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あれからどれくらい経ったのかは知らないけれど、結構早めに釈放された。
色男が去ってからすぐにまた殿下がやってきて、シュリンさんだろう筋肉質のいい男に怒鳴りつけて、そこからは早かった。持つべきものは権力のあるお友達である。
シャバの空気が美味い。真面目に生きてきたのでこういうセリフも言ってみたいと妄想したことはある。でもそれって捕まるって事だから言いたくはなかったけど。嬉しいんだか無念なんだかよくわからん複雑な気持ちだ。
出所に際して手続きに訪れたのは暫定保護者のチェン氏である。こういう、雑務的な苦労を背負うべくついてきてくれたのかと思うと涙がちょちょぎれるよね、容赦する気はないけど。
保釈金の支払いと書類への記入を終えて、いよいよ出所したときは思わず昇陽殿とあだ名されている陛下の居城に向けて三拝七礼してしまった。ついでに牢屋に向けても一礼だ。何もしてないのに捕まったので訴え出れる側ではあるんだが、深呼吸したついでに自然と出てきた動作であった。
「これからどうする?」
難しい顔をしてチェンが問いかけてくる。
肩から着物を羽織らせてくれるんだが、今の気分はやのつく自由業だ。そういういらん気遣いやめろよ、良い行為なんだけど趣味に合わないんだよ。
「おうちかえる」
ため息と共に零せば、冷静だった表情が少し歪んだ。
帰る先は小皇区ではない、北領だ。それを理解したんだろう。チェンに子細は話していないけれど、セイを始めとした忍者部隊が動いているので、雰囲気で色々と察していただろう。
「……シン」
そしてやおらに立ち止まる。
なんだよ、収監施設からもうちょい遠のいてからそういうのやろうぜ。門衛の姿も見えないくらいだからまあいいか。
そしてこちらの気持ちなどお構いなしに、少し躊躇いつつも彼は口を開いた。
「考え直すことは、できないのか。箐南区で俺と初めて会った時とは、もう随分と身なりも違うじゃないか。殿下とも親しくなったのだろう」
何を示しているのだろうか。
さすがに帳簿の類いまでこいつが知っているとは思えない。あるいは親しい同門の徒に何かを聞いたのかもしれないが、全容を知っているやつなど数人だけだ。そいつらがチェンと交流がないことくらい知っている。
「こんな目にあってまで小皇区にいたくないだけだ。確かにこれ以上の伝手が広げられないのは痛手ではあるが……」
「そうじゃないだろ、シン、何をしようとしてるんだ。わからないが、わかる。お前自身に頼まれただろう、兄となり、道を誤りそうなときは止めてほしいと」
「俺が何を誤ったって? それに、それはスーちゃんに限った話だ」
「俺はお前のことも心配している。確かに俺では頼りないかもしれない、能力もないからな。だが、ずっとお前達の兄だと思ってやってきたんだ」
なんか前もそんなことを言われたような気がする。
律儀なもんだ、数年前にスーちゃん対策として適当に伝えた事を守ってくれているというのだから。
武術における才能は二兄にも及びつこうかという天才なのに、私みたいなのに構ってしまった時点で転落人生だったよね。そう思うと申し訳ないけれど、その分だけ感謝はしている。
でもこれは譲れない部分だ。ヤンシンになる前からの念願と言い換えてもいい。今更、仲間の一人に引き留められたからって放り出せるかというと、そんな簡単な話じゃない。
「……そうだね、チェンには感謝してるさ。だからこそ、ここで解雇しよう。どこへなりといけばいい」
「シン!?」
「止める気はない。例え俺が死んだとしても止まらない。そのための準備をずっとしてきたんだから。それに、何をするか知らないのに、どう止めるというんだ」
「それは……お前が意見を翻せば……」
「無理だね、俺が捕まった時点で、準備完了のお知らせが来ているようなもんだからさ。チェン、やるならもっと早くから着手するべきだった。いつも言ってるだろう、一歩が遅いんだって」
思えばいつも今ひとつ足りなかった。
その度に八つ当たり気味にストレス発散としてチェンに厳しい言葉をぶつけてきたが、少なからず本気の説教も混じっていた。その反省は生かされていない。だからこその、今なんだろう。
チェンが言葉を続けようとした、それは背後でどさりと倒れた人物によって遮られる。
知った顔ではない、平民の服を着た男が、後ろから首を切られて痙攣していた。妖術に回復魔法はない。
「………!?」
「シャバに戻ったばかりでこんな話をしてたから狙われたんじゃないかな。迂闊すぎるでしょ、チェン。そんな君にはこれ以上を任せられない」
箐南区までは送ってあげよう。そんな言葉だけを残して、彼を残して歩き去る。追い掛けてくる気配はない。
さて、格好つけたけどここはどこだろう。
適当に歩いてみたら迷子になりました。
いつもなんかしらどこかで下手をこくのだが、この性根はポンコツのまま治ることはないのだろう。残念系微少年ヤンシンです。
