城を出て行ったとき、一人の男を共にしたと聞いている。移動中に叔父を庇い足をやったと。だから、お前が叔父の子じゃないかと思ったんだ」
「………」
それ、私に関係ないんじゃないかなぁって……。
足の悪い男なんていくらでもいるだろう。偶然が重なってそう思えただけではないだろうか。
と言いたいところだが、実際のところ、スンヨウはスーちゃんなわけで、それであればあの人一倍強い魅了についても納得できる。あの子多分、隠しキャラとかそんなんでしょ。設定的になくはない。ならば、隠れ皇族とかもなくはない。
いや、偶然って事にしておこう。そんなどえれーもんの側にいたとか便利に使ってましたとかシャレにならん。
「偶然でしょう、足を悪くした男など、いくらでもいます」
「そうか」
そうです。
親父がかつて都にいたとか剣の腕があるとか、スーちゃんの名前は祖父方から取ったとか、そういう偶然が重なったってだけですから!
納得していない顔をしている。だが、私が貴方の血縁じゃないことだけは確かなので気にしないでいただきたい。
「シン、隣に来てくれないか」
嫌です。
その想いを込めてじっと見つめる。
「……シンのことは弟のように思っている、その理由がわかったような気がしたんだが、シンがそう言うなら、違うのだろう」
そりゃもう大いに外れています。
「だが、シンも、フォンもだが、家族のように大切なのは変わりない。不甲斐ないが、これでも恐怖と懸命に戦っているんだ。シンが幽霊でないことを、確かめさせてくれないか」
「……恐れ多いことです」
「……俺は少し外の様子を見てくる」
気を利かせたのか、フォンが席を立った。やめて。二人きりにしないで。
ちょっと睨んだが気付かないふりで部屋を出て行った。
懇願するような視線が突き刺さる。なんのフラグがどこで立っていたのか。私は無言で殿下の隣に座った。
「すまない、シン。私も、貴殿のように心を強くありたかった」
「……いえ、殿下のお気持ちはわかります。親子の縁を切るなど、相当の覚悟でしょうから」
「……ああ。だが、やらねばならぬ。それが、私にできる、この国のための、最低限の事であろうから」
国にためを思って戦を起こすって理論がまずわからないが、そう思うならそうなのだろう。
理想論な気もするけどね。表面上は平和なのであるし、潔癖が過ぎると思わんでもない。一部高官の横領だのなんだのがあったとて、庶民の暮らしがそこまで悲惨なのかと言えばそうでもないし。節度を守れる程度の腹黒さなのだから、現状維持でも問題なかったはずだ。
引っ掻き回したやつの台詞じゃないわ。完全に乗っかってるだけだからなんも言えねぇな。
「すまない……少し、肩を貸してくれ」
「ああ」
そのくらいなら、今だけなら良いかなって思って答えたら、がっつり抱きつかれてビビった。
肩を貸すってこういう事じゃない!
「すまない、すまない……」
だけど、謝罪を重ねる殿下を突き放すこともできなかった。
どうせならフォンに抱きついている姿を見たかったんだが……思うようにならない世の中である、我慢しよう。
そのまましばらく抱きつかれていた。




