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朝食を一緒にどうですかと社交辞令を受けて、面倒だから断ろうと思っていたのに間髪入れずに師匠が諾の返事を出した。
……ま、まあ夫婦を近くに見れるしいいかなぁ、なんて軽い気持ちで食堂ナウ。さすがに食わないわけにはいかなくて、出される料理をぱくついているわけであるが、アカンこれ天乃味海使ってるわ。
そういや位置的には南領に近いのか。現在は取引停止しているから、虎の子の調味料を使っていただいたものと思われる。だがこれはあまり食べたくない。
ちまちまとつまむ程度にしか食べていない私を見て、怪訝そうな顔の館主が尋ねてくる。
「お口に合いませんでしょうか」
「いえ、美味しいですよ」
正直、さほど美味いもんじゃないけど、そう答える。
辛みで味を誤魔化しただけのような香辛料理よりかは幾分とマシではあるが、風味が足りずに材料を生かし切れていないのが明白だ。そして食材同士で喧嘩し合う味わいが多いのも気になる。別に見た目は悪くないし、食べられる味ではあるんだが、いまいち足りない。これ実は歓迎されてないということでは?
「こやつはあまり食わんのだ、気にしなくとも良い」
「はあ……そうですか。他にご用意できるものがあれば、なんなりとお申し付けください」
「お気遣い感謝する」
もう偉そうな喋りなくしてもいいかな。師匠がふんぞり返ってるからそれでバランス取れなくない? 肩凝るからいつも通りの口調に戻そうかなぁ。
っつーかほぼ初対面の人に敬語を使わないというのがいたたまれないのです。
「それにしても、ここの兵共は軟弱であるな。こやつにもしてやられるとは、鍛錬が足りぬ」
「師匠、俺相手だから手加減してましたよ。怪我をさせてはと思って躊躇していたのでしょう」
「だとしてもだ。お前程度を確保できずになんとする」
そりゃ子供を捕まえられないって問題あるけども。
師匠から見た私の評価が低い方が気になるわ。わかってるよ、弟子連中の中でも師事した期間の割に上達速度遅いですよ。でも何もしなかった頃よりはマシなんだからな!
「はは、お恥ずかしい限りです。ヤンシン様のお連れの方にもやられてしまいましたし」
そういえば負けたくなくて忍者部隊を出してしまったよね。
人前に出さないでいようと思ったすぐ後での掌返し、自分の手首の柔らかさ加減は知ってた。頭が弱いんじゃないんですきっと。
とはいえ、ロン一人に瓦解する軍ってどうなのよ。
「いくら妖術を制限していたといえ、あれではな」
「ええ、地力のなさが露呈しましたね……妖術込みであればもう少し良い動きもできたと思いますが……」
あ、そうだったのね。だから対抗できたのか。
てことは、魔法使われたら秒で負けてたのか。あっぶな!
「本来であれば術も併用するものであるからな、次は使用可として稽古するべきか」
それ私も参加しなきゃいけないやつかな?
思えばユウロウ師の所では魔法使っている弟子がいなかった気がする。身体能力強化とかなかったもんな。私は元々使えないからだけど、鍛錬中は制限をかけていたのかもしれない。
……そっかー、良い勝負と思ってたけど、ハンデをつけてもらっていたのか。接待稽古でした。
「それよりも気になったのは指揮系統ですね。総大将がいなくなったと同時に動きが悪くなったと記憶しております」
「……全体指揮を執っていたのは私ですが、お連れ様に気絶させられて、そのすぐ後に降参したと聞き及んでおります。やはり、そうですか。副官も据えているのですけれどね」
「命令系統の整理をした方が良いかと。部隊毎の小隊長もいるでしょう? 各人に隊長としての自覚を促す所から再教育が必要ではないかと思います」
「それならば指導しています。ただなにぶん、気迫と言いますか、度胸が身につかない者が多いのが現状です」
えー、なにそれ……。
希望して兵士になるって事は志が高いということではないの? 怠惰が蔓延しているの? だったらむしろ魔物退治に遠征に行くのが良いんじゃないかな。平和すぎてたるんでるんでしょ。
そうか、鍛錬するならお前が魔物になるんだよ形式が良いのか。いや良くないわ。脅威をそれと認識できる方式が良いのか。
つーか思ったんだけど、これもうここを落としちゃう方が早くね?
いやいや何言ってんだ、その後が面倒臭いじゃないか。師匠に感化されてるゾ。
「ふむ、こういってはなんだが、お主はなめられておるのだな」
本当になんだよ。
館主さんも苦笑いだよ。隣の奥さんも苦々しい顔してるよ。
テーブルを挟んだこっち側にいる私も同じく渋い顔だよ。
「では、そうだな。ヤンシンと、その一門でこの関所をいただこうか」
……ん?
今の会話になってた? あれ?
「……は?」
「え……?」
ほら、二人だってぽかーんとしてる!
