第1話 景永 哀という男の日常
──ただ細長い道を俺はぼんやりと歩いている。特に目的と呼べるものはなく、ただ歩き続ける。
一体どれだけ歩いたのだろう。
時間という概念を忘れるくらい歩いたころ、ふと隣に気配を感じる。
気になって隣に目を向けると、そこに一人の少女の姿を確認することができた。
白いワンピースを着ている少女。やや小柄な体に綺麗に整った顔つき。膝あたりまである髪は、桜を思わせる薄いピンク色だ。
美しい。否、ただ美しいのではない。そこにいるだけで空間そのものが美しいのだ。
しかしその顔は打って変わり、まるで子どものような笑顔を浮かべる。その笑顔は美しいというよりも可愛いという言葉が似合い、先程のイメージには程遠いものだったが、それはそれで絵になる。
そんな笑顔を見ているうちにぼんやりとした意識が覚醒していく。そんな中、もう一度視界にその少女が映る。
先ほどまでは気が付かなかったが、何か引っかかる。
確かとても大切なことだったような…。
そのとき、頭にある人の姿が浮かんだ。腰あたりまである薄いピンク色の髪に人形のような整った顔、そこに浮かべるのは子供のような無邪気な笑顔のあの人を。
俺は……あの顔に覚えがある……。
瞬間、全身に電気が走ったかのような衝撃に襲われる。
「まさか」 自分の目を疑うわけではないが、目に映った少女のことを否定せざる得ない。この世にはもういない、消失してしまった存在の彼女がいるはずがない。
でも何度見直そうが確かにあの人だ。
「なぜ?」そんな疑問より先に、触れたいという本能が勝り手を伸ばす。
今はここにいるはずもないあの人が今、目の前にいるのだ。
慌てて手を伸ばした。
繋ぎ止めとかなければいけない気がしたのだ。
だからこそ俺は手を伸ばした。
ただその想い叶わず、虚しくその手は空を切った。少女は煙のように揺らめいて、いつしか消えてしまった。
そのことをただ俺は見ていることしかできなかった。
「幻だったのか……」
そう呟くと、今にも目から溢れそうな涙をこらえるために強制的に考えるのをやめた。
──いつか君と歩いた道、それは幻ではなく確かにここにあったのだ。
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「おーい、起きろー」
能天気な男の声が鼓膜を震わせる。それに呼応するように身体をおこす。
「やっと起きたか。授業も終わってもう放課後だぞ」
呆れたようにため息を吐いたのは俺の唯一の友人の
”馬道 秀和“だ。どうやら俺は寝ていたらしい。目をこすり視界と思考をクリアにする。
「10月になって寝やすいのはわかるが、授業中に爆睡はやめたほうがいいと思うぞ。大声で寝言を叫んでたからな」
「…マジで?」
そんなことをしていたら教師に目をつけられてしまう。10月になるまでにバレないように努力してきたのに!これからの高校生活で授業、もとい睡眠学習に努められなくなる。はっきり言って面倒臭い!
そんな感情が顔にでていたのだろう。馬道がフォローのつもりか
「そんなに思い詰める必要ないって、どちらかというと大声で叫んでいたというよりは不気味な声でうなされていたから。目をつけられる以前に気味悪がって避けられるんじゃないか?」
と生温かい目でこっちを見ている。なにその可哀想な人を見る目は⁉︎
「というか、全くフォローになってねぇぇぇっ!」
むしろ事態が悪化している気しかしない。もうやだ…… 死にたい……。もうどうすることもできないが、この感情の矛先を目の前の相手にぶつける。つまり必然的に馬道を睨みつけることになった。
「まあ、嘘だが」
「嘘かよっ!」
「急に叫んで、どうしたんだ?」
「誰のせいだと思っているんだよっ!」
どうにも納得がいかない。こやつめ、俺で遊んでいるな。再び馬道を睨みつける。といっても先程とは違い、強く睨みつけるわけではなく俗に言うジト目という表現が正しいだろう。そんな視線に気づいたのか、馬道が再び口を開く。
「まあ、授業中に寝てたことが教師にバレたかどうかは俺にも正直わからん。
ただお前の前の席、つまり俺にはわかる程度にうなされていたのは事実だ。
なんの夢を見ていたかは知らんけどそんな夢をみるなんてリアルで何か悩み事がある証拠だ。
なんか悩みとか辛いことがあるなら俺に相談してくれよ。勿論、無理にとは言わないが」
彼には珍しく少し真剣な表情で話した。なんだかんだいっても良い奴なんだなと改めて実感。友人と呼べるのはコイツぐらいしかいないが本当に自分は恵まれていると思う。俺は一言だけ、
「ありがとう」
と伝えた。突然のお礼に馬道が困ったように恥ずかしそうに笑い、それを誤魔化すかのようにいつもの調子に戻る。
するとあたかも今思い出したかのように
「そういえば先生から伝言を頼まれてたんだけど、HR終わって放課後になったらすぐに職員室に来い!、だってさ」
「…ちなみに放課後から何分経ってる?」
「少なく見積もって45分ぐらい?」
ああ、100%怒られる。面倒くさい…。知ってて黙っていたなコイツ。訂正、さっきは良い奴だと思ったがそれはない。ただのクズだ!
