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食は人と切っても切れない縁の上に成り立っている。
本当は宇宙食の開発に関わりたかったけれど、私の頭では無理だった。すごく無理だった。
それで、結局落ち着いたのは大手食品メーカーの下請け会社の契約社員。事務所と工場で成り立っている、地方の中小企業になんとかヌルッと滑り込んだわけだ。
ええ、就職戦争に負けました。
「いやー、今年は三人も取っちゃったよ」
そう言って大らかに笑うのは社長さん。
というか、私以外の二人は正社員とかいう話だから、なんとなく居心地が悪い。正確に言うと、取ったのは二人だ。
ちなみに私、大学を二浪しておりますので、高校卒業後すぐに就職したお二人よりもだいぶ年上です。肩身の狭さ待ったなし。
事務所の隣のリフレッシュルームで、社長の対面に長机を挟んで新人三人が並んで座る。
研修を終えてレポートの提出を、とのことだったが、その前に社長が来て面談という名の雑談をしているわけだ。
ともかく、明日からはここで本格的に働き出す。
幹部候補と言うことでパートのおばちゃん達に指示を出さなきゃならん。おばちゃん達と仲良くなれるだろうか……。
などと不安に駆られていたら、不意に名前を呼ばれた。
慌てて顔を上げれば、社長は続けて他二人の名前も呼んだ。
「それじゃ、今までの様子から所属を教えておくね。君達二人はまずは商品製作部。工場長補佐から始めてね」
商品を作る方に二人か……。
ということは、私は事務方だろう。
「じゃ、二人は工場長と話して今後のスケジュール決めちゃって」
言葉を受け、若い二人はキビキビした真面目な挨拶を残し、部屋を出て行った。
歯切れの良い勢いある挨拶だ。素直だし、良い子を取ったんだろうなぁ。
「さて、じゃあ君だけど」
はいはい、庶務課とか事務処理部とかそんな部署ですね。
「営業三課ね」
「……はい?」
そんな会話があって数分。
私は異界の地へとやってきていました。
いやぁ、人生の中でも最たる怒濤の数分間だった。
押印された契約書を渡され、腕に手作り冊子を押し付けられ、戸惑う間にビッチ次元から飛べると言われ、なんだその特殊単語と思っている間に荷物として重い買い物袋を持たされ、休憩室を出たと思ったら緑溢るる場所にいた。
何を言っているか分からないって? 当の本人が分かってないからその理解力でついてこれてる、大丈夫だ。
「ええと……」
取り敢えず私は何をしたら良いのだろう。
背後を振り返っても当然ながらドアなんてなくて、薄暗い密林しかない。
どうやら私がいるのは森の中の広場になっているところのようで、ここだけは燦々とした日の光が注いできている。青々とした下草が生えているが、刈り込まれていて芝みたいな感じだ。右手にキラリと光る水面も見えるし、これはいよいよもってここに住めということかもしれない。
「いやいや、さすがにそれは……でも、うん」
なんの説明もなしに放り出されたわけだし、帰り方も分からないし、ともかくまずは生き延びることだよね。
幸いにしてか、こうして見晴らしの良い場所に出てきたわけだし、まずは安全を確保しよう。あと社長は絶対許さん。
ということで、まずは足下を確認。
一歩先に落とし穴でも仕込んであったらたまったもんじゃない。
しゃがんで触……ろうとして、荷物があることに気が付いた。
そうだ、何か有効なものないだろうか。
冊子を捲るが日本語じゃなかった。というか見慣れない文字だ。知らない言語は多いけど、そもそも日常で使わないような言語で書いているとか悪意しか感じられない。
あとは買い物袋だけど、何を持たされたんだろう。一回立ち上がり、袋を覗く。
と、百円均一で見かけた事のあるものが入っていた。というか、百均商品と肉製品が少し入っていた。何故だ。
ともかくその中から伸縮式の指示棒を出し、杖の代わりとして周囲の地面をつついてみる。
するとたちまち目の前の地表が陥没し、見る間にぽっかりと大きな口を開けた。どざーっと土が落ちていく音がする。はは、マジであったわ。
こいつは指示棒よりも強力な杖がほしいなぁ……。
「あ、そっか」
ここは木が豊富にあるじゃないか。
後方に振り向き、指示棒で地面を突き刺しながら薄暗い木々の隙間へ。そこには幸運にも木の枝が落ちていた。
これは日頃の行いでしょ、そうでしょ。
軍手をはめてそれを拾い上げる。うん、丁度良い長さだ。
スキーのストックのように握って地面をドンと叩く。これは良い感じに力を込められるぞい。
また振り向いて、落とし穴を迂回して、まずは水のある方向へ。
途中で他にもいくつか落とし穴があり、転ばぬ先の杖が落ちぬ先の杖となり幾度となく私を救ってくれた。こりゃーいいわ。
ついに水辺に到着。透き通った水面は水底を綺麗に映し出している。
「いや、しっかし……暑いなぁ」
ここにくるまででだいぶ汗をかいた。
緊張していたって事もあるけれど。慣れない杖の使用に余計な力を使ったこともある。
目の前には澄んだ水。六畳ワンルーム程度の大きさで、流れ出す川もなく湧き出している箇所もなさそうだ。飲料に適するかは飲んでみれば分かるだろう。測定に必要な道具もなければ、測定方法もわからない。ならば実体験するしかない。
袋からソーセージを一本出して浸けてみる。途端に煙と泡を出しながら溶ける肉。
次にプラスチックのコップを浸してみる。こちらは問題なく水を掬いだした。