ここは何事もなかったように話題を別の方向へと……。
持っていこうと口を開いたら、師匠が手にしたスプーンを館主の首元へ突きつけ、その瞬間に奥さんが私の首にナイフをスライドさせる。
「待て」
そして護衛のために出てこようとした忍者部隊を私が押し止めた。
刃の部分が皮を切っていそうではあるが、別にそれくらいじゃ死なない。動脈とかやられたらさすがに無理だけど。
「師匠、何してるんですか」
「試しただけだ。出入り口にも護衛兵はいるだろう、動いたのは妻だけだ」
確かによく見れば、壁の所とか扉の所に控えている近衛兵だろう人達は固唾を呑んで見守っているだけで動いてすらいない。
こちらの身分に気遣ったとして、館主が悪意に晒されてるのにそれはどうなんだ。
「無様よの、主を慕う者は一人しかおらん」
「……返す言葉もありません」
奥さんがしかめっ面のままナイフをどけてくれないんだけど、そろそろ私を巻き込むのやめてくれないか。
人質プレイは嫌じゃないけど、もっと姫扱いも楽しみたいです。なんでこう、お前をさらってやるという方向じゃなくて、牢屋にぶち込んだり命を狙ってきたりというバイオレンスを感じさせる方向性なんだろうか。BLの受の方がもっと女性扱いされてっぞ。もっと姫扱いされてるんですよ。私ももうちょっとこう望んでも罰は当たらないと思うわ。
「では、夕方より鍛錬を行う。危機感を持って挑んでもらうために、貴殿には役職をかけてもらおう」
師匠が匙を放り投げる。
奥さんは私の首からナイフを引かない。
「受ける理由がございません。ユン師のご指示でいらっしゃったとのことですが、武の国師が口出しするような案件ではないでしょう」
「そうなのか? そこまでは知らぬ。わしがうけたのは、ここの兵を鍛えることだ。方法は任されておる。そして最も効率的なのが、今の方法だ」
めちゃくちゃだ。知ってたけど。
本当に賭けるわけじゃないけど、そのくらいの気持ちで挑めということなのだろう。
そろそろ奥さんも警戒を解いてくれないだろうか。
「効果はあるやもしれません。ですがそのために、国より賜ったこの地を見捨てるような、そんなことはできません」
「館主、あなたはどう思われる」
「………」
問われ、困った顔で奥さんの方を見つめる旦那。いちゃつかないでほしい。
というかこれ、尻に敷かれてるレベルじゃなくて、完全に実権握られてるのか。美人で女傑とかなんでこの人はこんな所にいるんだ? 旦那さんはどんな騙し文句で口説いたんだろう。
「わしが聞いているのは、お主だ」
「……そんな話はお受けできません。そうでしょう、あなた」
いつになったら開放してくれるんだろうか。
この状態じゃ喋らない方が夫妻の援護になるだろうし、黙っていたいんだけどね。そろそろむず痒くなってきた。
「……ロン」
「!!」
こちらの呟きを聞き咎めて、奥さんが腕に力を込める。
それより数瞬早く動いたロンが、得物を吹き飛ばし、続けざまに腕を捻り上げて犯人確保の構えを取った。
いやあ、お見事。
「館主、貴方のそういう所が駄目なのでしょう。優柔不断、判断が遅い。一人で結論を出せないのなら、一度持ち帰るのも交渉の一つです。というわけで、夕方の鍛錬は別のことをしましょう」
話がかみ合っていないのは自覚しているがこの際無視だ。
師匠が何を言い出すのかとワクワクしているが、乗っ取ったりしないからね!
「我々と戦うのではなく、バケモノとやりあいましょう。妖怪は減るし兵の鍛錬にもなるし一石二鳥でしょう」
「あ……え、その、妖怪はどこから……?」
そんなもんうちの部隊に任せておきなされ。
「東に森がありますよね。東領方面なら途中で渓谷や石灰林もありますし、空飛ぶ魚の地域から適当な一団を見繕いましょう」
いわゆるデンジャーゾーンみたいなものですね。秘境と呼んだり危険区域と言ったり深部と呼称される場所だ。
話に聞く限りは幻想的な景色が続いているらしいけれど、足を踏み入れるには少なくともリオレベルじゃないと無理らしい。平均値がわかりづらいけど、我が忍者部隊でもベテラン層なら可能と言えば少しは分かり易いか。
二兄なら余裕だけどフレルバータル氏は微妙、みたいな感じ。
当然私は死に直結する土地である。むしろ到着できません。
まあ、数時間あれば連れてこれるだろう。
ん、なんか館主さんの顔が青い。
奥さんも心なしか青ざめている。
あれ? いやいや忍者部隊なら討伐経験あるから……。
「うむ、それは良いな」
対して、師匠は嬉しそうだ。師匠判定は合格だ。
まずいなこれ、駄目っぽい。
「では、本日の夕頃は妖物との戦闘としよう。のうロン、今からわしが指摘するものを連れてきてくれ……」
「へえ!」
楽しそうに声を弾ませながら、師匠が部屋を後にする。
残される私。非難の視線を浴びる私。いたたまれない私。
「……いざとなったらうちの護衛も出しますし、師匠が退治してくれます。とりあえず、全兵へ状況の共有と、指示系統の再確認、物資の補充状況の確認と、配置の確認をしましょうか……」
言い出しっぺであるが、できうる限りの協力はしよう。
いや、提案者であるからこそ、最善を尽くさねばならない! 変な事いってごめん! もう師匠を止められないから一緒に頑張ろうね!!
痛い視線を身に受けながら、まずは二人の説得から始めるのだった。