さて、いつも通り忍者部隊を召喚して皇都を脱出し、小皇区の屋敷に滑り込んだあと。
おうちかえるー! と騒いで急いで荷造りして夜逃げなう。急なことではあったが、荷物の用意は万全、人は数人をその場に残しての出立だ。手続き関係が残っているのでそのための人員と、こちらで親しくなった人と生活をしたいと、要するに結婚相手を見付けた人達だ。なんで君達は使用人だというのに主人より先に人生の伴侶を見付けているんだい? 少し問い詰めたい気もしたが、本人が幸せを掴んだというならまずは祝福すべきだろう。
なので、希望退職を募って僅かばかりの退職金を渡しておさらばだ。
ぶっちゃけ、忍者部隊以外の全員を置いていった。
二頭立ての馬車が三台、さすがに騒々しいので道に脇の住人達には気付かれているが、気にしちゃいられない。
出て行くための最低限の手続きは済んでいるということで、咎められることもない。時間帯はあまりよろしくはないが、朝まで待ったらまた捕まりそうな気配がある。早めの行動が吉であろう。
なお、私はパカ上にありスーちゃんとフェネテル嬢が乗る馬車と並走している。
小皇区を発し、その影が平原の向こうに隠れた辺りで一息つく。こちらの安堵が伝わったか、車内から顔を出した二人が話し掛けてきた。
「いきなりだから驚いた」
「こんな急に出立だなんて、ご近所の皆様にも挨拶できませんでしたわ」
「急がせてごめん、もうあんな所に寸毫たりともいたくなくてね」
「それはそうだけど……」
「旦那様を捕らえるだなんて問題行動、北領から正式な抗議が必要ですわね」
「なにがあったの?」
「国法を無視した無体ですわ」
畳みかけるようなかしましさを発揮する二人。
仲が良さそうでなによりだ。
「説明は明日にでもするよ。二人とも寝てないだろ、少し休むと良い」
「じゃあ、旦那様もこちらにいらしてください」
「シン、久しぶりに一緒に寝よ?」
目の下にクマを作った二人が、急速に微睡みに捕らえられながらも必死に言葉を紡ぐ。
あるいは、こっちの意図しているところを感じ取っているからかもしれない。
なんだかんだで付き合いの長い二人になる。スーちゃんなんか都合生まれてからこっちずっとになるのかな。そんな身近な人を騙せるほどの演技力なんて私にはない。フェネテル嬢は期間こそ短いものの、ずっとこちらの動きを見張っていたきらいがある。ちょっとした違和感程度でも敏感に察知できるのだろう。
歳を取ると涙腺が脆くなっていけないよね。仲間認定受けたみたいで嬉しくなってしまった。
「良いから、休みなさい。起きたら、説明するから」
「や、約束……ですわよ……」
「シン、絶対、ゅ……」
心地良い揺れと、張っていた気をわざと緩めたことと、私が捕らえられてから心配であまり寝ていなかっただろう二人は、殊更安心させるように頭を撫でたら速攻で落ちた。
同乗している侍女風のくノ一へ合図すれば、二人の体勢を寝やすいものへと整えてくれる。できる女の人って素敵。
さて、問題の二人は寝入ったので、フォーメーションの変更だ。
馬車一台から馬を切り離し、二人が乗るものへジョイントする。四頭立てなので先程よりは速度が出るだろう。
では馬をなくした箱はどうするか。ここにはアルパカを搭載する。当然ながら騎乗している私が馬車の中へと移動だ。酔わないと良いなと思っている。
「若様、準備ができました」
「シン様、出発すれば後戻りは不可能です」
「いきやしょうぜ、カシラァ!」
三者三様の報告。
それにニヤッとした笑みを向ける。
いや、そんな上等なもんじゃないか。にちゃりとした粘っこい嗤い顔をことさら強調する。
「元より帰る場所はなし、止まるは心の臓が果てるときのみ、血の一滴が消え失せるまで、抗い続けるのみ」
「……そうですね、もう始まっていましたね」
そういう事です。
ため息をついたセイが、改めて気を引きしめる。
「では、事前計画通り、ハクと私の部隊はスーちゃんの護衛を、ロンの一団が貴方と行動を共にします」
「命令の第一権限は若様、続いて私ハク、セイ、各々の副官、五次席までを優先とし、全てが破れた場合に限りスーちゃんに移譲します」
「カシラと一緒に行く我々は、カシラが亡くなった段階でハク兄と合流しやす。それまでの指揮権は席順としやす」
「よろしい。では、事前の打ち合わせ通りに動いてくれ。不測の事態には各自の判断で頼む」
「ええ」
「はい」
「へえ!」
金の回収も食糧の買い占めも各種販売の停止も投資の中止も全て行った。西領の反乱は想定外だが、一連の引き金とする程度には利用できた。
北伯と前皇帝が北領へ旅行に出てくれたことも大きい。いつの間に移動したよ爺さん達、フットワーク軽いな。問題が起こったはずなのに責任がないとばかりの奔放さやべぇ。願ったりだからいいんだけどさ。
あとはミンツィエにもうちと同じような作戦を実行してもらってる。
これでどれだけ揺るがせることができるか。
先行きは不透明だけれど、上手くいくことを願おうじゃないか。




