第2話 ファル・スケルターという悪魔の願望 前編
注意、この回は物語の設定の説明をただひたすらしているラブコメのラの字もない話です。
その空間は時を止められたかのように重く固まり、でも確かに秒針は正確に時を刻んでいった。俺の発言からずっとこの雰囲気。まるで空気が粘着質のようには貼り付いて、気持ちが悪い。時間は過ぎるのみで、ファルさんは話を始めようとしなかった。
5分程度経った頃だろうか、その沈黙に俺は耐えきれず、行動を起こした。たかが5分と思うかもしれない。だが、この空気の中だと体感的には1時間よりも長く感じられる上に、生きた心地がしないので精神衛生上よろしくない。
俺は息を呑み、口を開く。
「黙ってないで聞かせてください!約束は果たしたではないですか!」
自分でも驚くほどの声を出して、露わにした怒りをファルさんにぶつける。
何としてでも、俺はファルさんが知るすべてを聞かなければならないのだ。再び、俺は催促しようと声を上げる。しかし、その声は言葉になることはなかった。理由は簡単、言葉になる前にたった一人の小さな少女によって遮られてしまった。それも、見た目では想像できない物凄い怒気によって。
「黙っておれ!小僧ごときがこの儂に指図をするなっ!」
思わず、一歩下がってしまった。なぜなら、今までに見たこともないファルさんの姿がそこにあったからだ。
子供らしい姿には似合わず、邪神の如き覇気で、聡明な光が宿るその瞳でこちらを睨む。そして何より、身体に黒い靄がかかり、その姿形はファルだとわかっても、輪郭はハッキリと確認できなかった。
まるでそれは、例の怪物、“魔獣”のようだった。俺は呆気にとられて言葉を失う。そして、何をするわけでもなく、ただファルを見つめることしかできなかった。
そんな俺の様子を見て、我に帰ったのか、ファルは思わず昂まってしまった感情を抑え、息を整えている。すると、落ち着いていくのと同時に、ファルの身体にかかった黒い靄は、CGの映像を見ているかのように身体の中に引き寄せられ、輪郭はハッキリと確認できるように戻っていた。
「あまり急かすでない。……儂だって話したくなくて話さないわけではない。ただ、どうにもお前に話す内容の整理をすると、その内容は私の気分を耐えがたいまでに悪くさせる」
落ち着いた表情で先ほどの覇気が嘘のように、そして、何故か怯え苦しむようにファルは言葉を紡ぐ。
「そのせいでお前に話す順番がまとまらず、待たせてしまっていた。気にするな、内容が内容だけに気が立っていて先程の様な恥ずかしい姿を見せてしまっただけだ」
「じゃあ、俺に聞かせてくれるんですね……!」
「勿論じゃ」
「じゃあ、魔獣とは何なのですか?それにファルさんが悪魔ってどういうことですか?そして、さっきファルさんの身体に黒い靄がかかりましたけど、あれは何ですか?さらに……」
「待て! 今から話していくから、質問はその後じゃ!」
質問責めをする俺をなだめ、椅子に座らせた。そして、ファルさんは語り始めたのだ。俺の知らないすべてを。
…………………………………………………………
こほん、とわざとらしく咳をしてファルさんは息を整え、その言葉を紡ぐ。
「世界は感情で溢れている。何をするにも感情は生じ、また感情は何かをさせる発火剤にもなるとも言える。ときにそれは、本人の力を限界を超えさせることもあり、言うなれば感情には人間の限界を超えさせるような未知なる“何か”を秘めているとも言えるんじゃ」
しかし、その内容は全くと言っていいほど俺が知りたい内容からは、かけ離れていた。
俺が知りたいのは魔獣の正体、魔獣による人間が受ける被害、その被害を受けた者の救済方法、など挙げていけばキリがない。
だが、今のファルさんの話はこれらのことに、一切関係がなかった。はぐらされたのかと俺は思い、怒りを乗せて不満を露わにする。
そんな俺を見てか、ファルさんは呆れたように溜め息を吐き捨てた。
「そう怖い顔をするではない。問題はここからじゃ。その感情に秘められている未知なる“何か”にとある製薬会社が目をつけてな、感情を肥大化させる薬が開発されたのじゃ。それがこの薬、“wing”じゃ」
そう言うと、俺の前にひとつの注射器が置かれた。注射器に付いているラベルを見ると“wing”と書かれている。
「この薬がどうかしたんですか?」
疑問をそのまま口にする。
「どうかした、というレベルではない。これのせいで、魔獣という存在が生まれたのじゃ」
いつになく真剣な面立ちで語るファルさんの発言に驚きを隠しきれない様子の俺に構わず、話は進んでいった。
「この薬自体は、精神の安定や人間の精神の処理能力を向上させるといった目的で開発されたのじゃ。実際、マウスなどによる投薬実験ではなんも問題はなかったらしい」
「……」
特に何も魔獣について関係がないように思えるのだが。そんな疑問を浮かべる。