なんだこれ。肉だけ溶かすとか厄介すぎねぇか。
怖くなったのでそれを隣の芝みたいな草にかけてやったら、そこだけじゅわっと蒸発して地面がむき出しになった。
道理で池の周りに植物が生えていないわけだ。
これだけ豊富な水源があるにもかかわらず、植物の楽園でそれはあり得ない。引き立つ異様さに疑いを持って良かった。
「っていうか罠が多すぎないか……」
袋から空の容器を取り出し水を汲む。おそらくは園芸用の詰め替えボトルだ。
さあ、次からは霧吹きで除草できるぞー、と言うことで、ハンドタオルを胴体に巻いて、蓋をしめて上についてるポンププッシュで近くの芝生を霧吹きする。悲鳴でも上げそうに縮みながらクネクネと踊っていた芝生(仮)はしばらくすると地面に吸い込まれるようにして消えていった。
「ふうん?」
溶解されても、何かがあった痕跡は残るものだと思ってた。
さてはて、飲料が確保できないとなると、ずっとここにいても仕方ない。
とはいえ、打開策が見当たらない。
ここは広場のようであるが、四方は密林でありどの方角を見てもその先はただただ薄暗いだけである。
「うーん……」
一言唸って、とりあえずは広場の中心に向かうことにした。他に目印になりそうなものはない。
中心部に向かうにつれて落とし穴の頻度が減る。やっぱり、この異様な場所の真ん中には何かあるのだろう。
そのまま向かおうかと考えたが、ふと落とし穴のことが気になった。覗いても暗闇ばかり、底が見えないので相当の深さと見積もりそれ以降は近付かないようにしていたが、そういえば外縁部には草が綺麗に生えていた。
人が作った場合、どうしてもそういった部分は不自然になるものだ、と思う。しかし、ここにあるものは、押したら直ぐに作動するくらいに脆いが、見た目では分からないぐらいに巧妙にセットされている。
偽装工作が得意な何者かが設置したのだろうけれど、それにしては拙い部分もある。刈り込まれた芝生なんて、人工物以外ありえない。それに落とし穴の数。ここを整備している人が居るという証拠だ。
「なんだってんだまったく……」
呟きながら霧吹きすれば、穴の外縁部の草は露に濡れて堂々と生い茂り、穴から少し外れたところにある部分は地面に引っ込んでいった。
この方法でも発見できるって訳か。
うむ露払いの意味もかねて霧吹きながら進もうかな。腱鞘炎にならない程度で。
しゅかしゅかと水をかけながら進んでいく。
振り返れば一本の線になっており、戻りたいときのルートの目安になっていた。霧吹きし、棒でつつき、ジリジリと前進。遅々としているが確実だろう。
単なるびびりだって? その通り。
しばらくそうやって進んでいくと、地面に白い線が現れた。
なんじゃこりゃとそれを棒でつついてみたらなんの抵抗もなく先端が消えた。文字通りの消滅。
今度は完全消滅トラップかよ。徹底してんな。
などと思いつつ断面を見てみれば、切断された様子ではなく、ただ単になくなっただけという風体であった。
何言ってるか分からないと思うけど、実物を見た自分でも何が起こったかわかってないから大丈夫だ。
次にソーセージを差し出してみる。
おなじく白線をなぞってみるが、こちらは変化なし。
性質的に水とは反対の結果が得られるようだ。なんだかね。
線は横に伸びていたので、左右に霧吹きをしてその道筋をたどることにする。ついでに、線に触れないように棒を差し出したら消滅した。白線を越えると怒って消滅させに来るようだ。ただし肉棒は許される。この線はメス豚らしい。
疲れてくだらない下ネタまで出てくるようになった思考を叱咤して、作業に集中する。
幾ばく経ったかは分からないが、頑張った甲斐あって、最終的に白線は円形になっていることが判明した。
「……中に入ったら何かあるかなぁ?」
試しにいつものソーセージをぽいっと投げ入れてみた。
芝生に横たわる否や、紫色に変色する褐色だった肉棒。これは機能不全ですわ。
食べ物を粗末にしてしまった……と今更な事を考えながら紫肉をボンヤリ眺めていたら、白くて長い指が二本、どこからかにゅいっと現れて、それを摘まみ上げた。その動きに釣られるように視線をあげていけば、そこにいたのは金髪碧眼の美中年。え、いつの間に。
「なるほど、合格ですね!」
ニコニコと嬉しそうに笑う彼は、手にした実験後の残骸をその口に放り込んだ。
衛生観念ないんだ……と呆気にとられていたら、彼は心底嬉しいといったように、まぶしい笑顔になる。
「さすが和山さん、良いものを作っていますね」
「え、和山って……」
「はい。和山ハムの製品ですよね? 大好物です」
そっか。
見た目外人の美形のおっさんが日本語を流暢に話しているのも、きっと日本オタクだからに違いない。
髪が腰まであったり、服装がゆったりした筒状ローブだったり、腰紐がしめ縄だったり、耳がとがっていたりするけど日本オタクなら問題ない。色々とおかしいのは日本色に染まってしまったからなんだろう。
「いやぁ、久々にここまで来る方がいて私としても嬉しいです。ああ、申し遅れました、私、研修担当のアルバートと申します」
機嫌が良いまま、横隔膜にあたりに右手を当てて失礼のない程度の角度でお辞儀をする美中年。
私も慌てて名刺を……出そうとして、まだもらってないことに気が付いた。頑張って名刺交換の仕方覚えたのに。ちくしょう。
「野仲根と申します」
よろしく、は何か違う気もするし、お見知りおき、してほしくないし、続きの言葉が出てこなくて結局名前の後はモゴモゴ言って終わってしまった。