「覚えておけよォォォッ!」
どっかの小悪党のような捨て台詞を吐いて俺は教室を飛び出して急いで職員室にむかった。
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空の色はオレンジに染まり、太陽の位置が低くなっている。秋と冬の間のこの季節には上に羽織るものが欲しくなる時間帯。
さっき馬道におもちゃにされた上に、教師に怒られていつもより2時間ほど帰るのが遅くなった。あいつら、本当に覚えていろよ……!
学校を出てから空の下を10分程度歩き、さすがに手が冷たくなってきたのでポケットに突っ込む。
その反動でポケットから学生証が落ちてしまった。手を伸ばし落ちた学生証を拾い上げ、一応、手に持った学生証に不備・間違えがないか確認する。
高校名、鋼ノ山高校。学年、1年。名前、景永 哀。
この学生証に書いてある通り俺の名前は“景永 哀”。鋼ノ山市に暮らし鋼ノ山高校に通う高校1年生で間違いはない。
「よし、俺のであっているな!」
周りに人がいなかったので、ひとりで少し大きな声でつぶやいてみる。…なんでひとりでしゃべっているんだろう。唐突に恥ずかしさと虚しさに襲われ、慌ててポケットに学生証を戻す。
こんなふざけた茶番をやってる場合じゃない。俺には今やらなければならないことがあるのだ。身体の筋肉を緊張させ、先程までのふざけた考えを入れ替えて思考をリセットする。
奴らの反応を確認してから約2日、昨日の夜にも奴らを探したが見つからず今に至る。被害が出る前に何としてでも見つけなければならない。
そして、そのためにも奴らを殺さなければならない。
路地裏に入り、周りに人がいないことが確認できると、俺は目を閉じて意識を集中させる。集中させた意識で俺は己の負の感情を決壊したダムのように溢れさせた。
無駄なことを一切考えずに”恨み“に”辛み“、そして”怒り“などといった感情で心を塗りつぶしていく。そこに他の感情はない。もし他の感情があったのなら、その感情が混ざり負の感情が乱れてしまって奴らをおびき寄せられなくなる。
他の感情は一切ないただ単に純粋に強い負の感情で自分という存在を上書きする。
瞬間、背筋に妙な寒気を感じた。奴らが来たのだ。カッと目を見開く。
周りをぐるりと見回すが姿は確認できない。しかし近くにいることはわかる。
俺はおびき寄せるために、自分の負の感情を強くし更に心を塗りつぶす。するとそれに反応するかのようにそれは地面から湧いて飛び出してきた。
輪郭は確認できず、この世の闇をすべて集めたかのような黒い身体。形は定まっておらず、常に身体からドス黒い泥状のモノを垂らして這い寄ってくる。
強い感情に反応して現れたこの世のものとは思えない怪物、通称“魔獣”。
俺は拳に先ほどまでの自分の負の感情のエネルギーを集めていつでも戦えるように構える。
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一触即発の空気、互いが相手との間合いを読み合い、一歩、また一歩と距離を詰めていく。痺れを切らしたのか、魔獣は宙に舞い上から弾丸のように突っ込んできた。
ただそれは間違った選択である。そしてその一つ、たった一つのミスが戦いでは致命傷となる。
魔獣は真っ直ぐにとてつもない速さで向ってくる。一見、景永の絶体絶命に思えるかもしれない。しかし、魔獣は真っ直ぐにとてつもない速さで向って来ているのだ。つまり言うなれば魔獣が通るコースは既に決まっているということでもある。
景永は体をそのコースから少し左にずれて、代わりに負の感情のエネルギーを集中させた右拳を振りかざして勢いをつけて落とす。魔獣は拳を避けようとするが無駄。空中にある身体は制御が効かずそのまま殴られてしまう。