「そして、人間に対して新薬の検証として実験を始めたんじゃ。対象患者は定期的に研究センターで投薬したんじゃが、数ヶ月が経った頃じゃたか、とある事件が発生したんじゃ」
「事件?」
「そう、事件じゃ。とある患者にいつも通り定期的に薬を投薬したときのことじゃ。その患者が突然、狂ったかのように笑いだしたんじゃ。その患者は床に倒れて、涙を流して苦しいと訴えた、もちろん笑ったままな。これは明らかにおかしい、そう思った1人の職員が彼を取り押さえようと飛びかかったんじゃ。その後、どうなったと思う?」
「どうって……。すいません、俺にはわかりません」
突然の質問に困惑する俺を見て、ファルさんが面白そうに目を細める。
「答えは簡単……とはいかないが、シンプルじゃ。飛びかかった職員は死亡。首は飛ばされて壁に叩きつけられて、身体は雑巾を絞ったかのように捻れ、血があたりに飛び散った。儂も実際に見たわけでないが、がそれでもわかるくらいに現場はパニックに陥っていたな」
意外で、なおかつ胸糞悪い回答に眉間に力が入る。反対にファルさんは特に気にせず、話を続けた。
「それを見た周りの職員はその患者がやったと思い、そいつを包囲した。しかし、よく見ると患者も同様に死んでいたのじゃ。疑問に思い、包囲した職員達が怯えながらも死体に近づいたんじゃ。その時かの、けして動かないはずの死体が蠢き始めて食い破るかのように“それ”は出てきたんじゃ」
「それって、まさか魔獣……?」
「そう、そのまさかの魔獣じゃ。そして魔獣は、まず最初にそこにいた職員達を虐殺し、その後センター内をひたすらに暴れたんじゃ。何が目的だったかは正直わからん、というより目的なんてなかったのかもしれない。最終的には暴れたときに何らかの影響で火事が発生し、センターは全焼、魔獣はその火事に巻き込まれて消息不明になったんじゃ」
「つまり魔獣は薬の副作用で発生したものという解釈でよろしいでしょうか?」
「副作用……という訳ではないが、だいたい合っている。その後の研究により、魔獣の発生原因も判明しているしな」
「その原因ってなんですか?」
疑問に思い、俺は質問をした。そもそも、魔獣と薬の関係が未だにわかっていない。
「原因……か。なあに、簡単なことじゃ。薬はもともと感情を肥大化させるために開発されたのは覚えておるな?感情を肥大化させることで、精神の安定などの効果が期待されていたんじゃ。しかし、人間の感情は複雑で、他の生物よりも数十倍も強すぎたんじゃ」
「それに何か問題でも?」
人間は生物のなかでは脳もデカイため、別に感情が複雑だろうが不思議なことではない。むしろ、薬の効果は人間だからこそ十分に発揮できる気もする。
「複雑で強すぎた感情は予想を超えるほど肥大化したんじゃ。そして、その肥大化した感情は1人の人間には許容できる範囲を遥かに超えてしまった。許容容量から溢れてた感情はその人間から独立してな、姿形自体はハッキリと捉えることのできない、でも確かに存在が確認できる怪物が生まれたんじゃ。つまり……」
「魔獣が生まれたと……?」
「その通りじゃ」
「つまり、薬の効果で人間の感情が肥大化しすぎて、溢れでた感情が独立したものが魔獣の正体だと……?」
「先程からそう言っているであろう」
落ち着いてファルさんは答える。ただ、俺には疑問がいくつか残った。
「質問よろしいでしょうか?」
「まだ話は終わっていないが……、別に構わんぞ」
「ファルさんの話だと、薬さえ摂取しなければ魔獣は生まれないんですよね?」
「例外なく、そうじゃ。今までにそれ以外の魔獣の発生原因を聞いたことはないからな」
「なのに何故、まだ魔獣は存在しているんですか?そこで薬は危険だとわかって廃棄されていれば、その事件だけで済んだのではないでしょうか?」
「……本来ならお前が言う通り、そうなるはずじゃった。ただ、この薬は感情を肥大化させる効果、言うなれば麻薬をも超える興奮作用があったんじゃ。そのぶん依存性も高くてな、それを悪用して儲けようとした愚かな研究員がいてな。事件前に薬のレシピが全国各地のそういう団体に売られていたんじゃ」
「……つまり薬物として今も世の中に広まっていると?」
ファルさんは無言のまま頷いた。そうなれば、この薬は回収不可能なくらい世に出回っているだろう。……ただ1つ疑問が残る。そんな薬があるなら、相当なニュースになるだろう。しかし、俺はそんなことを聞いたことすらない。
「おや?何やら納得しない顔をしているな?おおかた予想はつく。“そんな事件や薬を聞いたことがない!いくらなんでも騒ぎにならないのは、おかしい!”とかだろう」
「……」
どうやら図星だったようだ。
「理由は2つある。ひとつはこの事件自体がそこそこ昔の話だからだ」
そこそこ昔……。20年ぐらい前だろうか?
「そうじゃの、ざっと60年くらい前じゃろうか」
「ロッ、ロクジュウ!?」
予想を遥かに超える回答に思わず変な声をだしてしまった。だが、それでも騒ぎにならないのはおかしいと思う。いくら時間が経とうと風化する事件でもないからだ。
「2つ目、これが1番な要因じゃが、魔獣に殺されたものは世界から存在そのものが消失してしまうことじゃ」
「……存在の……消失」
「ああ、この件に関してはお前に教えたんじゃったな」
俺は中学生の頃、1度魔獣に襲われたことがある。その時、一緒にいたあの人に庇われて、なんとか俺は助かった。だが、俺を庇ったその彼女は身体の半分を削られてその身体についていたであろう臓物を花のように散らしていた。
ただどうしようもなく、その場に立ち尽くす俺に魔獣が迫り、殺さんとばかりに飛びかかってきた。瞬間、何処からともなく現れたファルさんがその魔獣を破裂させて俺を助けたのだ。その後、一方的に“お前は存在が消失した。今日から儂と暮らせ!”と言われ、なかば拉致られるように連れて行かれたのだ。
どうしても納得できなかった俺はファルさんに何故、一緒に暮らさければいけないのかを聞き、存在の消失についてだけ教えてもらったのだった。
「存在の消失……、確かその人のことを周りの人々は忘れて、存在したという証拠が全て消え去ることでしたっけ?」
「その通りじゃ」
にわかには信じがたいが、俺は身をもって体感している。中学時代の友人には忘れられているし、俺と両親が暮らしていた家は別の建物に入れ替わっていた。だからこそ、ファルさんは帰るところがない俺を面倒見てくれている。
「少し話題が変わりますが、存在が消失するのは殺された場合のみではないんですよね?俺は生きてますし」
「いや、存在が消失するのは殺された場合のみじゃ。お前が魔獣に襲われていたとき、その場にいた女子は殺されて存在が消失した正しい例じゃが、お前のようなのは例外じゃ。今まで、魔獣に殺される以外で存在が消失した例など1つもない。何故存在が消失したのか、詳しい原因はわかっていないが、何かあった時にいつでも管理できるように手元に置いておいたんじゃ」
「……まさか、それで俺はファルさんと暮らしているんですか?」
「言ってなかったか?」
「初耳ですよ!」
行き場のない俺を面倒見てくれる優しい人だと思っていたが、まさかそんな裏があったとは……。
「儂はそんな面倒なことをわざわざやらんッ!」
「そんなことをドヤ顔で言うな!」
そんな俺の反応を見てファルさんは愉快そうに笑った。シリアスをやりたいのか、ギャグをやりたいのか。そこそこの付き合いになるが、ファルさんの思考回路がわからない。
「んで、話は戻るが……。魔獣に殺された者は存在が消失しまうんじゃ。だからこそ何かあろうと人々の記憶に残らない、つまり何があろうと騒ぎになることはないんじゃ」
なるほど、そうなら事件にならないのも納得できる。いつの間にか真面目な表情に戻ったファルさんがまた話を進める。
俺は知らなければならないのだ。中学時代、俺を庇って殺された彼女への弔いのため、彼女を殺した魔獣に復讐するために。
話はまだまだ終わりそうにない。
設定をわかりやすく、なおかつ面白く伝える方法ってないのかな……?
今回は面白くないと思います。そして、この話の後編もつまらないと思います。私の実力がないから仕方ないッ!
ただ、物語上、重要な設定が色々でてくるので頑張って読んでくれたら嬉しい限りです。