拳から魔獣に負の感情のエネルギーが伝わっていき、魔獣の身体に伝わったエネルギーが触れる。瞬間、そのエネルギーに耐えきれなかったのか魔獣が石のように固まっていった。
景永は手を休めず次の一手、左の拳で魔獣の石のように固まった身体を抉りながら地面に叩き落とす。
魔獣の身体の一部分は抉られ宙を舞っていく。一方本体は、体液を撒き散らし地面に滲ませて悶え苦しんでいる。臓を地面に落とし、抉りとられた部分からは黒い触手のようなものが音を立ててうごめく。文字では形容できない声をあげ泥状のモノを辺りに撒き散らす。
あたり一帯を地獄絵図のように汚した後、魔獣は勢いをなくし泡沫の夢の如く消滅。
景永の勝利だ。しかし景永は勝利の余韻に浸るわけでもなく、何事もなかったかのように帰路につく。
それもそのはず、これが景永 哀としての普通の日常であるからだ。
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鋼ノ山高校から約1時間、街をひとつ越えたところにある山の麓の所有者不明の蔵の門を景永は叩く。
何故、蔵の門を叩いたのか。答えは簡単、景永がここに住んでいるからだ。といっても単に寝泊まりしているのではなく言葉通りここで生活しているのだ。
「ただいま帰りましたー」
景永が声をあげて中にいる人物に声をかける。少し時間が経った後、門が開き小さなひとつの人影が景永を迎えた。
「景永 哀、ただいま帰りました」
景永が一言挨拶をする。
「もうよい、先ほどの挨拶で十分じゃ。それよりも早く入らんか、部屋が冷えてしまう」
その人影が急かすように言ってくる。その意に応え景永は中に入っていった。
中は外見の蔵とは違いしっかりと人が暮らせるものとなっていた。学校の鞄をその場に置き背中を伸ばす。すると景永の後ろから先ほどの人影が顔を覗かせてきた。景永は睨むようにその人物を見る。
寝起きのようなボサボサのくせ毛の雪を思わせる薄い銀色の髪に、子供のような愛らしい顔のパーツには似合わないほど聡明な表情の少女。
そして一番の特徴としてとても小さい! 膝をついて頭を撫でられるくらいには小さいのだ。いわゆるロリである。本人は子供と思われたくないらしいのだが、そのくせ服装はゴスロリであるからよくわからない。
色々なものを織り交ぜて普通ならゲテモノ以下になるだろうが、彼女はその不安定さを奇跡的なバランスで成り立たせている美少女、もとい美幼女だと景永は思う。
そんな彼女の名前は“ファル・スケルター”。訳あって俺の保護者をやっている現代を生きる悪魔だ。
現代を生きる悪魔とは? と思うかもしれない。それにさっきの魔獣とはなんだ! と思うはずだ。実のところ、景永は詳しいことを知らない。悪魔とはファルさんが自称しているだけで、事実かどうかも判断がつかない。魔獣についても、景永が知っているのは倒し方のみ。
景永自身、色々とファルに聞いてみたが何一つ教えてくれなかった。
ただひとつだけ、景永はファルに“魔獣を100匹殺せたらすべて教えてやる”と一方的に条件を出されたのみだった。
だから、景永はファルさんの望む通り魔獣を殺してきた。すべてを聞くために、今まで魔獣の反応を確認するたび殺してきたのだ。
そして景永は今日、その100匹目を殺したのだ。やっと教えてもらう事ができることに、焦る気持ちを必死に抑える。そして、景永はひとつひとつ言葉を噛み締めて、できるだけ落ち着いて言葉を紡いだ。
「今日、俺は100匹目を殺しました。教えてください、ファルさんが知るすべてを……!」
景永は知りたかった。知らなくてはならないという義務感さえもある。
”消失してしまった存在のあの人のためにも“
その日、狂った物語の続きが再び描かれ始めた。
誰がなんと言おうとこの作品はラブコメです。私自身、ラブコメを書くことを苦手としているで生温かい目で見てくれると幸せです。あなたがこの作品を読んだ時間がどうか良いものであることを心から願います。